二章:絵に描いた美少女➁

「魅入られたか。憑かれたか。愚劣な……!」

 イーサルミが構える。足を開き腰を落とし、まるでその手中には見えない剣があるかのように。

“演技”の創手マエストゥール。想像し、そのように振る舞うことで虚妄から現実を生み出す。彼ほどの力があれば魔法使いにだってなれる。

「愚劣。……愚劣ね」

 ポーズこそ変わらず珍妙なまま。少女は目を細める。呟きからも感情は窺い知れなかった。

「ここでも男はバカなのか」

 それが引き金となったか、イーサルミは踏み込み電光の如く鋭い突きを繰り出す。ノエルが咄嗟にその場を飛び退き、翻った外套の裾に小さな切れ込みが入った。

「――っ!」

「ノエルさんや、これを脱がねば穴が空いてしまいますよ」

 老人めかした口調で少女は無い髭を撫でる。対するノエルの表情は驚愕と恐怖に染まっている。

 恐慌の最中、促されるままに外套を脱ごうとした彼女は、震える手を留め具から離した。イーサルミはそれに構うことなく再び剣を振るう。

「――ふむ」

 小さく息を吐いた少女の表情は、絵であるが故に余計に読み取り難い。

「――っ」

 躱せない。そう悟ったのだろうノエルは固く目を瞑る。裂帛の気合いと共に不可視の刃は振り下ろされ

「……?」

 触れた感触こそあれど、しかしそれがノエルの体を傷付けることはなかった。

「いった」

 少女が細腕を交差させて受け留める仕草をしていた。周囲は何が起ったのかとただどよめく。だが一人、イーサルミだけは異なる点に注目し瞠目していた。

 不可視である筈の剣が、少女の腕に触れている部分のみ輪郭を、色を持っている。

 茶色く丸い、それは木剣のようだった。

 というのが正確だろうか。

 イーサルミは剣を下げる。少女の腕を離れた途端に、木剣は不可視に戻った。

「……貴様、何をした」

 低く唸る彼が押し殺しているのは果たして闘志か、怒りか、困惑か。

「えー?別に」

 手を振って痛みを和らげている少女は表情も変えず、こともなげに言う。

「想像で出来てるんですし、想像で上書きできるのは当然でしょう」

 もっとやわらかいのにすべきだった。理解が追い付いていないのか、表情を凍り付かせるイーサルミを他所に少女は呟く。

「あり、えない……!」

 余程受け入れ難いのだろう、呻くイーサルミを一瞥し少女はやはりこともなげに

「情報は常に更新されていくもの。強いか弱いかなんて些末なことですよ」

「ありえない!霧魔に知能があるなどと、あまつさえ創術が使えるなど!」

 イーサルミの後ろに控えていた丸刈り頭の「偉い人」――彼もきっと所謂創手なのだろう――が堪りかねたように声を張り上げた。

「シンドウ!貴様霧魔に力を与えたのか⁉」

 答えろ!「偉い人」達からの糾弾に、ノエルは肩を跳ね上げ明確な怯えの反応を見せる。

「また性懲りもなく……っ!」

 形の良い眉の根に皺を作り、少女は唾棄するように呟く。

「イーサルミ、殺してはならんぞ!聞き出さねばならぬことがある」

「御意」

 禿頭の「偉い人」が居丈高に叫び、それにどっしりと重く応じるイーサルミ。その様はさながら騎士のようだった。

「騎士の芝居か。――仕える主も選べないんじゃあ雑兵のほうがずっと立派だ」

 昏い目に雄壮な騎士を捉え、少女は囁く。挑発的な言葉に騎士は耳聡く反応した。

「ほざけ。そこから出ることも叶わん獣の分際で」

 挑発的な言動で応じるイーサルミ。少女の指摘通り、彼の今の面相に英雄譚に語られる騎士のような凛々しさや気高さはなく、寧ろ彼らに敗れる賊の如き卑劣さがありありと浮かんでいた。

