第8話
ルクスは初老の男オムナに感謝していた。見ず知らずの自分の為に宿を貸し与え、食べ物や飲み物でもてなし、更には剃刀まで用意してくれた。そしてなにより《世界》について知っている事を教えてくれたことは、これからの自分の旅路を考えた上でとても有益な情報だった。
身体が負ったダメージもすっかり癒えた。そろそろここを出ようと考えたルクスだが、その前にオムナに何か感謝を形にできればいいのだが。
『感謝する事、とても大事なことよ。人に、他人に、自分に、感謝できる人になってね』
大切な人からの言葉を思い出しながら、どうしたものかとオムナが用意してくれた髭剃りで顔を覆う髭をゆっくりと剃りながら考えていた。
いつもであれば夕方まで小屋にいるオムナは今はいない。小屋で使う薪を割るための斧が壊れてしまい、その代わりに借りた鉈を返すために一度村へ戻っていた。
覆われていた髭を落とし、現れた素顔には細かい傷や深い傷が数カ所刻まれていたが、それらの傷が目立たない程、ルクスの若く美しい顔立ちが目立った。
整った顔立ち、金色の滑らかに伸びた髪、吸い込まれそうなほど深く澄んだ碧色の瞳。得も言われぬルクスの容姿は、怖いほどに美しかった。
髭を剃り終え、オムナが準備をしてくれていた水を口にした時、ルクスの右の瞳に疼きが走った。右の瞳の疼きは、悪報と凶報。ルクスは感じたまま小屋を出て、ゆっくりと一方へ進んだ。雪に覆われた薄暗い森を抜け、集落の様な物、集まる人々、そして倒れこむ初老の男がルクスの目に入る。
仰向けに倒れている男の首には小さいが深い傷があり、そこから溢れだす血が雪を赤く染める。突然の様に姿を現したルクスを見て、集まった村人たちは驚いた。巨躯から発せられる威圧感に足を震わせ、美しすぎる容姿が相まって恐怖を感じた。ゆっくりとこちらに近づくルクスに皆たじろぐ。
最も近づいた時、村人の誰かがルクスの姿に「精霊......様?」と呟く。ルクスは、血を多く流し、倒れていたオムナの上半身をそっと起こして支えた。目からはゆっくりと光が失われつつあった。
「あ、ああ。あ、んたか。」
微笑んだ。震える唇からは、か細く声が漏れた。
ルクスは、「何か望みはあるか?」とオムナに問い、オムナはかすかな声でルクスに伝えた。
オムナの命の灯火がしぼんでいくのをルクスは見続け、そして瞳から光は失われ、命の灯火が消えた後もオムナの肉体から温もりが失われるまで支え続けた。厳しい大陸北の寒気は容赦なく冷気を浴びせ続け、すぐにオムナの肉体から命の温もりが失われた。
オムナの体をルクスはゆっくりと雪に覆われ所々赤く染まる地面へ降ろし瞼を手で閉じた。村長の息子ビジをはじめ、その様子をただただじっと見つめていた周りの村人達は、ルクスから醸し出される圧にたじろぎ動けなかったが、次第にその圧が強くなっていくのを感じた。どんどんどんどん強くなり、村人の何人かはその場でしゃがみこんだり嘔吐するものまで現れた。
「これは、いったいどういうことだ?」
ルクスは周りを軽く見渡し、自分を囲う脆弱な群れの先導者であろう人物ビジにすぐに目星をつけ、視線を送り質問した。怒りも憎しみもない、ただ純粋な疑問からくる質問を投げかけられた。
「こ、こいつが俺たちを襲おうとして、それで、はずみで、仕方なかったんだ!全部悪いのはこいつなんだ!」
青ざめた顔で自分に言い聞かせるように叫ぶビジの手には刃を血で濡らす鉈が握られていた。ルクスは思った。オムナがどんな人間だったかは知らない。恐らく脆弱な群れの中で虐げられていたのだろう。だからと言って彼らを責める気は毛頭なかった。オムナが弱かった、ただそれだけだったのだろうから。
しかしルクスはオムナに恩がある。感謝をし、報いなければならない。オムナは望みを言った。
「こ、こいつら全員、いなくなんねぇか......なぁ」
ルクスはオムナへの感謝を形にするために、望みをかなえる事にした。
『感謝する事、とても大事なことよ。人に、他人に、自分に、感謝できる人になってね』
「ルーヴァ」
ルクスが小さく唱えた瞬間、周囲が感じていた圧が一瞬にして消えた。
代わりにルクスを中心に波紋の様に何かが空間を伝い広がり、それは囲う村人全員を通り過ぎた。
そして静かに全員の首が同じタイミングで胴体から滑り落ち、まるで赤い花が咲いたかのように血が噴き出し、一面の雪を真っ赤に染める。
生き残った者はなく、アルカ村は粗末な家屋だけを残し人知れず滅びた。
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