暗くなる前に

 この高校に入ってから、もう一か月が経った。私にはどうしても仲良くなりたい友達がいる。


「委員長、一緒に帰ろ。そんで寄り道しよ!」

「帰りません。私、暗くなる前に帰らないといけないので」

「えー」


 そう言って、颯爽と荷物をまとめて彼女は、更衣室を去っていった。私と彼女は同じクラスで、そろって学級代表と副代表になって、同じバドミントン部にも入ったというのに。全然! 私の気持ちだけ一方通行で、距離が縮まらない。

 確かに、性格はけっこー違うかもだけどさ。能天気な私と、絶対真面目な委員長とじゃ、住む世界が違う感あるけど。でも、実際はこんなに住む世界一緒だし。

 だから二人合わさったら、すごくいいと思うんだけどね。あんま上手く伝わらない。


「あんたまた委員長にフラれてるじゃん。もう五月だよ。一か月近くおんなじ感じじゃん。こりないね」


一部始終を見てた、小学校からの幼馴染が言った。


「いやいや私、あきらめないから。委員長みたいな子が笑ったら、絶対可愛いと思わん?」

「なんだそれ。面食いってこと?」

「半分はそう。でももう半分は違うね。ツンツンな性格もいい」

「悪い女好きみてぇ。あんた、男に生まれなくてよかったね。一生女の子追いかけまわしてそうだもん」

「あー確かに。わかる」


 自分でも頷いてしまった。昔からとにかく友達と遊ぶのが好きだったけど、考えてみれば友達ってより女の子と遊びたかったのかもな。だって女の子は可愛いじゃん。可愛いものが私は好き。

 男に生まれてたら私、男友達いたのかな……いそうだな。ちょっと自信あるわ。

 まぁ、どっちでもいい。結局委員長と帰れてないし。そう言うわけで、今日は幼馴染と帰ることにした。


「これ、私消去法だよね?」

「まぁまぁいいじゃない。31でアイス食べよーぜ」


**


 また別の日、部活の居残り練終わり。


「委員長、今日こそ一緒に帰ろ!」

「帰りません。今日も暗くなる前に帰──っていうか、いい加減部内での委員長って呼び方やめてください。ここじゃ関係ないでしょ」

「えー、委員長の感じが、委員長って名前に似合ってるんだよね」

「意味が分かりません。あなたがここで副委員長って呼ばれ出したら、変でしょ?」

「全然いいけどね」

「あぁそう……」


 委員長はこめかみに指を置いて呆れてた。これはなんだかいける感じか? と私は思ったんだけど、委員長は気を取り直して、さっと真顔に戻って、「じゃあ今日も、お先に」と言ってさっと帰っていった。

 私は着替えてなかったから、「あっ、ちょっと」と情けなくも追いかけられず、今日も交渉に失敗した。

 居残り練は日によってメンバーがまちまち。塾の関係で先輩とか幼馴染は来たり来なかったり。私と委員長だけがほぼ毎日残ってて、火曜日の今日とかはよく最後の二人になる。で、たった今最後の一人になった。

 なんでそんなに嫌がるんだろう。なんかおうちに事情でもあるのか? だったらこっちから聞くわけにもいかんしな……と思いながら、どうしたものかと頭をひねった。が、マンガみたいに画期的なアイディアが浮かぶわけでもない。やっぱり積み重ねが一番だからと、明日の部活終わりもまた頑張ろうと、気を取りなおした。

 で、翌日。私は思いがけず事情を聞くはめになった。


 バド部の練習中、三グループに分かれたうちの、二グループずつが持ち回りでコートを使う時間がある。余った一グループは小休憩。更衣室で水を飲んだっていい。私もそうしてた。

 そのとき、同級生二人が話してた。


「委員長さ。中学のときめっちゃ大きい家住んでたんだけど、お父さんが仕事でやらかしちゃったらしくて、今は引っ越したんだって」


 私は『えー』と思ったけど、それよりもまず私が好きで使い初めた『委員長』呼びを、そんな噂話で使わないでよと思った。まぁ『委員長』は私のものじゃないけどさ。聞かん様にしよ、と思って更衣室を出ようとしたとき、噂話を聞いてた隣の子が言った。


「えー、委員長って確か帰る方向一緒だよね。今度、見に行ってみる?」

「……やめなー?」


 私はその二人とも全然話したことあったから、振り返って、釘を刺しといた。

 言いながら、扉を引いた。

 で、前を見たら、委員長と鉢合わせた。私はびっくりして固まった。

 委員長も、一瞬はこわばった顔のまま突っ立ってた。しかし何事もなかったような素振りで、スタスタと去っていった。

 いや、更衣室迄来たってことは、絶対なんか用事あったでしょ!

