第3章 炎の海へ

3章-1

 南方辺境地。

 南方州の州都で一泊、さらに州のはずれの宿に一泊し、その翌日の昼過ぎ、国境に展開している騎士団の宿営地にスーインたちは到着した。


 西方辺境隊の大部分が合流済みで、その上、そこに中央の一個師団が来たわけなので、普段の宿営地よりも人口密度が上がっている。


 そんなところで、突貫で騎士団中央隊のための宿営地の拡張をしてくれたことをねぎらいつつ、さっそく火の国の陣営に再交渉の意志があることを示す。


 断らないだろう、という目論見通り、果たして再交渉に応じよう、という使者が来て、翌日の昼頃、スーインたちが火の国領にある宿営地に赴くことになった。


「スーイン様……せめて、国境の中立地帯での交渉はできないのでしょうか」


 キリアンが憂い顔で声をかけてくる。


「そのような、こちらの思惑が見え見えな依頼は聞いてはくれぬであろう。暗衛隊に賭けるしかない」


 取り付く島もないスーインの様子に、キリアンは胸を痛める。騎士団の構成員としては、スーインの判断は間違っていないと思うものの、個人としては間違っていると思う、この矛盾にキリアンは水の国を出発してからこちら、ずっと苦しんでいる。


「今日はもう休め」


 短く言い置くと、スーインは自分にあてがわれたテントに入り、寝台にもぐりこんだ。


 鎧をとかず、靴も脱がずの睡眠となる。この様な戦場仕様での休息となり、残してきた王都が今どうなっているか、急に意識に上ってきた。


 長子相続は決議されるであろうか。

 アスリーアは、アリアーナ即位に突然尻込みしないだろうか。

 想像もつかないような何かが起きて、話が進まなくなったりはしないだろうか。


 そこまで考えて、スーインは自嘲気味に笑った。

 仮に今自分が、思った通りなことが起きていたとしても、もうすべてを彼らに託したのだ。彼らを信じよう。どんな困難も乗り越えてくれるはずだ。


 火の国国境は、王都よりも暖かく、もう春の陽気すら感じられる。

 寒気に苛まれないだけ、楽な軍営だと感じながら、スーインは眠りに落ちてゆく。


**

 婚姻による和議の申し入れがあったその翌朝の朝議は、スーインが南方辺境で懸念したとおり、荒れに荒れた。


 婚姻による和議は、領土割譲と同じぐらい古来よりありふれた手法ではある。

 だが、それは王女もしくは姫が相手国に向かう形が一般的であり、王子が輿入れなど聞いたことはない。一体どういうことだ、という疑問がまず広がった。


「王子が輿入れするということは、生まれるアリアーナ王女の子供は、次代の王太子たりえるということでは?」


 しかし、超保守派はすぐに、王太子問題に気が付く。最大限都合よく回れば、喉から手が出るほど欲しい『男子の王位継承者』が望める。


「今の国王陛下はまだお若い、治世も20年は続くと思えば……アリアーナ王女殿下の王子を待っても、問題あるまい」

「さよう。早ければあと数年も待てば生まれるだろうから、数年ぐらい王太子は空位でも、の。ほほ」


 一気に、数年後の王子誕生を前提とした、火の王王弟の輿入れ歓迎ムードが醸成されるがしかし、ここまで歓迎ムードなのは超保守派のみだった。


 王子欲しさのあまりの発言に、半数ほどの廷臣が眉をひそめる。

「さすがに、今、目前の敵である火の国の血を引く国の王子の息子を、王太子にするのは……いくらなんでも」

「それならば、まだ女大公殿下が言っていた、長子相続を採用する方がましなのでは」

「だとすると、余計にアリアーナ王女殿下と火の王王弟との縁談は飲めませぬな。結局、火の民の血を引く王が即位してしまう」


 長子相続に向けて、廷臣たちの右大公家の根回し工作が功を奏したか、男子継承が大事なことはわかる。だが、火の国と結んでまでこだわることなのだろうか、との声が広がり始める――。



**

 水の国の朝議の場が紛糾しているころ、スーインは火の国との交渉を始めた。


 交渉の広間に入った時、正面にザハルが座っていることを認め、スーインは目を見張った。


「わざわざ国王がおでましとは」


「俺が出てくるだけの価値はあると思うがね」


 水の国では全権をもって出てきたネフェルナは、ザハルの右隣に控えていた。

 

「そちらに控えておられるネフェルナ殿に、辺境の軍を引けとお命じになれば、それで済むのでは?」


「相変わらずだな。その傲慢なまでの自信はどこから来るのだ」


「自信ではない。水の国の矜持プライドだ」


 スーインは低い声で威嚇するように返答する。二人の間に火花が散るかのような緊張した空気が漂う。


 ザハルは鼻で笑う。その矜持プライドとやら、いつまでその勢いが保てるのだ。


「ここまで兵を動かしたからには、何もなしに引くわけにもいかんのだよ。あんたも右大公なら、わかるだろうが」


「戦などせずに騎士たちを引くことができる方策があるのなら、わらわは喜んで何もなくとも騎士団を引くがの」


 己のプライドなど、人命の前には塵のように軽いのだ。スーインは覇気を強める。


「だが、火の国が先に持ち込んだあの条約を飲む気はないのだろう?」


「ないが、代わりに水路利用の代替案を、出したではないか」


「あれは、面白くて見事な案だったな。風の王が考えたか?」


 ザハルはにやりと笑う。


「さすが、先見の明があることよ。あのとき、燃え落ちた町をもっと捜索しておくべきだったな」


 風の民滅亡のあのとき。

 あの業火では逃げられまいとは思うものの、かなり強い異能持ちの有能な王太子は逃げた可能性が高いかもしれない。そう思って王太子を探しに来て、代わりにスーインに会ってしまった。


