2章-2

 突然の暖かな陽気に、昨日までの厚い外套を邪魔に感じながら、エリシアはそっと右大公宮のスーインの執務室――今はエルディオの執務室――に向かった。


 ロンを早々に使いに出しているから、エルディオもイフラームも事態は把握しているはずだが、やはり心ははやった。


 ノックもそこそこに執務室のドアを開ける。果たして、イフラーム、エルディオ、ユーリが顔をそろえていた。壁際にカイルが仏頂面で立っているのが、なんだかおもしろい。

 武力担当の彼は来る必要もないし、あまり興味もないだろうに、妻のユーリが心配なあまり、ついてきているのだろう。


「エリシア殿。お手柄でしたね」


「ありがとう。やるときはやるわよ」


「陛下もその場にいたんだね?」


「エルディオ、任せて。超保守派が讒言ざんげんだ!と騒いだら、ちゃんと陛下が自分もその場にいた、って言ってくださるわ」


「でも……やっぱり、ザハルは解放しないほうがよかったのでは……」


「エリシア殿、気持ちはわかりますが、ザハルの武芸と異能は甘く見ないほうがよい。また焼け落ちでもしたら――」


 ザハルの力で民が滅亡したイフラームの言葉の前には、さすがのエリシアもそれ以上は何も言えなくなる。


「姉様を信じるしかないわね」


 一同、小さくため息をつくと告訴の段取りを確かめる。


 エリシアはこれで完璧、と思ったが、イフラームはなにかひっかかる、と言いたげな面持ちを崩さなかった。


「これでよいと思いますが……後宮に忍び込むこのやり方は、あまりザハルらしくありません。何か破れかぶれになったか、突発的な何かがあったか。ほかにも何か攻撃が来ると考えておいたほうがよいでしょう」


「例えば?」


「わかりません。ですが、やはり警戒を。何か思いもかけぬことが起きたら、騒ぎ立てず、それぐらい想定しておった、という顔で引いてくるのです。また皆で相談ですよ」


 エルディオ、ユーリ、エリシアが神妙な面持ちでうなずく。

 そして、朝議出席の支度のためにユーリが退席するのを潮に、朝の謀議が解散となった。


 調子のよい時こそ、気を引き締めるべきだ。


 そんなことをよくスーインが言っていたな、とそれぞれが脳裏に思い浮かべていた。



**

 長子継承の検討を始める、とアーサーが前日に強い調子で伝えていたので、この日の朝の廷臣たちの口は重かった。

 長子継承なんて、とののしりたい気持ちでいっぱいだったが、そんなことを言っていたことがアーサーの耳に入ったら、王の勘気を被るのではないかという不安が、廷臣たちの舌鋒を鈍らせていた。


 アーサーが姿を現し、朝議が始まる。

 ところが、議題検討の前に右大公から緊急動議あり、と声がかかった。


 エルディオがすらりと立ち上がると、眉一つ動かさず奏上する。


「昨夜、後宮に賊が押し入りました。ゼスリーア第二王妃殿下の部屋に忍び込み、姦通を図ったとみられます」


 とたんに、朝議の広間に衝撃のざわめきが広がる。


「賊の正体は?捕まえているのであろうな?」


「不手際ながら逃れられました。が、おそらくは火の王と思われます」


「ひ、ひのおう!」


 パニックが朝議の広間中に広がる。


「な、なにゆえ姦通と!単純に襲撃であるかもしれないではないか!そもそも火の王と何故わかるのか?!」


 おそらく超保守派であろう。保守派盟主の左大公家出身の王妃をかばおうと、必死になって声を上げる。


「火の王でなければ、どうやってその場から煙のように消えることができるのか」


「そ、そんなの後からならどうでも言えるではないか!」


 あくまでも抵抗するか。

 エルディオは胸の内で舌打ちすると、言葉を継いだ。


「では、陛下。ご証言をお願いいたします」


 陛下?陛下が証言??

 一瞬、沸騰したかのように朝議の場が沸き立つが、アーサーが何を言うのかと全員が固唾を飲み、朝議の場が静まり返る。


「わかった。余は昨夜、死産以来不調に陥ったゼスリーアを見舞いに行ったのだが」


 アーサーは言葉を区切って廷臣たちを睥睨する。


「見舞ったところ、なんと賊に出くわした。後宮に入ってくるとはどんな賊だと思ったが、余を見て賊は逃げていった。これはつまり……どういうことだ?」


 廷臣たちに問いかけるが、アーサーは別に答えが欲しいわけではない。


「わざわざ夜の後宮の妃の寝間に忍び込んで来る奴など、気が緩んでいる隙をついて余の命を奪いたいか、余の妃たちの誰かを奪いたいかのどちらかしかないではないか?

