3章-2
襲撃があるかと身構えていたキリアンだったが、何事もなく国境を越えて水の国に戻ってこられたことに拍子抜けした。
「何もありませんでしたね……ハエはついてきていますけども」
「ハエは気にするな。無事戻れたのは、名目上でも本国に連絡を取って相談させる時間を設ける必要があったのだろう。でなければ、天理に背く可能性が高いからな」
「そんなもんなんですかね?」
「そんなものだ」
「戻ったら、早馬で国へアリアーナ王女とザハル王弟の婚姻に同意すれば開戦回避できると、書状を出せ」
「まさか、その婚儀を成立させるおつもりで?」
「まさか」
言下に否定して、自嘲の笑いを漏らす。
「わらわの書状一つで決議がまとまるなら、とっくに水の国は長子相続の国になっておるよ」
「では、その旨右大国家にも早馬を?」
「いらぬ。イフラームとエルディオならば、わらわの意図がわかる。それにな……」
スーインは、物陰を目で示した。
「もう一つ早馬なんぞをだしたら、裏の司令を出したことが筒抜けだろう?そんな橋は渡れない」
自分を自国から切り離してでも国を守ろうとする姿に、キリアンは衝撃をうけた。そういう人だとは知っていたが、実際にそれを目の当たりにするのは、やはり衝撃度が違う。
果たして、自分も同じことができるだろうか?キリアンは思わず自問自答した。
**
キリアンに話した通り、スーインにはもちろん、婚儀をまとめて開戦回避する気はさらさらなかった。
それでもおとなしく引き下がったのは、油断させるためだ。
右大公宮のバルコニーに現れたときから考えていたが、ザハルはもう、常軌を逸しているかもしれない。恐らく、天理に背いた結果、天理が作動し始めてる、と思った。
今までに、どうなると天理が作動しているのかを解明したものはいない。天理の被害に遭ったと思われるイフラームも何も言っていなかったから、イフラームでさえ知らないだろう。
だが、ゼスリーアの狂乱ぶりと、ザハルのあの、水の国侵攻について話すときの異様にきらからした目。そして、目的のみしか見ていないような視野の狭窄ぶり。目的の達成しか見ていないから、ほかに悪影響があっても気が付かない。それが、後々自分も苦しめることが明白であっても。
雰囲気が似ている。
この二人の共通点は、ともに他国の血筋を統治者に立てようとした点だ。
セザリアンの様子も同じようだったら確信も持てるのだが、左大公宮に籠もってしまった彼の動向は、出国までに聞くことはかなわなかった。
「だが、間違いは、なかろう」
一人つぶやくと、水差しから杯に水を注ぎ、飲み干す。
であれば、ザハルはスーインの動向のみを注視するはずだ。早馬を出し、その間何もせず宿営地の自分のテントにこもっていれば、朝議の返答を待っていると誤解してくれるだろう。
視野が極端に狭くなっているから、その間に策略をめぐらすなどと、考えることはないはずだ。
根拠のない推測だが、いまはこれにかけて油断させるしかない。
「油断させるために、軍装を解いてもよいかもね」
テントの隙間から漏れる光をみて、ふとスーインはつぶやいた。
**
定点報告にやってきたキリアンは、鎧の胴を外したスーインの姿を見て、度肝を抜かれた。こんな野営地で鎧を外すなど……
だが、スーインの目力におされ、なぜそんな格好を、と叫ぶのをすんでのところでとどまった。あんな目をするということは、なにか意図があるのだろう。
キリアンもなるべく平静を装って、水の国からの連絡と、宿営地まわりの火の国側の隠密の動きなどを報告する。
「ま、変わらずだな」
「は」
「あと三日もすれば、書状の回答を持った早馬が水の国から来るだろう。そうしたら、火の王を、内密の話があると何とか呼び出せ」
「は?」
その早馬のもたらす回答を確認しないでよいのか。
どうやって秘密裡に接触するのか。
呼び出したら、火の王は来るものなのか?
