2章-2
火の国の使節団が広間を出て行き終わる気配を感じたスーインは目を開けた。
「第一王子薨去の話を漏らしたのは、いったいどなたか?」
前を見据えたまま、スーインは声を張る。
第一王子薨去の情報が漏れたことについて、さわさわとざわめいていた廷臣たちが、ぴたりとざわめきを止める。
ユーリは廷臣たちの方向に向き直り、怪しい動きをする者が出てこないか、意識を凝らす。廷臣たちも心得たもので、ささやきを止めたのみならず、動きも止めている。
……が。
「スーイン様……左大公家若様のお姿が見えません」
廷臣たちへの注視を外さず、スーインに身を寄せて告げる。
「わかった」
僅かに視線をユーリに動かすとスーインは応え、さらに真っ直ぐ前を見据えた。
「
スーインの声が広間に響く。
しかし、廷臣たちの気はそぞろで、どこまでスーインの言葉が浸透しているか……ユーリは甚だ疑問に思った。
スーインは音もなく立ち上がり、振り返ると廷臣たちを
「肝に銘じられよ」
深紅のマントを翻すと、スーインは広間を出ていく。ユーリもその後に従った。
**
くそ、なぜいきなり王子薨去をバラすのだ。
確かに、協力することは受諾した。しかし、水の国が主権を持ち続け、ゼスリーアの子が水の王となって同盟を結ぶことが前提ではなかったか。
あれでは……あんな問いかけでは、水の国の主権がなくなるような言い方ではないか!
先に到着した書状で、火の国が属国化を要求していることは、アーサー、スーイン、自分の三人は諒解していた。
そして、属国化を明確に拒否することも三人で合意した。
そう、属国化拒否は、火の国に内通したセザリアンにとっても譲れない一線で、それは明確に火の国に伝えたはずなのだ。
なのに、なぜ属国化を要求するのか。
そもそも、属国化は天理に反するではないか。
それとも、またゼスリーアか?
あいつがまた、何か勝手に取引しやがったのか?
俺は、悪くない。
内通だって、属国化という最悪から逃れるための手段なのだ。俺は救国の英雄ではないか。
そこまで考えて、セザリアンは突然ひらめいた。
「ゼスリーアが王子を身籠ったことを発表すればよいのだ」
ゼスリーアを後宮にとどめておく件は、吉日が合わないだのゼスリーアの体調が悪いだのの言い訳で今日までごまかしてきていた。
王子の懐妊は大きな政治上の切り札だ。この切り札を無為に使うわけにはいかない。少しでも有利に使えるときにこの手札を切ろう、と思って少し温めておいたことが功を奏した。今こそ、使うときではないか。
ちょうど、今は情報統制に失敗したように見えるスーインに非難の矛先が向いている。ここで王子懐妊のニュースを打ち出せば、流れは左大公家に寄せられるではないか。
――明日の朝議で奏上するのがよかろう。
これで、廷臣たちの気持ちは左大公家に寄せられるだろう。火の国には、改めて属国化は断ればよい。天理に反する以上、やつらだって本気で属国化を言っているわけではあるまい。西の辺境の地をちょっとくれてやれば黙るはずだ。
スーイン、みておれ。やはり男が勝つのだよ。
久しぶりに、セザリアンは背中の痛みを感じない一日を過ごせる予感に、昏い笑みを漏らした。
**
「補佐ありがとう、うっかり属国と言うところだった」
火の国使節団の滞在場所として与えられた、少し離れた小さな宮殿に入り、執務室に宛てた広間に戻ると、ネフェルナは一番大きな机の前の椅子に腰を下ろした。薄物のマントを脱ぎ、代わりに侍女が差し出した厚物のマントを羽織る。
そして、つきしたがっている補佐の文官に、ネフェルナはねぎらいの言葉をかけた。
「天理に反しておりますれば、はっきり『属国』といった場合、天理が動くかどうか見えぬところですので……」
「しかし、その天理ってなんなの?みんな、天理に背くなって言うけど」
「天理は難しいものではございません。
今回、我らが考えるべき天理は一つで、4氏族は互いに従属してはならぬ。の、一点です」
「でもザハル兄ぃがやろうとしていることは従属じゃなくて?」
「……天理は簡単な文言で構成されているだけに、抜け道がたくさんあるのです」
補佐の文官は淡々と答える。
例えば、従属にしか見えない関係でも、裏に利益のやり取りがあれば「取引」になるので、従属ではなくなるなど、ある程度のごまかしが効く、ということが、過去の事例で判明している。
だか、どのような契約が「取引」となるか、完全にわかっているわけではないのだ。
ザハルは、今回は併合する、や、属国になれなどの直接的な言葉を使わず、協力関係の美辞麗句で条約を飾り立て、書面上は同盟関係になることを狙っている。それが、天理に触るか否かは、賭けだ。
「だな。ザハル兄ぃにしては慎重だとは思うが、確証が取れていないのも本当だからな」
