第6話 - 『ずれてしまったのは、音じゃなかった。』

授業が終わった教室は、まるで誰かが意図的に静けさを置いていったかのように、ひどく静かだった。

生徒たちの騒がしい声は廊下の向こうに遠ざかり、窓の隙間から入り込む風の音だけが机の上をそっと撫でていく。


窓際の席に座ったまま、僕はふと教室の中を見渡した。

残された机、整っていない椅子、そして——一枚のプリント。


机の上に置かれていたその紙を見た瞬間、昨日と同じ光景が頭に浮かんだ。

何も言わずに置かれ、何も言わずに去っていく彼女。

その単純な繰り返しが、いつの間にか僕を「待つ」状態にしていたことに、自分でも驚いた。


『ただの偶然だろう。』

頭ではそう思っていた。だが、心は違っていた。

僕は今日も無意識に窓の外を眺め、廊下を通る足音に耳を傾けていた。


そして——彼女は、やはり声をかけてこなかった。

それがむしろ自然に思えた。

言葉がなかったからこそ、余計にいろいろ考えてしまうのかもしれない。


いつの間にか僕は、彼女が歩いてくる方向を覚え、すれ違う瞬間の空気の変化を感じ取るようになっていた。

それは風のようにかすかで、水面に落ちる小さな波紋のように消えていく感情だった。


今日も同じだった。

僕は窓の外を見つめながら、心を落ち着けようとしていた。

だけど——なぜだろうか。


今日はやけに、音楽のリズムがずれて聞こえた。

いつも聞いているはずの声が、どこかよそよそしく響いた。


ついさっきまで何事もなかった教室に、「違う時間」が流れ込んできたような気がした。

彼女が通り過ぎた場所には何も残っていないはずなのに——僕の視線は、なぜかそこに引き寄せられていた。


その瞬間は、なんてことないように過ぎ去っていった。

それなのに、心のどこかが静かにざわめいた。


その感情が何なのか、僕にはまだよく分からない。

でも——


それがある限り、今日も昨日と同じように続いていく気がした。

そして、もしかしたらほんの少しずつ変わっていくのかもしれない——そんな気がした。

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