「取り入る相手を間違えたな!そいつは下級の霧魔にさえ手こずる能無しだ!知っているか?最近では唯一の取り柄の絵も描けなくなっていたらしいぞ!」

 意地の悪い顔は今にも哄笑を上げそうだった。自身の肩を抱くノエルの腕に薄く筋が浮かぶ。しかし唇は強く引き結ばれたまま。反論も罵声も、慟哭すらも一滴も漏れ出ることを許さない。

「……っ」

「社会のくそ共。お前らを罵るのに適当な言葉は、おれの辞書には載ってない」

 獣の唸り声が窓もない部屋の中に静かに響き渡り、ノエルの顔からはっと表情が失せていく。

「言い負かしたって気持ち良くもなんともない。不毛で不快なだけだ」

 獣の唸る中少女は静かに、ひとりごちるように囁く。

「別に文豪になりたいわけでもないし、感動を届けたいわけでもない。ただ書きたいものを書くことしかできない。でも……だからこそ」

 おれはどうせなら、人の喜ぶことに言葉を使いたい。だから――唸り声が刹那ぴたりと止み、少女は奇怪な形の鋸をイーサルミへ向ける。

「ここから先は、黙々と、粛々と、ぶちのめします」

 今日の予定をただ諳んじるかの如く、さも当たり前のことのように少女は告げる。物騒極まりないことを、それこそ

 こともなげに。

「減らず口を……!獣風情が!」

 イーサルミが踏み込む。構えから突きを繰り出すまでの動きは、流石と云わざるを得ない。迫力がそうさせるのか、或いはこれも創術とやらの力の一端なのか、少女は全身を切られるような寒気の攫われる。

「――待ってください!」

 迎え撃つ。その意思に応じるように鋸が咆哮する。その刹那、喉の潰れたような声で叫んだ。

 イーサルミの手中の殺気が揺らぎ、構えはただの構えになる。少女も咄嗟のことに鋸を黙らせた。

「私が、全て悪いんです……!ですから、どうか……っ」

 続いて絞り出される言葉は、胸と鼓膜に爪が立てられるような、聞くに堪えない悲痛なものだった。

 少女の目が細められる。それは痛みを堪えているようにも見える。それは絵に過ぎない彼女がこれまでで初めて見せた表情らしい表情でもあった。

「そのようなことは既に明らかだ。それでシンドウ二等。貴様がラップランドの創手であるというならば、何をすべきか分かるな」

 必死の告白に対し「偉い人」達は至って冷ややかだった。どうやら彼等の座するあの席は、随分と高く、そして遠くにあるらしい。

「……」

 毀れた刃のような視線を浴びせられる中で、ノエルは縋るように拳を強く握り込んだ。そして指を自ら引き剥がし、諸手を頭の位置まで上げる。

「投降します。……今後の軍の調査への全面的な協力を誓います」

「ノエルさん」

「――っ」

 少女の呼び掛けをノエルは無視する。彼女なりに少女を庇ってのことか、或いは霧魔とは無関係であることを主張したものか、思惑はようとして知れず、少女は大きな反応を示さなかった。反応を示すに値するほどの、予想を大きく外れることがなかったためだ。

「偉い人」達は満足気だった。それはそうだろう。きっと彼らの思うままにノエルは行動している。机一台を挟んだ向こう側を、彼等は絶対安全圏内だと信じ込んでいる。何人も自分の命も地位も平穏も、脅かすことなどありえないと、確信している。様子を窺っている兵士に顎で命令を出せば、二人は緊張を色濃く顔に滲ませたながらもノエルに近付く。

「待て」

 ノエルの腕を兵士が掴む、その寸前でイーサルミが声を上げる。二人の間に割って入った彼は乱暴にノエルの外套の襟を引っ掴んだ。

「主人が居ない方がお前も気が楽だろう」

 傲慢な声と共に想像の刃が外套の背を、皮を剥ぐように切り裂いた。ノエルは俯いたまま無反応を決め込んだ。

「連れて行け」

 両腕が枷で拘束され、ペンが取り上げられる。兵士二人に促されるままにノエルは部屋を後にした。その様をやはり満足気に見送る「偉い人」達、イーサルミだけは剥ぎ取った外套を、そこに描かれた少女の絵をためつすがめつ眺めていた。

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二次元美少女になったらやりたいこと、ぜんぶ @udemushi

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