宝石洞窟
金のなる木。
そんなものはないけれど。
宝石のなる洞窟。
それはある。
あった。
ルビー、トパーズ、エメラルド。サファイア、クォーツ、ダイヤモンド。そしてゴールド。
大空洞、その内壁全ては七色の光を孕んで、反射して、天国とすら張り合える異世界を現実に作り出す。七つの大陸の地脈が合わさるこの土地は、不思議なことに宝石が分類無く、際限なく湧き出る。掘っても、掘っても。採っても、採っても。神様のキャンデーボックスのように、宝石の欠片を吐き出す。無限に、終わりなく。
街一つ分の空洞。そこは確かにすべて、昔、宝石で埋まっていたのだ。
百年前、ここが見つかった。
すると、この土地は世界で最も価値のある場所となった。
この土地の歴史が動き出した。
九十九年前、この土地を、J国政府が独占した。
八十八年前、世界は宝石であふれた。J国が際限なく輸出し始めたのである。一部の投資家たちが危ぶんだが、輝きの需要は止められなかった。皆、煌びやかに身にまとった。供給に際限がないから、あんまりにお求め安かったのだ。勿論、宝石は様々な装飾についた。大手アパレルチェーンの服だけでなく、靴にだって宝石があしらわれた。次には、建築物にもついた。果てには、道路にまでついた。反射光がよく、夜間の車たちの安全を区切ったのだ。
一方で、投資家たちが危ぶんだように、まず、ゴールドの価値が崩れた。だって、溢れたから。宝石で溢れた世界の中で、金色の輝きはもう、唯一ではなかった。有史以前から人に最も愛された色ではなくなった。多様性の中の、ただの一色だった。
七十七年前、この土地は世界ぐるみで閉鎖されようとした。だが、すでに手遅れだった。
六十六年前、価値が痺れ、止まった。
この土地にあふれた紙幣も、世界中にあふれた宝石も、誰も彼も、それが唯一のものであるのか、希少なものであるのか、確かに価値があるものなのかも、見分けられない。落とし物の宝石を、飴かと思って拾い上げた子供が噛み、その硬さに吐き捨てる。
五十五年前、争いが起こった。価値とは食料だったろうか。武力だったろうか。土地だったろうか。愛だったろうか。誰もそんなこと分からなくなった。
四十四年前、大勢が死んだ。飢え、殺され、行き倒れ、自決した、という。
三十三年前。世界は力をなくした。価値より先に、明日を求めた。誰も彼もが、宝石を纏うことを、諦めていた。
二十二年前、私が生まれた。
十一年前、この土地の権利が国際協定により、全ての国から放棄された。もはや封印なんてものも必要なかった。唯一、ちゃんと塞いでおりますよと言わんばかりに設けられるのは、宝石と比べるべくもなくみすぼらしい、鈍色の有刺鉄線。それだけではとても不十分だが、呪われた歴史が、十分すぎて補強する。
一年前、私はこの土地へ来るため海を渡った。
今日、正午、私はここへ来た。
とってもたくさんの審査と、管理手続きを終えて、中に踏み入ることとなる。
何より、こうも絢爛の美に溢れかえられると、かえって醜悪なものよりも、目を背けたくなる。本能的な感動と、理性的な恐怖。見てみたいと衝動と、見ていはいけないという直感の、自己矛盾。魔性。
こおこおと反響する風の音を、聞いているだけで足がすくんだ。けれどその風だけは、私に共感してくれている。怖いね、と。この風がやめば、私も正気を失って、魔性に呑み込まれてしまう、気がした。
街一つ分の空洞。世界を呪った価値の飴。噛み砕ければよかったものを。
私は、論文の取材のためここに踏み込もうとしていた。
その前に、ポケットの中から包み紙一つを取り出し開けた。
よっし、と。
安っぽさにに安心した。透き通っていないオレンジ色。ざらっぽい表面。口に含む。安直で、パンチのある柑橘味が口に広がって、鼻に抜ける。
この土地に来てから出会い、仲良くなった、こぢんまりした駄菓子屋の女の子。
彼女の一番好きな味。
私の一番になった味。
吸いこんだ酸素にオレンジの香りが乗る。私は洞窟の奥へと歩き出した。
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