星空と君と。
彼が消えて以来、僕はいつも通りの生活に戻っていた。だらしない義母の世話をして、義父からはぞんざいに扱われて、学校でも前のように1人に戻った。女子達は天川君の行方を気にして授業に集中できないようだ。彼の失踪は、クラスに大きな衝撃を与えた。先生達からは、「雨水、天川について何か知ってるか?」と散々聞かれた。でも、僕は何も答えないでいた。答えても、何も変わらないし、本当の事を言っても先生達は、子供の妄想だと決めつける。
そんな、何の変わりもなくなった生活をしている時、三島先輩に呼び出された。今日は学校はお休みのため、教室はとても静かだった。天川君の事だろうか、と少し緊張しながら部室へと向かう。
部室に入ると、三島先輩が椅子に座っていた。
「ごめんね、呼び出して。」
「いえ、あの、何の用事でしょうか…?」
そうう言うと、三島先輩は真っ直ぐに僕を見つめる。
「…天川君の事なんだけれど、彼、何者なの?」
「ー!」
僕は耳を疑った。彼女は確信を持ったように僕に言った。三島先輩は気付いていたのだろうか。彼の、正体に。
「別に、無理やり聞こうとは思ってないわ。」
「……」
三島先輩は、俯く僕を切ない瞳で見つめた。
「ただ、このところ、雨水君の様子が変だったから、彼の事が関係してるのかなって」
三島先輩は、私の観察力なめないでよ、と笑う。
「ー先輩、僕はどうすれば良いですか。」
気付くと僕は、そう呟いていた。ん?と彼女は優しくい声で聞き返す。その声に背中を押され、僕は今までの事を全部話した。彼は、もう一人の僕だということ。彼の過去、彼が今どこにいるか。彼が見えているのなら、隠しておく必要はない。彼女は難しい顔をして僕の話を聞いていた。勢いよく話してしまったけど、よくよく考えると先輩が信じてくれるかは分からない。ぼっちの僕が生み出した幻覚ではないのか、又は、そんなものは作り話だと、僕を迫害するかもしれない。
そう思ったが、彼女の反応は違った。
「そっか。」とそれだけだった。友達の話に相槌を打つような感じで、僕は拍子抜けする。
「信じてくれるんですか?」
僕の言葉に、三島先輩は優しく笑った。
「そうね。貴方がそんな嘘をつくとは思えないし、そういう事なら今までの事にも社交界、説明が出来るでしょ。」
「良かった…。」
「…彼は、今も記憶に世界にいるの?」
「多分…。自分は幸せにはなれない、僕を幸せにするために僕から生まれてきた個体にすぎないからって、」
「そう…。恐らく、彼は自分自身を肯定できていないのね。雨水君のそばで、雨水君を救う…それだけが自分の生き甲斐だと思ってるから、」
「そんなのって、ないです…。」
三島先輩の言葉に、僕は弱々しく反抗する。彼は僕から生まれたもう一人の僕だと言うが、彼も天川氷雨という1人の人間なのだ。なのに。
「…じゃあ、彼を救うしかないわね。」
三島先輩が軽い感じで言う。僕はばっと顔を上げて彼女を見上げる。
「もう一度、彼の記憶の中に入って、彼を連れ出すの。」
「そんなの、どうやって…、」
「もう、分かってるはずよ。…身体を見て」
三島先輩に言われて、僕は自分の身体を見下ろす。
すると。
「ー!」
僕の身体は光っていた。彼の消える時と同じように。
「せんぱー」
僕が言い終わる前に、僕の身体は半分以上光に包まれていて、そのまま完全に姿を消した。
1人残った彼女は、ふぅ、と小さくため息吐いた。消える前の彼の瞳は、天川君の事を思う強い気持ちが表れていた。恋愛でもなく、友情でもない、そんな言葉では表せない、名前のない、けれど、お互い想い合っている関係の彼らに、自分が入る隙はなかった。元々勝算もなかったし、フラれるって分かってたけど。
「…想い、伝えれなかったなぁ。」
…気付くと、僕は暗闇にいた。この感覚、いつぶりだろう。前来た時よりも、空間が重く感じる。
「天川君…どこにいるの?」
僕は辺りをふらふらと彷徨う。真っ暗で、何の反応もしない。しーんと静まり返った空間に、僕の彼を呼ぶ声だけが大きく響いた。