問いただしたいことは山のように出てくるが、言葉にならない。
「早馬はどうせ右大公家からだ。わらわが早馬を返してほしい、と考えていると、イフラームは気が付く。だから、早馬は帰ってくる。ただし手ぶらでな」
スーインは薄く笑う。
「ザハルに直接接触するのは難しかろう。ザハル側近のネフェルナをねらえ。
リンなら、女同士、なんとか近づけるだろう。女大公が熱望している、朝議がまとまりそうだ、ついては話をしたがっている、とさえ言えば、奴は来る」
目を白黒させることしかできないキリアンを見て、スーインは的確に回答を与えた。
「は、はぁ」
は、にもこんなにバリエーションがあるのだと、今更ながらに感心しながら、キリアンはまずは自分がするべき行動を確かめることで、自分を立て直そうとする。
「あの……水の国から早馬が帰ってきたら、リンにネフェルナ姫に接触させて、朝議がまとまりそうだから、女大公殿下がどうしても会いたがっていて、国境付近に来てくれないかと言えばよいのですね?」
「そうだ。早馬が来てから行動を起こしても遅いから、今のうちから接触させて関係性を作っておけ。早馬が帰ってきて間髪おかずに行動しないとまずい」
「それから、わらわが軍装を解いていることも、それとなくあちらに流しておけ。火の国側を油断させるのだ」
「は」
まだ納得しきっていないだろうが、やるべき行動がわかればそれなりに立ち直れたようで、そういうところは非常に騎士らしいのだな、とスーインは思った。
踵を返してテントを出ていくキリアンの背中を見送る。
あの焼け落ちた町で、イフラームを見つけてくれたのは、キリアンだった。
あの時、彼を連れて行かなかったら、イフラームに巡り合うこともできず、こんなにも戦いきることはできなかったと思う。
本人には伝わらないが。
キリアン、あの時からずっと仕えくれて、本当にありがとうとスーインは心の中で感謝を送った。
**
サラやエマだったら苦労しなかっただろうが、さすがにまだ経験の浅いリンに工作を行ってもらうのは、キリアンにとって相当骨が折れた。
始めてサラと任務にあたったのは風の民の焼け落ちた町の捜索のあの時だった。成り行きでサラの配下に入ったキリアンだったが、騎士団でのいわゆる表の任務とは全く違う視点でのサラの指示に、驚きとともに、思うように動けない自分にもずいぶん腹が立った。
今にして思えば、歯がゆくて何かと苛立ったのはサラのほうだっただろうと、心から申し訳なく思った。
無事に帰れたら……謝罪せねば。
スーインの覚悟を見ていると、無事に帰れる可能性は低いと思う。それだけに、雪の国出身のカイルは連れてこなかったのだろう。
補佐の側近まで捨て身になっては、助かるものも助からない。キリアンは帰る望みは絶対に持とう、と決めている。
早馬到着予告ののろしを見て、すぐにリンにネフェルナ姫へつなぎを取らせた。リンの工作は何とか間に合った。
スーインが言ったとおり、会いたがっている、朝議がまとまりそうだ、と言わせたところ、すんなり国境の中立地帯で会おう、という言付けを持って帰ってきた。
「まことか」
あまりの読み通りの回答に、キリアンはむしろ半信半疑になり、リンに問いただすが、彼女は重々しくうなずいた。
そこで、リンを伴いスーインのテントに赴く。
「殿下。火の王がお目通りの許可を出したとのこと」
「わかった。これから行こう」
ほどなくして、スーインが姿を現す。ここ数日の軍装を解いた軽装のままで出てきたスーインの姿に、キリアンはさすがに抗議の声を上げる。
「いくら何でも殿下、その軽装はいかがなものかと思います!」
「手甲と脛当てはしておる。胴がないだけだ」
「その胴が肝心なのですよ!!」
「よいのだ。それから、これを持て」
言って、長剣をぐい、とキリアンに押し付けてくくる。
スーインを象徴する宝剣だ。あまたの戦場を共に戦った、スーインを象徴する長剣。
「殿下!だめです、これはご自身がお持ちください!!」
もはや悲鳴のような断りの声を上げるが、スーインは動じなかった。
「持てと言ったら、持つのだ。騎士団での上長の命は絶対だろう?」
「しょ……承知つかっ……ました」
