2章-3(2章終)
翌朝。ユーリは、初めての水の国の朝議の場で緊張していた。雪の国では国王側の立場で参加していた身、廷臣側で出席するのは初めてだ。知っている場だが、立場が違うとこんなにも気持ちが違うのか、と改めて感じた。
その場にいた人間として、火の国との交渉が終わるまでは朝議に加わるよう、スーインから指示を受けてやってきたが、――場違い感が桁違い……。
スーインは、毎日こんな雰囲気の中に参加していたとしたら、それは凄いストレスだったのでは、と改めてスーインの苦労に思いをはせた。
やがてアーサーが姿を現し、ささやきあっていた廷臣たちも静まり返る。
議題として昨日の交渉について話を切り出そうとしたスーインの機先を制し、セザリアンが声を上げた。
「奏上したき儀、あり」
その場にいる者たちの視線がセザリアンに集まる。スーインでさえ、意外だと言う顔をしてセザリアンを見つめた。
「……申せ」
アーサーがセザリアンを促す。
セザリアンは、立ち上がるとにやりと不敵な笑みをこぼし、口を開いた。
「ゼスリーア第二王妃殿下、ご懐妊されました。盛夏のころ、明け方に龍雲が昇る瑞兆を見ましたので、神意をうかがったところ、男子であるとの神託を得ました」
朝議の場にどよめきが走る。
あっぱれ。
これで火の国の要求も突っぱねられますな。
男子を挙げてこそ女子の本懐。
ユーリにとって、耳をふさぎたくなるようなささやきが多く交じる。故国の雪の国、ここ水の国はそういうものだと理解はしているが、やはり現実を突きつけられるのは厳しい。
「それは、まことか?」
値踏みするようなアーサーの視線。
おそらく、離宮送りを阻止するための狂言ではないかと疑っているのだろう。
「まことにございます」
確信を持った様子に、アーサーは短くため息をついた。
「そうか。承知した。では、子が生まれるまでは、離宮行きは免除とする。しかし、勅命なくば、居宮からは一歩も出てはならぬ、と第二王妃に伝えよ」
「は」
短くこたえると、セザリアンは着席する。
ユーリは、エリシアの入宮が決まった時のことを思い出していた。
当時、エリシア入宮について、左大公家の抵抗が思ったよりも少ない、とスーインはかなり不思議がっていた。
スーインを不思議がらせるほどの抵抗の少なさは、つまりはこの事実を握っていたからなのだ、とユーリは合点がいった。
それにしても……ほこらしげなセザリアンの顔と、男子懐妊をたたえる廷臣たちの姿を見て、ユーリはどうしても違和感を感じる。
確かに王子誕生は一大事。でも、今目の前にある危機は火の国からの属国化の要求を持ってきた使節団の対応ではないかしら?
そんなユーリの疑問を代弁するかのように、アーサーが口を開いた。
「皆のもの。懐妊を祝ってくれるのはありがたいが、生まれてくるまでは何ともいえぬ。まずは目の前の脅威に向き合えぬのか」
王からの苦言に、ささやきあっていた廷臣たちは口をつぐむが、かと言って目の前の危機に正面切って向き合おうとしている気概も感じられない。とことん……卑近な信念を守ることが大事な人たちの集まり、ということなのだろうなとユーリは思う。
アーサーの言葉に応え、スーインが口を開く。
「国王陛下。属国に応じるわけにはいきません。天理にも背きます。ですが、あちらも天理に背くことは承知の上で、属国と言ってきているでしょう。それを証拠に、書状には明確に属国を示す文言は使われておりません」
「続けよ」
「協力関係になりたいというおためごかしを言ってきているのだから、正式に交易を開くという回答をしたく思います」
「つまり、どういうことだ」
先を促すアーサーのことばに、スーインはユーリを見やる。
ユーリは小さく頷くと、立ち上がった。この案は、イフラームとユーリで考え出したのだ。
風の民が流浪であるとはいえ、民族としての団結を保っていたときは、彼らのネットワークを利用させてもらうと、遠くまで物を運ぶことが可能になった。
しかし、風の民が滅亡した今、彼らに頼ることができなくなり、交易は「物を運びたい者が運ぶ」ように変わってしまった。