すると、背後に気配を感じ、ばっと後ろを振り返る。
そこには、踞る人の姿があった。それは、間違いなく天川君のもので。
「ー天川君!」
僕はその姿に近づく。彼に影がないことから、彼は本当に人間ではないのだと実感させられる。僕から生まれた、僕がなりたいと願ったもう一人の自分なのだ。
「ーこんなところにいないで、早くここから出ようよ。」
僕の呼び掛けにも動じない。ずっと、俯いていて、僕の方を見ようともしない。まるで、前の僕のようだった。殻に閉じこもって、1人で生きてきて。
「ー俺さ、まだ君と出会う前に作られた家族と過ごしてたんだ。」
「…え?」
ふと、彼が顔を上げずにそう言った。
「君を見つける事に必死になってたら、空腹で倒れて。そしたら、1人のおばさんが俺に買ったパンをくれた。そこから、良かったらうちで過ごさないかって言ってくれたんだ。」
「うん。」
「…おばさん家には、猫もいて、おじさんもいた。作られた家族だったけど、俺はとても嬉しかった。」
「うん…」
「でも、俺は勘違いしてたんだよね、」
「え…」
「俺はただの居候にしか過ぎなくて、俺に恩を作らせて、自分達に従うように仕向けていたんだよ。『貴方は私たちの大切な家族なの。だから、私達の言うことだけを聞いていればいいのよ。』って言って。」
「ひどい…、」
「俺は2人から寝てる間にこっそりあそこから抜け出した。もう誰も信用できない、そう思った時に、星街公園で君を見つけた。覚えていないかもしれないけど、俺達は昔に1回会った事あるんだ。」
「ごめん…、覚えてなかった。」
彼は苦笑する。小さい時の記憶は朧気だった。
「…だから、俺は静かに生きることにした。誰にも期待しないで、ただ君を幸せにしようと、」
彼から語られるのは、諦めと微かな期待の入った言葉で。彼はまだ全てを諦めているのではないと分かる。
「…僕は、君の全てを知らない。天川君が、僕がなりたいと願ったもう一人の理想の自分だというのも、正直理解できないよ。だって君は、昔は1人の人間として生きてきたんでしょ?こ、恋人を作ったりカラオケに行ったりして、」
「それはー」
「…前に、僕に言ってくれたよね。俺と逃げ出さない?って。あれ、本当に嬉しかったし、格好良かった。君がいなかったら、僕はこの世界を諦めていたと思う。」
「……」
彼は小さく首を横に振る。まるで、これから僕がいう言葉が分かっているかのようだった。
だから、僕はあえてとびきりの笑顔で言った。
「天川君。ー僕と逃げ出さない?」
その瞬間。
ーパリンッ
ガラスが崩れ始めた。ガラスの欠片が流星のように僕達に降り注ぐ。ガラスの一枚一枚に、彼の過去の断片が映し出されていて、僕の心に深く突き刺さった。猫を愛おしそうに抱える君。たくさんの傷を身体に抱える君。それでも、僕を見る目はとても優しくて。
「ごめんね、」
彼の身体は薄くなっている。段々と透明化していて、僕は思わず彼の手を掴む。
「…ごめん、ごめんね、」
彼はずっと謝りながら、僕から遠ざかっていく。僕は焦った。ここで諦めると、もう2度と会えなくなるかもしれない。
「…そんなの、嫌だ!!」
僕は彼の薄れていく身体をふわっと抱き締めた。
透けているが、彼の体温は確かに感じられる。
「これからは、君も1人の人間として生きてよ。僕は、もう成長した。この世界から逃げ出せた。天川君のお陰。」
「1人の…人間…」
彼の瞳が微かに光を浮かべた。
「だから、僕と一緒に、ここから出よう」
彼は、僕を真っ直ぐに見つめる。ずっと、僕の傍で、僕を支えてくれてありがとう。もう、大丈夫だよ。僕は
1人でも生きていけるから、影だった君はもう必要ない。君は、1人の人間として新しい人生を歩んで。
「ーさよなら、」
そう言葉にした途端、透明なガラスの壁が次々と壊れていった。
目が覚めると、そこは一面灰色の世界だった。何かが壊れた後のようで、鉄くずや、瓦礫が積もっている。ふと横を見ると、彼が倒れていた。
