変わりゆく世界と君の秘密。

彼に連れてこられたのは、古ぼけた遊具が印象的な、小さな公園だった。遊具はブランコだけ。他は何もない。

「ここは…、」

「星街公園。今はもう使われなくなってしまったけど。」

ブランコがゆらゆらと自然に揺れる意外、音がしない。昔、星街公園は、星がよく見える場所として有名だったが、大きな建物が建つと、すっかり存在を忘れ去られてしまっていた。

「ここ、星がよく見えるんだ。だから、いつもここで過ごしてる。」

「お家は…」

「あー、ちょっと、ね。」

彼がぽつりと呟く。声からは何の感情も読み取れなかったが、あまり聞いたらダメな事だというのは分かった。まだ知り合って数日の僕達に、秘密を打ち解けられる空気感はない。僕は話題を変えようとした。

「どうして教えてくれたの?」

「…何となく、かな。」そう言って彼は、少し寂しそうに笑った。

「君に、見せたくて。」

真っ直ぐに見つめられ、僕は戸惑う。

「…風が心地良いね。星空も、いつもより輝いて見える」

僕の言葉に、彼も静かに頷く。

しばらくそうしていると、「くしゅんっ」とくしゃみが出た。パーカーを着ているとはいえ、少し肌寒い。彼は優しく笑うと、僕に向き直った。

「そろそろ帰ろうか。ごめんね、付き合わせて」

「別に…また、ここに来てもいい?」

そう言うと、彼は一瞬眼を見開いた後、嬉しそうに

「いいよ。いつでも。」と頷いた。


彼と別れ、玄関のドアを開く。義母はまだ帰っていないみたいだ。恐らく、バーに泊まるつもりだろう。僕は嬉しかった。部屋に戻って、寝巻きに着替える。ベッドにダイブし、僕はぼーっと天井を見上げた。