そうなると、運ぶ手段、費用、様々の問題が立ち上がったが、それでも金があれば解決できることも多かった。
しかしどうにもならなかったのが、道中の安全だ。かけた費用に比例して、安全を担保できるわけではなかった。災害、人災、ともに遭遇するかどうか、少しでも損害が小さいかどうか、それは運によるところが大きいものだ。
その点、水の国が張り巡らせた水路は、早く移動でき、安全が担保できていると有名だった。しかし、この水路は現在、水の国のみが利用するもの、としており、他国の利用を許可していない。
イフラームの提案は、これを通行税を徴収する形で火の国に解放する、というものだった。
ユーリはこの通行税の徴収の仕方、証明書の発行などの運用案などの肉付けを行ったので、朝議の場での説明の役を担った。本当はイフラームの方が発表に相応しいと思うのだが、前に出ないと決めている、と断られた。
しかし、それで良かったのかもしれない。廷臣たちの、この耳を傾けない様子はどうだ。
イフラームは男性ではあるが、水の民ではないので、廷臣たちの反応はほぼ同じだろう。
ユーリは悲しいことに、雪の国の王太女時代にこんな場面は何回も経験しているから、慣れている。こういうことは、慣れている人間がさっさと終わらせた方が良い、とユーリは思った。
「以上、説明を終わります」
「あいわかった。スーイン、そちにはこの案で自信があるのだな?」
唯一、熱心に聞いていたアーサーが静かにスーインに問う。
スーインは、目だけでアーサーに答えを返した。その表情を静かに値踏みしたアーサーは、応諾の返事をしようと口を開く。
「では……」
「はっ、西の辺境の土地を少しくれてやれば済むものを」
が、セザリアンの不躾な吐き捨てるような言葉が、アーサーの言葉を遮った。
スーインが、冷たい表情でセザリアンに視線を送る。
「その策で、我が国が得る利益は、なんだ」
「は?」
「その領土が、我が国を守る鉄壁の何かならばくれてやってもよい。だが、領土分割は我が国にとって損にしかならないではないか。そんな策は、対等な交渉とは言えん」
そこで口をつぐんだスーインを見ると、それ以上説明する気はないようで、ユーリは仕方なく、後を引き継いだ。
「水路の利用は、税の徴収を行います。火の国は使えば使うほど、金を我が国に払うことになります。そうすれば、我が国は潤います。潤えば、火の国を防衛するための費用が賄えます。こうなりますと、火の国は我が国の水路を使うのに、喜んでばかりもいられません……いずれ、そのことに気が付くでしょう。しかし」
一息、息を継ぐ。しらず、目に力が宿った。
「恐れながら領土分割は、益を生みませんし、火の国の牽制となる何かを持つものでもありません。したがって、領土分割は良策とは思えませぬ」
女のくせにかわいげない。
聞き覚えのある罵り言葉が聞こえてくる。
ユーリは、ぎゅっと握りこぶしを握った。所詮、権力のうまみが欲しいだけで、本当に国を守ろうとしない愚者のたわごとだ。気にしない……
「ユーリ。そなたの言う通りだ。余は領土分割ではなく、水路の交易を開く策を支持する。先ほど説明していた草案の原稿をあとで執務室へ届けてくれ」
「承知しました」
朝議終了とする、と言ってアーサーが退席していく。
それを見た廷臣たちは三々五々、退出していく。が、セザリアンは憤怒の表情で空になった玉座を凝視していた。
それは、王子懐妊の報をあまりアーサーが喜ばなかったせいなのか、領土分割より交易開始を支持したせいなのか、どちらでもないのか、ユーリには測りかねた。
**
ゼスリーアが男子懐妊。
懐妊だけではなく、「男子」と特定できるのが今一つ腑には落ちないが、これが本当だとしたら、これから進めようとする長子相続への改革がどう進むかわからなくなる。
左大公家の意図なのかどうなのか。
こんな時期に厄介なことだ……
朝議の間を出て、王宮への回廊を歩きながら、スーインはこめかみに手を当てる。考えることが多すぎて頭の芯がしびれたように痛んだ。
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