「天川君」と呼び掛けるが、何も反応がない。静かに眠る様子は、生きているようには見えなくて、僕は冷や汗が出た。
何度呼んでも身動き1つもしない。説得に失敗したのかもしれないと、不安になる。瓦礫の表面はキラキラとした結晶の粉末が付着していた。瓦礫の積み重なった空虚な世界で、大切な人を失った世界で、僕はどうすれば良いのだろう。
「…もう一度、会いたいよ。」
すると。
「…雨水君」
天川君が小さく呟いた。僕は彼を振り向く。彼はゆっくりと身体を起こして、辺りを見渡した。
「ここは…」
「分からない。…僕のこと、覚えててくれたんだね。」
僕がそう言うと、彼は考え込むように首を傾げて言った。
「何でだろうね。君が俺を肯定してくれたのが嬉しかったのかな、」
彼はそう言って優しく笑うが、僕はその理由が何となく分かっていた。彼が僕を覚えているのは、僕がそう願ったからだ。彼に会いたい、もう一度だけ会いたいと願ったから。でも、それは言う必要はない。僕だけの秘密だ。
「…これからどうしようか。きっと、このまま戻ったら大騒ぎになるよね。そもそも戻れるのかすら分からないけど。」
彼が言う。辺りは瓦礫だらけで、どことなく霧もかかっている。
「僕は、きっと親に怒られるな。長い時間家を放り出して、何してるんだって」
義母の事だから、今頃息子がいなくなって混乱して精神的にも危うくなっているに違いない。義父も、そんな義母とは別れてまた別の女性と結婚していることだろう。子供は親の言いなりになるのが当然だと思っているあの人達には、丁度良い塩加減だ。
「大丈夫なの?」
「うん。もう少し、頑張ってみるよ。」
「そっか。…俺はどうするかな、」
元々僕から生まれて、影を持たなかった彼。しかし、1人の人間として生まれ変わった今、彼には色々な選択肢があった。
「とりあえず、おばさんのとこに行ってみるかな。覚えてるか分からないけど、」
「良いと思う。…でも、どうやって戻るんだろう。」
出口らしきものが見つからない。そもそも、ここはどこなんだろうか。気付くとこの世界に居た。
「ー分かったかも。雨水君、手を出してくれる?」
「うん、」
僕の差し出した手を彼はそっと握り、目を瞑った。
「ー俺と、雨水君で、もう一度この世界を、頑張って生きてみるよ。だから、もう安心して…流星」
「ーえ、」
彼がそう呟いた途端、瓦礫がボロボロと壊れていく。
瓦礫の重なりが崩れ落ち、僕は身体が前に落ちるのを感じた。すると、彼が僕の手をもう一度掴んで、
「ー大丈夫だよ。」と囁いた。彼の手は、確かな、人間らしい体温が感じられた。
それは一瞬の事で。僕達は手を繋いだまま、気付いたら星街公園にいた。辺りは真っ暗で、夜空がキラキラと輝いている。
「…あの世界は、過去の俺が見せた世界だったんだよ。君と出会う前の、俺の過去の世界」
そんな、SFみたいな展開が本当にあるのだろうか、と疑ってしまう。ファンダジーじゃあるまいし。
「…そっか、」
そう思ったけれど、僕は彼の言葉を信じたかったから、頷いた。
「あと、三島先輩は天川君の正体に気付いてたらしいよ。」
「えっ、…流石先輩だね、」
「ね。」
三島先輩は最初から彼の事に気付いていたのだと思う。何というか、先輩はすごいと感じた。
「あーあ、明日から普通に学校じゃん。絶対色々聞かれるよ。俺たち」
天川君は面倒さそうに、でもどこかすっきりした顔でそう言った。明日からの事を考えると、僕も憂鬱になりそうだが、彼が一緒なら大丈夫だと思えた。
「そうだね。でも、僕は天川君となら大丈夫だよ。何かあれば、三島先輩も詩音先輩も助けてくれるから、」
「確かに。そう思うと、俺らって無敵だよね」
「ね。」
僕達は互いに笑い合う。そんな僕達を、星空が静かに見下ろしていた。
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