あまりの事態に、キリアンは変なところでのどがつまりつっかえる。しかし、手はしっかりと長剣を受け取った。
リンは、このような緊迫した事態に、棒を飲んだように立ちすくむしかできなかった。
「では、行こうか。レオも来るのだ」
その一言で、物陰にひそめていたレオも姿を現し、一礼すると一団の輪の中に入る。
スーインは三人を見渡すと、国境へ向かった。キリアン、リン、レオの三人も後につく。
ただ、スーインはレオが剛衛隊へ合図を出したことには、気が付かなかった。
**
半信半疑のキリアンだったが、国境付近でしばらく待っていると、ザハルが本当に一人で姿を現した。
「よお。お呼び出しなので来たぜ。こちらは一人で来い、って言ったくせに、そちらは四人で来るんだな。文字通り多勢に無勢ではないか」
ザハルはいつものように軽口をたたく。
が、これはスーインが軍装ではない軽装だからこその反応だったかもしれない。
とはいえ、姿は見えないだけで、見えないところで護衛する者たちが様子をうかがっているだろう。
その数、いくらか……
キリアンは、今までの情報や、不審に動く草陰などの数を数え、こちらとそう大差ない人間しか来れていないことを確信する。一人あたり、おおよそ二人を切って捨てれば活路は開く。
ただ、弓を扱う者がいたり、超人クラスの護衛のものがいたりすると、とたんに計算が狂う。そんな情報は得ていないが、隠されているとしたらどうなるだろうか……キリアンの背中に冷や汗が流れる。
弓矢は状況的には考えにくいが、長槍の使い手がいたら面倒だぞ、と警戒する。
「そちらも隠しているだけで同等かそれ以上はいるであろう?」
スーインがいつものように淡々と答える。
そして、ザハルも目をきらりと光らせると、いつもの挑戦的な笑みを浮かべる。
「試してみるか?その前に、本当に王弟とアリアーナ王女の婚姻の話がまとまるのか、確認させてもらおうではないか」
「まとまりそうであったよ」
あった、の過去形に、ザハルの顔がとたんに険しくなる。
「どういう意味だ?」
「言った通りだ。一旦はまとまる寸前のところまで行った」
**
そう。息を吹き返した超保守派たちが、この婚姻をまとめて生まれた男子を王太子にしようと唱え、朝議はそちらに傾いた。
しかし、さすがに男子継承の伝統のためとはいえ、敵の火の王の血を引いた王太子を立てるのか?といった疑問が渦巻く中、エルディオが声を上げた。
「必ず王子が生まれる保証はどこにありますか?この10年近く、わが国にも王太子がいたのです。そして、つい先ごろまで男子と思われる子を第二王妃が妊娠していましたが、死産という形で失いました。男子が生まれるかどうかは賭けでしかないのですが、その賭けの材料に、敵国を使うのですか?」
さすがに、超保守派以外の気持ちが揺れる。
そもそも、火の国が侵攻してこなければこんな事態に陥らなかったわけで――
アーサーはその揺れのすきを見逃さなかった。
「王子は魅力的な言葉だが、敵国を今受け入れることはできぬ。この申し出は断りたい。異議があれば聞く」
さすがに王自身の意思に逆らえるものは少ない。まとまりかけた婚姻は、このようにひっくり返された。
**
「だがやはり、敵国の王子を、第一王女の婿にするわけにはいかぬという話になってしまった。最初の早馬ではまとまる、という話だったので気がはやって呼び出してしまった。申し訳ない」
ザハルは、険しい表情からだんだん怒りの表情に変わり、スーインの言葉の最後のほうには背後から炎が立ち、その熱気さえ伝わってくるようだった。
だが、スーインは動じない。
「それはあまりにも不誠実ではあるまいか?そうということであれば、もう火の国は騎士団を引かぬ!」
「結構だ」
淡々と答えるスーインに、ザハルは一瞬がっかりした、という顔を見せた。
「どうであろうと戦を避けようとするその姿勢には感心していたのだが、所詮は普通の騎士だったのだな」
「戦は避けられなかったら、最小限の被害にはするつもりだ!」
スーインは叫ぶなり、ザハルへ踏み込む。
右腕が下から振り上げられ、短い銀の円の軌跡を描いた。
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