第2話

 初老の男オムネは、ひとり愚痴をこぼしながら籠を担いで森を歩いていた。向かう先は森を抜けた先にある絶壁。神々の聖域と呼ばれる広大な山脈のほんの一部である巨大な壁に向かっていた。山脈に近づくにつれ、風が強くなり冷たくなってくる。


 オムネが住む地域は大陸北部で年中雪が降っているような寒冷地だが、ある一定の距離まで山脈へ近づくと、その寒さは格段に増す。オムネをはじめ寒さに慣れている住民たちであってもその寒さは耐え難い。森を抜け、絶壁の根元にたどり着くとそこには古びた外観の小屋があった。


 顔にあたる雪を鬱陶しがりながらオムネはその小屋に入った。小屋の中は暗くほとんど何も見えなかったが慣れた動きで背負う籠を降ろし、部屋の中央にある炉に、隅に積んであった薪をくべ火を点け燈と暖を灯し、上着を脱ぎ、天井からつるされたフックのようなものに上着を掛けて炉から発せられる熱で雪に濡れた上着を乾かした。


 ぽたぽたと上着に着いた雪が解け床に雫を垂らす中、背負ってきた籠に雪除けの為にかぶせてあった革のカバーを外し、籠の中からいくつかの根菜、魚のようなものの干物、小さな陶器の瓶をとりだし、小屋の一番奥にある木製の台座に置いた。オムネは台座の前でひざまずき合掌して、ブツブツと何かを唱えだした。およそ一時間程唱え続け、そのあとため息をつくように大きく息を吐いた。


 台座に置いた小さな陶器の瓶を手に取り、瓶のふたをはずし、煽った。瓶から流れ込んだ液体を飲みこむと、広がる酒気が鼻を通ってその独特のあまっだるい臭いに咽る。しばらくして咽りが落ち着くと、また大きく息を吐いて炉の前に移動し、くべられた薪に目をやると、薪の乾きが甘いのか火の入りが悪い。


 「ガレ・ブリーズ」そう唱え、炉に向けてかざされた片手のひらから静かにゆっくりと風がおこり、その風に煽られ薪の中の炎が膨らみ赤く薪を焼く。


 「なんで俺がこんなことしなくちゃならないんだ」「俺は何でこんなところに生まれちまったのか」「ビジのやつ!あること無い事言いふらしやがって」


 オムネはしばらくひとり愚痴るように独語を吐き続けた。しばらく時間が経って独語もいつのまにか話さなくなり、ただただ、ぼーっと炎に焼かれる薪の緋色を見つめた。


 アルカ村のオムネは、巫師の家に生まれた。アルカ村では、神々の聖域と呼ばれる北の山脈に住まうとされる精霊を信仰し、その精霊の力を借り村に息災をもたらすことが巫師にできると考えられていた。


 幼少の頃よりほぼ毎日、絶壁の根元に立てられた小屋、村人たちが祭壇と呼ぶこの場所に赴き祈祷を行ってきた。アルカ村は北の山脈にかなり近い場所にあり、人が生活していくには厳しく難しい土地であった。山脈に住まう精霊への信仰を高めるため信仰者数名が修行の地として住みだしたのが始まりだと伝えられていた。その際に信仰者たちの先頭に立ち最も敬虔な信仰者だったされるのがオムネの祖先とされていた。


 オムネの家系には代々特別な力が宿ると口伝され、立場は村の中でも上位の存在だと扱われていた。しかし代を重ね年月が経つごとに村人たちの信仰はゆっくりと廃れていった。祈祷を続けても一向に良くならない生活、伝統を古臭く不憫に感じる空気感、別の土地では幸せに暮らせるといった噂。


 こういったものが積み重なり、村人たちは、与えてくれない信仰をわずかに嫌い、沈黙する精霊を小さく蔑み、精霊と言う見た事のない存在そのものを何気なく疑うようになった。しかし生まれた時から刷り込まれてきた信仰を完全に否定して万が一精霊が存在し、己に牙を向けてくるかもしれないという恐怖は深層心理に働きかけ、信仰を否定する事にブレーキを掛けていた。


 ブレーキを掛けた心の摩擦はストレスという形で徐々に現れ、その矛先は当代の巫師であるオムネに向けられた。当代の巫師であるオムナであるが彼もまた、むしろ彼が最も精霊や信仰を疑っていた。物心の着く前から祈祷を毎日続けているが、慣れることは無く毎度寒さを辛く感じる。


 父や家族からは巫師であることに誇りを持つよう常日頃から言われていたが、他の村人からは敬われているというより疎外感を感じていた。そんな家族も病で全員亡くなった。特に幼い妹の苦しむ姿は耐え難く、縋る思いで寝食を忘れ精霊に祈りを捧げたが助かることはなく、妹は苦しみきって死んだ。何故助けてくれなかった?妹の苦痛に歪み続けた顔はオムナの記憶に深く刻まれ、それは心に影を落とし、信仰に大きな穴を開けることになった。


 オムナは、信仰を疑っている。しかし、祈りは続けていた。祈る事が彼の仕事であり、生きるためにそれしかできないからだった。村人から懐疑的な目を向けられながらも、巫師として祈り、村人達からの布施を頼りに生に縋って、気がつけば初老と呼ばれる年齢になっていた。



 オムナが小屋に来てからしばらく時間が経ち、炉に焚べた薪はすっかり炭になり、火の勢いは弱く、温められていた小屋の空気も壁からゆっくりと外気が伝わり冷え始め、さぁ村へ戻ろうとオムナが思った頃、小屋の入口の戸を叩く音がした。


 オムナは目を見開き、入口の戸に顔を向けた。村のやつか?いや、あいつらがここに来るなんてありえないだろう。今までそんなことはなかった。じゃあなんだ?動物?魔物?何者かは戸を叩き続ける。戸を叩く音には意思があり、小屋の中に誰かいないか確認するために戸は叩かれていて、戸を叩いているのが人である事は間違いないだろう。


 野盗?いや、こんな人気ない場所で盗みを働こうとする人間かいるはずない。じゃあ誰なんだ?村人、村人だよな?一向に戸を叩く音は止まず、言い様のない恐怖が心臓の鼓動を早める。


 オムナは、どうすればいいか考えるが、考えれば考えるほど村人が訪ねてきたといった考えにしか至らない。村人だった場合、オムナは訪ねてきた村人にびびって小屋の戸を開けられなかったなんてホラを言いふらされるかもしれない。


 もし訪ねてきたのが、村人の中で一番目障りなビジだったら、有る事無い事を言ってまわるあいつの事だから間違いなくそうなる。間違いない、村人だ。日頃から感じる村人達の鬱憤が湧けば、占めていた恐怖はむかつきに染まり、それは思考を短絡的なものにした。


 「うるせぇぞ!誰だ!?」


 オムナは、叫びながら戸を勢いよく開けた。外は夕暮、雲を降らす色濃い灰色の分厚い雲の隙間からいくつもの茜色の光の筋が、ここら一帯の雪景色を不規則に照らす。


 しかし小屋の戸を開けた先にはそういった風景は見られず、あったのは影。戸の口を塞ぐ大きな影がオムナな視線を遮った。えっ?と困惑したオムナはすぐにその大きな影に浮かぶ碧い二つの光に気がついた。


 その碧い光がすぐに眼である事に気がついた。戸からながれこむ冷たい外気に晒されながらオムナの背筋は一気に凍った。目の前に現れた碧い瞳を持つ大きな影は、怪物の様だと恐れ慄き、腰が抜けてその場で尻餅をついた。

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