 しかし、賊は余を見て逃げた。これはつまり、どういうことだ」


 単なる襲撃かもしれない、と声を上げた超保守派の人物を指さし、答えよ、と低い声で命じた。


「姦通、でございます」


 流れ出る脂汗は、怒りを直接受けたためか、自分が否定していたことを無理やり肯定させられた屈辱のためか。


 まさかの国王自身の証言と有無を言わさない言葉に、朝議の広間はパニックの極みに陥る。


 アーサーは今一度、廷臣たちを睥睨する。


「そうか。姦通か。姦通はどのような罰をさずけることになっておるか?」


 先ほどの人物を睨みつけたまま、アーサーは質問を続ける。


「し、死罪にございます」


 それを聞き、アーサーは口元をゆがめるように笑う。


「であれば、これにてゼスリーアは第二王妃でありながら、他国の王と通じたかどで、死罪とする。ただし、高い身位を考慮し、毒杯を授けることとする」


 「左大公殿にはからずともよいのか」

 

 小さなつぶやきも漏れるが、アーサーは一瞥で圧殺した。


「本来は一族抹殺のとがである。第一王妃の妹であること、目撃証言だけで確たる証拠は少ないことから、本人のみの処分にとどめた。これ以上配慮しろと?」


 アーサーの怒気を含んだ声のあとに、罪状をあきらかにするユーリの声が響く。


「これは、火の国による王位簒奪です」


 そう。ことが露見せず、このまま男子出生につながってしまったら、その子が――火の王の子が――水の国の王位についてしまうのだ。王位簒奪以外の何物でもない。


「しかも、今朝になり、第二王妃が火の国と内通している証拠が、第三王妃殿下より提出されました」


 ユーリがさらに言葉をつなぎ、エリシアが王室が通る扉から現れる。

 後から、いくつかのものを捧げ持つ侍女が数人付き従った。


「殿下。ご説明をお願いします」


 ユーリの声に短くうなずくと、エリシアは少し前に出る。


「こちらは、火の王からの書簡です。一つだけ火の王の印が押されている書簡がありました。この書簡の筆跡と、ほかの筆跡は一致が認められます。ゆえに、この書状たちは火の王のものと断定できます。更にこの量……長期にわたる関係にあったことは想像に難くありません。内容については言うまでもなく」


 でっちあげた証拠だ、と反論する余地もないほど、エリシアがよどみなく説明する。


「さらに、この草」


 また別の盆に載せられたしおれた青菜を示す。


「こちらの青菜にそっくりな草は毒草です。第二王女に盛られた毒草であることも、断定済みです。これは、あの日の毒草が第二王妃より提供されたことを示すものでしょう。そして、この青菜の特徴や使い方については、こちらの書簡に書いてございます」


 手紙の束から、エリシアの指が一通の書簡を選び出す。


「ご確認します?」


 超保守派がいるほうに強い視線を当て、問う。


「滅相もございませぬ、王妃殿下」


 さすがに、ここまできてかばう声をあげられるものはいなかった。


「では、わたくしはこれにて」


 ユーリに少し微笑みかけると、エリシアは悠然とその場を後にした。

 後宮は女の戦場、と言って入宮したエリシアは、その言葉通り持ち場で戦い、ザハル姦通の情報をつかみ現場を押さえ、これだけの証拠も見つけ出した。

 エリシアなりの戦いの結果を見届けたユーリは、静かにエリシアの背中に黙礼を送った。


「ここまでのものがあって、まだ第二王妃をかばうものはいるか?」


 強い口調でアーサーが問う。

 今度こそ、朝議の間から反対する声は出てこなかった。


「では、本来の議題に戻る」


 アーサーの宣言により、超保守派が一番嫌っている議題の審議に入ることになった。

 無理筋とわかっていても、保守派たちがゼスリーアの弁護の声を上げ続けたのは、この審議に入ることをすこしでも引き延ばしたかった、という理由もあった。


 が、程なくして、ゼスリーアの処分にすぐに従い、その代わり、この長子相続の審議での譲歩を引き出すべきだったことに気が付く。

 アーサーが、無理にゼスリーア一人の処分にとどめた、という意志を表明したことで、保守派はアーサーに対して借りを作った格好になってしまった。結果、長子反対の反撃がうまくいかなくなる。


 保守派があきらめかけたその時。


「火の国から、火急の正式な外交文書が到着しました」


 慌てて文官の一人が広間に駆け込んでくる。

 文書は外交担当のエルディオの下にすぐに届けられ、エルディオは封蝋の紋章などを確かめると開封し、文書を読み始めた。


「なんと言ってきおった?」


 エルディオを眉を寄せ、苦しげに声を発して王に答える。


「火の王が和議のため、火の王の王弟とアリアーナ第一王女殿下との婚姻を要求してまいりました……アリアーナ王女を娶るのではなく、王弟が水の国に輿入れするとのことで……」