 スーインに出会ったあの瞬間に、勝敗は、決していたのかもしれない。


 そんな考えが頭をよぎり、ザハルはあまりの気弱な考えに自嘲した。


 勝負など、自分の努力の結果のはずだ。


「だから、さらに火の国から代案を出してやったぞ」


 ザハルはもの問いたげな顔をしたスーインの表情を楽しむ。


「俺の弟、第十皇子と、アリアーナ王女との婚姻を正式に申し込んだ」


「!」


 スーインは衝撃を受けるが、表情は凪いだ水面のように動かさない。

 が、ザハルからは見えない机の下で、きつく両の手を握り込み衝撃に耐える。

 握り込んだ指先の爪が手の平に食い込むが、そんな痛みは気にならなかった。


「さすがだな。これを聞いても眉毛一つ動かさないとは」


 ザハルはさらに面白そうに笑う。


「申し入れはしたが、水の国のことだ、まとまらんだろう。今すぐ帰国して、廷臣たちを説得し、俺の弟とアリアーナ王女との婚姻を廷臣たちに認めさせろ。それができたら、この国境の火の国騎士団を引いてもいいぜ。悪い話じゃないだろう?」


「悪い話だな」


 無表情のまま、間髪入れずスーインが答える。


「意図が見え見えな下策を持ってくるでない。そんな策に乗るほどわらわは阿呆ではない」


「まぁ、戻って検討してみろよ。悪い話じゃないはずだ……元風の王太子も、苦労しているらしいぜ?」


 当てこする言い方に、スーインは表情は無表情に保ったまま、がたん、と大きな音を立てて無作法に立ち上がった。



「内政干渉は断る」


 表情は無表情ながら、その振る舞いの端々に怒りをにじませながら立ち上がると、スーインは交渉の場から出ていく。


 交渉決裂。飲むわけにはいかない条件しか出してこないことはわかっていたから、この未来は見えてはいた。

 だが、やはり戦は回避できないのかとスーインは暗澹たる思いになる。


 こちらもあちらも、開戦してしまえば先の見えない消耗戦になることはもうわかっていることだ。そしてまた、消耗戦がいかに国を損なうかも。


 賢明な君主ならばそこを考慮してくれるか、とわずかな可能性に期待をかけていたのだが、本当にはかない望みであったことをスーインは悟った。



**

 出ていくスーインの姿を見送りながら、ザハルは横に座るネフェルナに囁いた。


「右大公の動きを見張れ。増援を要求する動きがあれば、つぶしにかかるぞ」


「つぶす……」


 ふつうに考えたら、もう増援は要求済みでは……しかもあの右大公だ。この交渉が物別れに終わることは予測できているはずだから、もう当たり前に対策はを打ってるはず。


 そう思うが、ザハルの異様な瞳のきらめきに言葉が出ない。


「ザハル兄ぃは、水の国が欲しいの?それとも右大公?」


 ネフェルナは、おずおずと質問する。


「水の国だ」


 言下に答えるザハルにネフェルナは一瞬安堵するものの……本当のところは「右大公がいる水の国」という意味ではないかと思わず邪推する。


 水の国への侵攻を本格的に始めた時も、若干その理由にこじつけを感じ、恐れを感じたものだったが、ここ最近、特に右大公宮のバルコニーに単身直々に乗り込み、火の国へ身柄を移すことを断られて以来、より右大公への偏執が強くなったように感じられてならない。


 さらに言えば、ザハルの偏執が強くなるのに比例して、凶暴性が徐々に強くなっている気も、してならない。


 天理の定めにとうとう背いた、と判定されたか?


 水の国に最初に出した協力関係についての書状は、天理に背かないよう、かなり注意に注意を重ねた文章だった。

 ところが、だんだん……そう、右大公に跳ね返されるたび、そのような配慮が抜け落ちていき、直接的に「火の国に下れ」と言わんばかりの言動になっている。



「ねぇザハル兄ぃ。なんで『王弟とアリアーナ王女との婚姻』の書状が届くの待てなかったの?」


「ん?ゼスリーアのことか?」 


 まったく悪びれなく答えるザハルに、ネフェルナは少し苛立ちを覚える。


「だって、せっかく書状を出す準備してたのに、不要になったのかと焦ったじゃない」


「面白そうなことは、やってみたいだろ?」



直接右大公宮に乗り込んで話し合った結果が不調だった場合に備え、水の国を揺さぶる策「王弟とアリアーナ王女との婚姻」という策をザハルとネフェルナで練っていた。

 先に帰国するネフェルナが宮廷に根回しし、合図があったらすぐに書状を出す手はずを整えていたとというのに、ザハルは勝手に「ゼスリーアに男子を授ける」という行動に出てしまった。


 おかしい。ゼスリーアにザハルが男子を設けさせたら、その子を水の国の王太子になることを望むなんて…そんなの、自分の血で他国を支配しようとする行為にしか見えない。どう言葉を弄しても天理に背く可能性の高いものじゃないの。


 水の国への侵攻への態度以外では、まったく以前と変わらないので周囲は気が付きにくいが、ネフェルナにはどうしてもおかしいとしか思えない。

 実はとうの昔、風の国を滅ぼしたあの時から天理は動き始めていて、そのせいで少しずつザハルはおかしな行動をあらわにしているのではという不吉な予感が胸をかすめる。


 指先が冷えている。恐れの余り、血行が滞った結果とは思うが、その冷たさが水の国で感じたあの寒気を思い起こさせ、ネフェルナは良くない未来の到来を感じ、強い不安にかられた。

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