 何ていうためにだけ私も追っかけられず、しかめっ面を後ろの二人に向けた。


「後で謝んなよー? もー……」


 バツが悪そうに……でも二人とも悪い子じゃないから、素直に頷いた。

 それから、部活の最後まで、委員長は目を合わせてくれなかった。他の子に事情を聞いたら、軽い突き指をしたからコールドスプレーを使いに戻ってきたらしかった。使ったフリして戻ったということだ。

 その後の居残り練でも珍しいことに、っていうか初めて見たけど、いつの間にかいないと思ったら、早めに切り上げて帰っちゃったらしい。

 誰も個人的な連絡先を持ってないから、話も聞けなかった。唯一部内のグループラインには委員長も入ってるけど、そこから辿っても──本質的に? で合ってる?──繋がらないのは、流石にわかる。


 翌日。

 委員長はフツーに来てた。でもまだ目も合わせてくれない。私と、加えてあの二人には。

 二人に聞いたら、あの後ごめんとは言ったけど、本当にそっけなく「うん」と返されただけで、それっきりらしかった。まぁそんな風にもなるよね。っていうか、私だけとばっちりじゃない? 巻き込まれ事故なんですけど!

 そうして居残り練。練習のパートナーになろうとしても、近くに行こうとしても、するっと距離を取られてしまう。そんなことを繰り返されている内、流石に私もムッときた。すれ違いざまに言ってやった。


「ちょっと、私は全然、気にしてないんですけど!」


 思ったより大きな声が出てしまって、近くの他の部員たちの目も集めてしまった。仕方ない。もう止まれない。

 委員長も立ち止った。そして言った。


「私が気にするの! ほっといてくれる?」


 委員長の強い口調を初めて聞いた。ちょっとびっくりした。

 喧嘩みたいな雰囲気に、居残り練組の空気が一瞬ざわめくけど、今日は残ってくれていた幼馴染のあの子が、気にしない風なでっかい掛け声を出してくれた。それがきっかけとなって、空気が元通りになっていった。シューズが床を擦るいつもの音が、また聞こえてくる。

 流石や……助かる……ありがとう……!


 ──でもさ。

 ここまで委員長が構われるのを嫌う理由って何? 委員長がいいとこの私立からこの高校にやってきたのは、四月の自己紹介で聞いたけどさ。何かあったんだろうか。

 ──っていうのを、考えたくもなるし、探りたくもなるけど、本人が話してくれるのを聞くのが一番いいと、やっぱり私は思う。だから私は言う。


「やだ、ほっとかないね」


 委員長が唖然とした表情を浮かべた。でも私は引かない。

 皆、『気にしないで』とか『ほっといて』とかいうけど、だいたいそう言うのって純度100%の言葉じゃないなって、思うから。


「委員長も好きにそっけなくしていいけど、その分私も好きに構いに行くから」


 委員長の足が、半歩引いた。たじろいでる。構わない。こうなったらもう、意地の張り合いだし。


「なんで、そこまで?」

「いや、仲良くなりたいって言ってるだけじゃん!」


しびれを切らしたみたいに、私は言ってしまった。


「……」


 委員長が目を逸らした。恥ずかしそうにため息をする。言ってる私も私で、別に恥ずかしいけど、全然気にしてないふりをする。

 もう居残り練の他のみんなは、喧嘩じゃないことは察してくれたのか私たちのことを気にしないように、練習しててくれてる。どうにか、この会話も全然聞かれていないことを祈る。


「じゃあ……好きにしなよ。私も好きにするから……」


 うんうんと私は頷いた。交渉成立だ。これで私は大義名分を得た。強気に一歩踏み出した。


「じゃあ今日こそ、居残り練終わりまで、練習相手になって!」


 委員長が二度目のため息をついた。

 それから持ってた羽をラケットで下から打って、私に渡してくれた。びっくりして、お手玉するみたいに危うくキャッチする。

 そんな私に構わず、委員長が無言でコートの向こう側にあるいてった。

 私は小さくガッツポーズした。初めての、小さな勝利だ。


「あとで一緒に帰ろ!」


 欲張ってさらに声を掛けたら、首を振られた。流石にまだ駄目か。まぁ今日はいいや。少しずつ行こう。


 暗い理由も、暗い過去も、あったとしても、劇的に解決することなんてないんだろうし。高校からであっただけの私まで、暗く考える必要はないのだと思う。

 思っている。


「いくよー!」「うん」


 コート越しに声を交わした。交わせた。

 こういうのを積み重ねた先で、いつか君の口から、君の話たいことを聞けたらいいと思う。


**


 それから、また一か月くらい『一緒に帰ろう作戦』は連敗を重ねた。でも、一緒に練習するとか、柔軟するとか、着々と戦果は積み上げていった。

 そしてある日、転機が訪れた。

 居残り練で、また私たちが最後に帰る日だった。時刻は18時30分。夏前になると、居残り練の下限が伸びるのだ。


「今日も、一緒に帰ろ!」

「今日“は”、ね」


 更衣室で着替えながら、いつものように声を掛けたら、いつもと違う反応が来て私の身体にラグが起こった。


「今日……“は”?」

「うん。今日はまだ明るいし、いいよ。暗くなる前に帰れば、お母さんも心配しないから」


 私は一瞬フリーズした。そして動き出した。


「すぐ着替えるから!」


 半脱ぎの状態で焦って動きだす私を見て、委員長がくすっと笑った。私は運良く見逃さなかった。

 ほら! やっぱり可愛いんだから!

 嬉しさを心に秘めた。


 そんな、六月の下旬、夏至の日。

 暗くなる前に、君とまた、少し近づければいいと思う。

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