 ゼスリーア姦通の疑いが奏上されたとき以上の衝撃が広間を襲った。なにより、アーサーへの打撃は傍目からもわかるほど、深刻だった。


  調子のよい時こそ、気を引き締めるべきだ。


 ユーリは、スーインが常々言っていたことを思い出す。

 そして昨日、どんなことがあっても「想定内だ」という顔をして引いてくるのです、と言っていたイフラームの顔を思い出した。


 文書を見て固まっているエルディオにユーリはそっと近づく。


「エルディオ様。ここは一旦、平気な顔をして引きましょう」


 その一言で、エルディオも昨日のイフラームの話を思い出しユーリに軽く頷き返した。


「この話は重大につき、一旦王家と両大公家で預かる。本日の議題も中断とする。よいか?」


 廷臣たちに声を掛ける。さすがに静まり返った広間からは否の声は上がらない。


 それを見て取ったエルディオは、了承を得るようにアーサーに、向き直る。

 アーサーが小さく頷くと、エルディオは朝議の終了を宣言した。



**


「やはり……揺さぶりは別に用意されていましたか」


 朝議から帰ってきたエルディオとユーリを出迎え、火の国からの要求の内容を聞いたイフラームは絶句した。

 揺さぶりが来ることは想像していたが、さすがに王弟とアリアーナ王女との婚姻を要求してくるとは、想像外だった。


「婚姻はわかるのですが、子供を水の国のものにする、とは?」


 エルディオが静かにつぶやく。頭を抱えていたユーリは、思いついたとばかりに、頭を上げる。


「男子がいたら、その子の水の王の王位継承権を要求できるから、かもしれません」


「まさか」


 エルディオが言下に否定するが、イフラームが遮った。


「いや、彼ならあり得るでしょう」


 風の民の王太子時代から、ザハルと付き合い続けたイフラームは、彼は自分の版図拡大か権力基盤の強化につながる行動しか、取らないことを知っている。


「ですが、さすがにそれは天理に背くのではないでしょうか?自分で言っておいてなんですが」


「もしも、ですが、ザハルが気の長い男なら、このまま水の国に男子が生まれず、火の王弟とアリアーナ王女の間に生まれた男子を求めざるを得ない、という状況になるまで待つでしょうね。こちらから求めたら、天理には背かないことは過去の事例にあったはずです」


「問題は、ザハルがそこまで気が長いか、ということでしょうか?」


 ユーリがそういうとイフラームを見る。

 イフラームはユーリの視線を受け、口を開く。


「かつてのザハルはそれぐらいの気の長さはあったし、そういう深謀遠慮もできるタイプでした。が、最近の彼はどうも何かに追い立てられているというか、なにか違う感じがしますね、そう言われてみますと」


「なるほど、では矢継ぎ早に王太子の話が来るかもしれませんね。

 天理など気にせん、だったら、余計にすぐに」


 思いのほか軽やかなエルディオの言葉に、ユーリは思わずエルディオの顔を凝視した。


「意外ですか?出方がわかれば、怖くはないでしょう?結局のところ、我々は我々のやることを進めていくだけです」


 ゼスリーアの件をちらつかせることで、保守派の廷臣たちを押さえつけて長子継承を通す寸前まできたのに、と、ユーリは実はそのことに一番がっかりしていたのだが、エルディオの言葉に目から鱗が落ちる思いだった。


……昔の彼なら、こんなふうに淡々とは言えなかったはずだ。

笑って言い切る姿の奥に、責任を引き受ける覚悟が見えた気がして、ユーリは少しだけ目を細めた。


 強くなった兄の姿をみて、ユーリは自分のやるべきことだけしっかりやればよいのだと気が付いた。


「では、火の国の要求は突っぱねる。王太子の追加要求は来たら考える、でよいですよね?」


 二人に確かめるように質問する。二人が軽くうなずくと、ユーリはすらりと立ち上がった。



「わかりました、王宮の陛下の執務室へ行ってきます。もう使いは出していますので」


 いつの間に手配していたのだ、と二人は軽く驚かされたが、そこまで一人でできるようになったユーリに、イフラームは頼もしさを感じた。


「さてこの件、早馬をだしてスーインに伝えますか?」


 出ていくユーリの背中を見送りながら、イフラームはエルディオに問う。


「何が起きても、スーイン姉上の邪魔になる判断はしませんし、スーイン姉上もそれは信じておられます。であれば、わざわざ早馬を出してまでこちらの状況を伝える必要はありません」


 一息、息をつくと、エルディオはイフラームをまっすぐ見つめた。


「姉上も、我々のことを信じていると思いますから」


 イフラームは柔らかく微笑んだ。


「その通りだな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る