「ー天川君、」

彼の名を呟いた途端、先程までのドキドキ感が蘇ってくるのを感じた。出会って数日の僕に、優しく話しかけてくれた。あの幻想的な景色を見せてくれた。

「ー早く明日にならないかな。」

僕は、そんな思いを抱いたまま眠りについた。


翌日。

僕はいつもより早めに教室に着いた。別に何かあるわけでもないが、ただ何となく早く来ようと思ったのだ。教室は僕以外誰もいなくて、とても静かである。

ーピロン

着信音が鳴った。返信者は義母だ。嫌な予感がしながら通知を開く。

『今日は何時に帰ってくるの?貴方に嬉しいお知らせがあるから、早く帰ってきて頂戴。 』

「嬉しいお知らせ…、」

朝から義母が機嫌良かったのはこのためだったのか。

『今日も部活あるんだけど、』

送信すると、すぐに既読がついた。

『ダメよ。早く帰って来なさい。』

僕ははぁ、とため息を吐いて、『分かった。』とだけ返信する。

部活を休むのは、初めてかもしれない。

「ーおはよう、雨水君」

「わっ、天川君…おはよう、」

横からひょいっと顔を覗き込まれ、僕は驚いて肩がびくっと震え上がった。

「ため息吐いてたけど、どうかした?」

彼が尋ねる。

「あ、今日は部活休むんだ。だから、残念だなーって」

僕はなるべく明るく答えて見せた。

彼はそっかー、と浮かない顔をする。

「何か用事?」

「え、あ、別に…。」

そこで会話は途切れ、タイミング良く先生が入ってきた。


放課後。僕はロビーの前にいた。今日は誰とも話していない気がする。天川君とも、朝の会話以来、全く話していない。元々住む世界が違うし当たり前なのだけど。

はぁ、と憂鬱なため息を吐くと、自転車に乗り込んだ。


「ただいま」

家の中に入ると、何やら話し声が聞こえてきた。玄関には、見慣れない男物の靴が並べてある。

僕は嫌な予感がしてそっとリビングルームへと向かった。

リビングルームでは、義母と1人の男の人が仲睦まじい様子でソファーに寄り添って座っていた。

「…何、これ」

僕の掠れた声に反応したのか、義母達が慌ててこちらを振り返る。僕の姿を見つけると、とても良い笑顔でこちらに走ってきた。「丁度良かったわ。私、この人と再婚するの」

「…そうなんだ」

僕は別に驚かなかった。元々嫌な予感はしていから。義母が機嫌の良い時なんてろくな事じゃない。

「初めまして。流星君だよね?恵梨香から聞いてるよ」

男の人は、体格の大きい、中年のおじさんだった。禿げかかった髪と、細い眼鏡が特徴的で、お世辞にも良い人とは言えなかった。男の、義母を見る目は未だ獣のようで、熱く燃えている。微笑んではいるが、僕の存在を瞳に映していない。邪魔だ、という雰囲気が消しきれていなかった。

「どうも…」

僕は軽く会釈だけすると、リビングを出て二階へと上がった。下から義母の何か言う声が聞こえるが、無視する。

僕は部屋の鍵を閉め、ずるっとその場にしゃがみ込んだ。

ーピロン

スマホの着信音が鳴る。僕はスマホを取り出してメールを開く。送信者は天川君だった。

『今日は大丈夫?明日は部活ないらしいよ。』

メッセージと共に、心配している様子の可愛いくまのスタンプが送られてきた。天川君、こんな可愛いスタンプも使うんだな、と思う。

『大丈夫。ありがと』

そう送ると、すぐに既読が付いた。

『そっか。…良かった。』

『ありがとう。また明日』

僕は送信するとスマホを放って天井を仰ぐ。

そっと目を瞑ると、意識がゆっくりと薄れていくのを感じた。


「雨水君、今日の夜空いてる?」

朝のSHRが終わった時。急に天川君に話しかけられた。

「特に何もないけど…。どうして?」

僕は聞き返す。彼は楽しそうに大きく頷いた。

「そう。また、星街公園に行きたくない?」

「あ、…行きたい。」

僕が反射的に頷くと、彼はくくっと面白そうに笑う。

「良かった。」

彼の明るさは、僕みたいな暗い色も吸い込んでいく。

「じゃあまた放課後ね」

「うん。」

僕は早く夜にならないかな、と内心ドキドキしていた。


「さよーなら」

午後のSHRが終わり、生徒達は部活や、委員会などで教室から出ていく。僕は先に帰ることにした。天川君は、クラスメートに囲まれて話しているから、邪魔しちゃいけない。それに、夜になったら会える。僕はワクワクしながら帰路に着いたのだった。


