第4章 未来の岸

4章-1

 「母上様。今年の春はちょっと遅いようですね」

 アリアーナの言うとおり、いつもの年に比べて肌寒い気はするけれど、しかし木々に芽吹いた若芽の新緑はみずみずしく、水面に美しい緑を投影させている。

 その色彩は、例年と変わるものではなかった。すぐに暖かな陽気もやってくるだろう。


 今日はやや肌寒いものの、日差しは温かく感じられ、春が一歩進んだことは明白だった。

 春の光の中で、第二王女のイリーナが乳母と芝生の上で遊んでいる。


「女大公様は、まだお戻りにならないのですか?」


 春とは名ばかりの、まだ寒さが残る日々に旅立っていったスーインのことをちょうど思い出していたアスリーアは、アリアーナに微笑みを見せた。


「そうですね、まだわからないそうなのですが、アリアーナ、なぜ気にするの?」


「女大公様が見てきた世界を聞いてみたいのです」


 アリアーナは、物心がついたころに弟が生まれたから、ずっと「王位を継ぐのは弟の役目」とそう思って生きてきた。それがある日、突然弟が薨去し、国の制度が変わって男女の区別なく一番上の子供が王位を継ぐことになった、と決まった。


 戸惑わなかった、と言ったらうそになる。


 自分が王位を継ぐ可能性が出てきたころから、母はそれに即した教育を始めてくれた。右大公家の姫、もとは雪の国の王太女との対話もその一つだった。


 女だから関係ないと思っていたこと。なのに、王位を継ぐ立場になること。

 前例のない世界で、自分なりの道を作っていかなければならない困難。


 雪の国の王太女、ユーリが語ってくれた話は、アリアーナに様々な示唆を与え、多くの覚悟を促した。


 だが、と思う。


 なぜこのような道を、女大公は考え付いたのか?


 彼女は、決して嫌々でもなければ、偶然でもなく、その力があるから爵位を世襲した。そして、意志をもってそれまでの世界を変えていった。


 なにがそんなに女大公様を駆り立てたのだろう?


 まだ、「民を背負って立つ」という意味が、アリアーナには分からない。ユーリも、申し訳なさそうに、実はそこは自分も深く考えたことないのです、と言っていた。


 火の国に付け入られた国の制度を改革し、他方で身を挺して火の国の侵攻を止めた女大公。どのように水の国を愛して、このような行動に至ったのだろうか。


「アリアーナ。母も、女大公が見た世界を、もっと共有したかったわ」


「母上。私がどのような王になるのか、なるべきなのか全くわかりません。今の私が言えることは……誰かの勝手な都合で、自分の人生が突然終わってはいけない、そんなことを水の民には経験させたくない、ということです」


 アリアーナの胸には、今も食事の後に急に苦しみだして、その日の夜半に薨去した弟の姿が沈んでいる。


 弟は、とても良い子だったのだ。何も悪いことをしなかったのに、なぜあんな目に合わないといけなかったのだろうか。


 そのせいで、母はずっと泣き暮らすことになり、父は難しい顔しかしなくなった。そして火の国が侵攻してきた。


 そんなことは、もう起こしたくない。自分だけでなく、周りのみんな誰にも。

 その周りが「水の民」であるなら、それがよいと思う。


「あなたがそう思うなら、それでよいのです。王の姿は、誰かが決めるものではなく、あなた自身が決めるものですから」


「わかりました」


 今はまだ、王というものが全く分からないが、それでもアリアーナの胸には、しっかりと重責を背負う自覚が芽吹いていた。



**

 長い、長いトンネルを歩いているようだった。

 ネフェルナは、ベッドの上に寝ている自分に気が付いた。


 「あたしは?……右大公はどうなったのだ?」


 目の前に手を掲げる。仕留めていれば手は血塗られているはずだが、そのような禍々しさはなかった。


 夢……だったのか?


 と、思った瞬間に目から涙がこぼれる。ザハル兄ぃ。

 目の前で斃れた姿を見た。あの喪失感は本物だ。


「ネフェルナ姫!気が付かれましたか?」


 侍女が目を覚ましたネフェルナに気が付き、思わず大きな声を出す。それを聞いた人物が、ネフェルナの枕元にやってきた。


「ネフェルナ……大丈夫か?」


「第十皇子……やはり、ザハルは……」


 第十皇子、と呼ばれた男性は辛そうに目を伏せた。


「即死だったそうだ」


「そうか」


 武芸までもが完璧か、右大公。



「天理は?発動したか?」


「している。ザハル兄貴の寵姫とその子たちを中心に、病に倒れたり事故にあったりしている。天理だろう……」


「そうか。では次は我々だな」


「わからん……

 ある程度の賠償とともに水の国に謝罪を入れた。水の国がそれでよしとしてくれれば、あるいは天理も止まるかもしれない」


 火の国の両大公家は、水の国への侵攻前にほぼ壊滅していた。

 だからこそ、ザハルが暴走できる余地がでたのだが、それ故、ここで天理の作動が止まっても、火の国は国体を保てる状態では、最早なかった。


「天理とはなんなのだ。君主の横暴を止めたいなら、最初からザハル兄ぃの寵姫たちから粛清すればよいではないか!」


 ネフェルナの目から涙がこぼれる。

 水の国にこだわるザハルから感じていたあの得体のしれない不安が、このように現実になったことに、やりきれない思いにさいなまれる。


「誰も天理を、解明できていないが……」


 第十王子は中空をにらんで言葉をつないだ。その仕草は、涙をこらえているようだった。


「因果応報の罰ではないとは、分かっている。全能神の意志だと。4精霊が、世界を守り全能神を補佐できる状態を保つためのもので、善し悪しは超越していると」


 少し熱気がこもり始めた室内を、一陣の風が通り過ぎた。


「風の民は滅び、火の国はこの体たらく。世界を治めるのに、もはや4精霊の民の国の力はいらぬと、全能神は考え始めたのかもしれんな」


 そうつぶやいた第十王子を、ネフェルナは涙でぼやけた視界の中で、見つめていた。

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