風の国の滅亡。
その当時はまだ自分は子供で、王宮の中で誰もが顧みない透明な存在で、世の中の動きなんて全く知らなかった。ザハルに拾われて、政治に関わるようになってから聞いた話では、ザハルは当初、風の国を併合するつもりで動いていたらしい。
それが、何かの手違いか事故か……それとも風の民たちの意志の問題か、風の民を全滅させる火を起こしてしまった。
余りに大きな計算違い。真相を知る生き残りが一人いそうだったが、その一人も逃してしまったらしく、風の民の滅びの理由は、結局迷宮入りした。
天理が動いたのだろう、とは、ザハルは言っているようだ。
ザハルいわく、悪いことをした人に天罰が下る、のような因果応報的な考えは、人間の浅はかな考えだ、ということらしい。
だから、天理に背いて攻め込んだ火の国ではなく、攻め込まれた風の民に悪影響を及ぼし、『併合してはならぬ』という天理を通したのだ、と
ネフェルナにはわかるようでわからないが、あのザハルが言うのであればネフェルナはそれを信じて動くのみ、だ。
「よぉ。右大公のねーちゃん、手ごわいだろ?」
突然降ってきた声に、文官たちが慌ててひれ伏す。
「ザハル兄ぃ!いつも突然なんだから!」
ネフェルナだけが、喜色満面で突然現れたザハルにまとわりついた。
「おいおい、まさかその厚物のマントで交渉の場に行ったんじゃないだろうな?」
「もちろん、言いつけ通り正装でいきましたとも!」
いつものように軽口の応酬をすると、ザハルは先ほどまでネフェルナが座っていた椅子に腰を下ろした。ネフェルナは当たり前のように左隣りの椅子に座った。文官たちもそれぞれ持ち場に戻り、数人が執務机の周りに近寄る。
「さて。水の国はどうであったか」
「伝統でがっちがちではありましたけど……やはり右大公、曲者ですね」
「だろう?あの当主は抜群に曲者だが、意外と妹姫も、最近雪の国から来たあの王女も、なかなか曲者だ」
焼け跡で出会った女を探して、うっかり間違えて声をかけた妹のことを、ザハルは思い出す。
ありきたりの姫かと思いきや、曲者に出会っても気を失ったりしない胆力と、こちらの力量を正確に推量してくる知力は、当時の幼さが残る面影からは全く想像ができず、ザハルは実は心の底から驚嘆したのだ。
おそらく、ネフェルナにつけた補佐の文官よりも、あの妹姫は腕が立つだろう。文官といえど、ネフェルナの護衛も兼ねるので、それなりに腕が立つ者ではあるのだが。
「でもその妹姫も、後宮入りするっていうじゃない?貴族の姫として当たり前のルートね」
「だな。しかし、これだけゼスリーアが、引っかき回している最中の後宮に入るのは、やはり、なかなか肝は据わってると思うぜ」
「それよりも!」
ネフェルナが憤懣やるかたない、という様子で言葉をつなぐ。
「それよりも…左大公の若様ですよ!あいつ、外交交渉途中で消えましたよ、たぶん……会議終盤で濃青の朝服、見つけることができませんでした。あいつらと手を組んでいて大丈夫でしょうか」
「男子継承堅持、をちらつかせておけば行けると思うんだがなあ。だが思っていたより小心者かもな。あのゼスリーアの兄だからと思ったが、彼女のいかれっぷりに騙されたのかもしれん」
「右大公家を本当に追い落としたいのなら、今日は絶好のチャンスだったはずですがね......」
「まぁ…お坊ちゃまのほうは、情報取るぐらいで泳がせとけ。ゼスリーアはこれからが本番だ。しっかり繋いどけよ。証拠だけは、残さないよう気を付けとけ……わかったな」
後ろの暗闇に控える密偵に、セリフの後ろ半分を聞かせる。影がわずかに動き、是、と唱えて消えていく。
「ま、あちらも天理に背く言い分だということで強気に出てくるだろう。あらかじめ出した書状に書いたこちらの言い分に、応じるわけはあるまい。さて、どんな落としどころを持ってくるか、見ものだな」
「兄ぃは、どんな案だったら応じるつもり?」
「そんなの、聞かないとわからんだろう」
これからどう進めていくべきか。ネフェルナを補佐する文官たちは火の王の言葉に耳をそばだたせるが、全く考えていないという火の王の言い分に内心、愕然とする。が、これこそが火の王らしいのだ、と思い直す。
自分たちは、ネフェルナが思う通りに動けるように全力で補佐するのみだ。
「南方の辺境の土地をちょこっと分割、なんて言ってきたら断れ。それ以外なら、案次第だな」
「もう、もうちょっとは考えてよね。まぁ......辺境の地分割案以外なら、どんな案を持ってこられても、せいぜい不遜な態度で受け取って圧力はかけておくわよ」
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