ー家の中は、いつものようにお酒の匂いが充満していた。それだけでなく、煙草の匂いも混ざり合っていて、僕は思わず口元を手で覆う。

2人とも僕が帰ってきた事に気付いていないらしく、寄り添い合っていた。…夜ご飯はコンビニの惣菜でいいか、と思い、ただいまも言わずに二階へ上がった。

部屋に鍵をかけ、窓を開ける。ひんやりとした風が部屋の中に入ってきて、涼しい。

ふと、一階の外に人影を見つけた。僕はハッとして急いで階段を駆けおりる。

ーガチャッ

「おわっ、びっくりした。慌てすぎ」

彼…天川君はそう言っておかしそうに笑う。僕は恥ずかしくなって思わず俯いた。

「行こ」

「…うん。」

星街公園は、前と変わらず静かだった。

2人でベンチに腰かける。

ふと、天川君がの夜空を見上げて呟いた。

「…雨水君に、聞いて欲しいことがあるんだ。」まるで、お伽噺でも聞かせるような、優しい声だった。

「…何?」

「ー前にさ、記憶の世界に閉じ込められたらどうするって聞いたの覚えてる?」

「え…、あ、うん。」

それが何なのか。僕には理解出来なかった。

「あれさ、あながち嘘でもないんだ。」

「…?どういうー」

「ー俺は、本当は。…君に会うために、戻ってきたんだよね。」

僕は驚いて彼を見上げる。彼は、今にも消えてしまいそうな儚い瞳で僕を見つめていた。

「これから話す事、きいてくれる?」


俺、天川氷雨は元々、雨水流星のもう一つの人格だった。大人しい彼が願ったもう一人の自分。俺は彼から派生した人格者だが、一人の人間として生きてきた。恋をしたり、カラオケに行ったり、普通の一人の人間として過ごしてきた。俺は彼に出会った時すぐに気付いた。彼は俺の本体だという事に。俺の願いは、彼が幸せになること。そのためなら何だってする。だから、彼の入っている部活に自分も入部し、彼の近くにいて、手助けをしようとした。そうして少しずつ交流を深めていったある日、俺の身体が光だした。何も聞こえない、見えないまま、俺の意識は遠く、闇に包まれた。


目が覚めると、俺は光っていなかった。この不思議な現象は度々起こった。俺は、焦った。身体が光だしているのは、彼との別れが迫ってきている証だと分かったから。だから、俺は彼を星街公園に連れて行く事にした。そこは、俺と彼が初めて出会った場所だった。俺との出会いを思い出してくれたら、君を救えるきっかけになるかもしれない。でも、彼は覚えていなかった。

彼か家庭の事で何か抱えているのはすぐに気付いた。俺にできる事は、あの窮屈な場所から連れ出すことだけ。それを、彼が望むかは、わからないが。とにかく、俺は彼を幸せにするために彼から生まれてきた個体なのだ。君を幸せにするために…。


僕は、彼から語られる言葉に頭が追い付かなかった。彼は僕が生み出した、僕の理想とするもう一人の自分。そんな彼の目的は、僕を幸せにすることで。…じゃあ、天川君自身の幸せは?

「そんなの、知らない...。」

僕は思わず呟いてしまった。すると、彼の瞳が大きく、悲しげに揺れた。あ、と思った時には、もう遅く。

ーポワッ

彼の身体が光だした。彼はあーあ、と諦めたような、枯れた笑い声を上げた後、ニコッと笑った。

「…もう、大丈夫なのかな、」

「ー待って!」

僕の声も空しく、彼は光に包まれながら消えてしまった。消える前に残していったのは、彼の透明な雫だけだった。


…気付くと、僕は暗い闇の中にいた。辺りは静かで、気配も、足音もしない。ここは、どこだろう?

すると。

ーポウッと向こうに何かが光ったのが見えた。僕はほぼ無意識の状態でその光る方向に向かっていた。

光を辿っていくと。

「…!天川君、」

僕は思わず声を上げる。彼は大きな透明な壁の向こうにいた。僕を見つけると、苦笑いをする。

「何で来ちゃうかなぁ。ー俺は、もう」

「ここから一緒に逃げ出そうよ!!」

「え……?」

僕の大きな声に、彼が目を見開いた。僕は恥ずかしさも忘れて壁の向こうにいる彼に喋りかける。

「ずっと記憶に閉じ込められているなんて、変だよ!…今度は僕が天川君を救いたい。」

「…何言ってるの。俺に幸せはいらない。君が幸せになる事が…」

「そんなの知らないっ!そんなの頼んでないよ!」

僕の遮る強い否定の言葉に、彼はイラついたのか、僕を冷たく睨み付けた。いつも明るく笑ってる彼の、冷たい瞳は怖い。僕を真っ直ぐに見据えるから。

でも、怯えてる暇なんてない。

「だから、」

「…俺の、何を知ってるの!?」

「ーっ、」

彼の悲痛な叫びに、僕は肩が震えた。暗闇に、彼の切ない、苦し気な声が大きく響く。

「俺は君が願ったもう一人の君。明るくて、人気者で優しい、君のそんな理想から生まれたんだ。君が幸せになったら、俺は消える。だって、俺は必要なくなるから。」

「……。」

「もう、ここには来ないで。」

彼はそう言って背を向ける。その背中からはしっかりとした拒絶を感じ、僕はショックでしばらく立ち竦んでいた。


そして、気付くと、僕は元の世界にいた。静かな風が吹き、星が燦々と輝いている。何の変哲もない、いつも通りの世界。

そんな世界からー彼だけが消えた。抱えていた想いと、真実を残して。































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