4章-2

 これが初めての、水の国の夏だわ。


 昨秋に雪の国にやってきたユーリにとって、この夏は初めての水の国での夏だった。


 雪の国の夏も気候は水の国と大差ないが、期間が圧倒的に短かった。


 夏にやりたいことは計画して急いでこなさなければ、あっという間に適した時間が終わってしまうため、気ぜわしい夏になるが、水の国はもっとゆっくり楽しめるのだろうと、ユーリは少し心が沸き立つのを感じた。


 「エルディオ様、おはようございます」


 今朝は朝議は休みになっているので、ユーリは直接エルディオの執務室へ赴く。


「あぁ、おはよう。朝議がないというのに、本当に勤勉だね」


「本当よ。この子ったら、姉様の仕事の虫だけはしっかり受け継いじゃったんだから」


「エリシア様!」


 エルディオの声だけが返ってくるかと思っていたのに、思いもかけない声を聞いて、ユーリの顔がぱっと輝いた。


「どうされたんですか?」


「息抜きよ。第一王妃なんてなるもんじゃないわ。わたくし、後宮で遊んで暮らすつもりだったのに、後宮を管理するのは第一王妃の務めです、って全部の仕事を渡してきたのよ、王后さまったら」


 言葉とは裏腹に生き生きとした表情を見せるエリシアの様子に、思わずエルディオと目を見合わせ、くすっと笑ってしまう。その忙しさを楽しんでいるのは一目瞭然で、それはやはりスーインから引き継いだものだった。


「兄様、姉様。では、火の国の申し入れ、一緒考えましょ」


 ユーリはてきぱきと昨日届いた火の国の書状を持ち出す。


「火の国って、今どうなっているの?」


「国王崩御の後、王太子も薨去されたので、前国王の弟、第十王子が国王代行に立ち、運営しているようです。

 しかし……実は随分前にあちらの両大公家は断絶してしまっていたそうで、立て直しには、相当苦慮しているようです」


「呆れた。人の国にとかちょっかい出している場合ではなかったんじゃないの」


「いや……だからこそ、他国を取り込んで立て直そうとしたのかもしれんぞ」


 一瞬、その場に重い空気が立ち込める。


「それでも結局、こうやって全面降伏で、救済を求めてくるわけですから……」


 火の国の申し入れは、属国要求は間違っていたこと、続く騒動はすべて火の国の責であり、賠償の用意があること、ついては国体を失った火の国の救済をお願いしたい、の三点だった。


「都合がいいわ、と思うけど、そうするしかないのかもね」


「たた、問題は火の国の救済だぞ。国体を救え、と言っているが、これも一歩間違えれば併合になって天理に触れるぞ」


「それについては、イフラーム様からヒントをいただいていました」


 風の民の王太子として、国を立て直そうとしていたイフラームは、各地に散らばった集落ごとに文化が形成されてしまっているので、今更定住の地を見つけても、文化的に統合が難しいのが課題だった、とかつて語っていた。


「風の民の再建のときに見つけた解決策は、各集落を小さな国家として存続させるが、その上に各集落を統合する機能を置けばよいのでは?ということだったそうです」


 間に合わなかったがな、と悲しげに笑ったイフラームの表情が、ユーリの脳裏に焼きついている。


「なるほど?」


 と言いつつ、今ひとつ要領を得ない、という顔をしたエリシアが先を促す顔でユーリを見つめる。


「ですから、これは火の国と水の国にも応用できると思いませんか?お互い独立した国家を維持する。が、その上にさらに統合する王に立ってもらい、両国統合とするのです。中身は独立しますから、天理には触らない……と思いたいです」


 エリシアもエルディオも、ユーリの話の途中から身を乗り出し始めた。

 ユーリが話し終わると、エリシアとエルディオは高揚した顔を見合わせた。


「さすが義兄上だな。詳細な検討に回そう」


「でもユーリすごいわ、よく火と水の二国間でもできるって、思いついたわ!」


 ユーリは照れたように笑うと、表情を曇らせて下を向く。


「イフラーム様は、常々、思いをつなげるということをおっしゃられてました。今となっては、イフラーム様が残した知恵と想いを掬うことしか……」


 できなくて。


 の言葉は、涙に呑まれる。


「ユーリ、泣かないで。義兄様が直々に行くって言い出したときから、何があっても泣かずに水の国を守っていく、って決めたじゃない」


 そういうエリシアの目にも涙が光る。


 スーインが南方辺境に旅立ったあと、来るとは思ってもいなかった早馬がやってきた。

 内容は、数日前に唐突にもたらされた、アリアーナ王女とザハル王弟の婚姻の同意を促すものだった。交渉において、婚姻がまとまれば開戦を回避する、と火の王が言ったらしい。


 だが、そんなことがスーインの書状一つでまとまるなら、水の国は、後継者にこんなに悩まない。つまり、全く何の益もない早馬だ。

 そして、それがわからないスーインではないはずだ。


「これは恐らく、早馬を返してきたという事実のみが欲しいんでしょうね」


 イフラームが静かに言う。


「とにかく早馬を返しましょう。書状は、いりません。そして……私が、行きます」


「イフラーム様!駄目です!」


 最初にユーリが反応した。悲鳴のような声を上げて、強くイフラームを引き留める。


「これはスーインの助けを呼ぶ声です。助けを呼んだのなら、行かないわけに行かないですよ」


 イフラームは、諭すように穏やかに話す。ユーリに向かって話してはいるが、実質はその場にいる全員に言い聞かせていた。


「でもだって……イフラーム様、武人じゃないじゃないですか!」


「私は風の民の王太子でした。王太子たるもの、実は武芸は一通りできるんですよ」


「そんなの……見てないんです、信じられません!」


 スーインを行かせたことでさえ、納得ずくのはずだったのにやはり後悔にさいなまれるのだ、さらにイフラームまで行かせてしまうのは、やはりどうしても考えられなかった。


 だが。


「イフラーム様が武芸がお出来になるのは、本当だ。サリフ様につけられた稽古を見れば、一目瞭然だ」


「カイル!」


 あなたね、この際武芸ができるかどうかなんてどうでもよいのよ!武人じゃないなんて、行かせないための方便なんだから!


 と、どやしつけたいのをユーリは必死になって我慢する。


「スーインには負けると思いますが、足は引っ張りません。手助けにはなります」


 静かに、しかし決然というイフラームをもう止められない、とその場にいる誰もが悟った。


「それでも…だめです……」


 唯一、ユーリのみが抵抗の言葉をつぶやくが、その力はもはや失われている。


そこにカイルが膝をついた。


「火の国への護衛の任につかせていただきたく」


「中央隊はどうするのだ?」


「防衛のみですから、わずかな日数は副将のセノンに任せて問題ありません」


「わかった。ありがたい。強行軍になるが、ついてきてくれるか?」


「御意」 


 そうやって、カイルを連れて出立していったイフラームは数日ののち、全員の予想通り、遺体となって帰ってきた。


 スーインの役に立ち、スーインを守るという誓いを守り切ったイフラームのことを考えれば、悲しみに沈まず今の目の前にある変革をやり遂げることだ、とはわかっているが、やはりどうしてもふとした折にこのように涙に暮れてしまう。


「エリシア姉様……すみません」


 駄目ですね、と涙を払うと、ユーリは無理やり笑顔を作った。


「陛下ご夫妻に、この案ご検討いただきたいので、繋いでもらえますか?」


「もちろんよ」


「水の国の国王はアリアーナ王女殿下、統合する王はアーサー国王陛下、って実は決めているんです」


 力強く宣言するユーリの顔に、スーインの面影が乗った気がして、エルディオは少し目を細めた。

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