第4話 規則正しく

 優しく体を揺すられて目が覚める。布団から見えた外の景色はまだ薄暗く日の出まではもう少しありそうだ。


「ほら、起きて身なりを整えないとよ。主人、意外とそういう所厳しいから…眠たいかもしれないけど、今起きた方がいいわ」


 奥さんが俺を起こしに来たらしい。すみません、と聞こえるかどうかの声量で声に出す。伝えるというより、言ったという事実があればいい。髪を整え、顔を洗いリビングへ向かう。主人は今起きたようで、コップで何かを飲みながら窓の外を眺めていた。

 奥さんが昨日と同じパンと白いスープを出してくれた。スープは昨日のシチューを作りかえた物だろう、味がすこし似ている。元の世界とは違うと思っていたカレンダーや時計は実質的には同じ物だった。時計は一周は12、カレンダーは月と日がある。しかし書記言語が違うようで、俺はこの世界で話はできるが書いたり読んだりが不可能なようだ。

 時間を見つけて少しずつ勉強した方がよいかもしれない。


 勉強した方がよい?何をもってそう思うのか。こんなの夢だ、よく考えたら何なんだこれは。トラックにひかれて、変な手続きをして、今は田舎の村にいる。どこからかは分からないが、こんなのは夢だ。

 きっと現実の俺は意識不明で、何かの拍子に目が覚めるに決まっている。目が覚めたら煙草を吸って、大学をやめよう。そして俺のことを誰も知らない土地まで行き、だらだらとその日暮らしでも始めよう。


「えっ!どうしたの、なにかあったのかい」


 あまりにも、あまりにも不甲斐ない現実にいつの間にか涙が出ていた。奥さんは心配そうに俺に声をかけ、主人は何を言うわけではないが驚いた顔をしている。奥さんに背中をさすられ、優しさにまた涙が出た。

 ごはんが美味しくて、という一言しか口から出なかった。声は頼りなくふるえて、もう何の涙なのか分からなくなってきた。優しさに触れるたびに、俺自身の駄目な人間性が浮き彫りにされるようで苦しくなる。

 俺が落ち着いた時には主人はもう家を出ており、俺は奥さんの手伝いをすることにした。


 食器洗いや洗濯物、食材の長期保存用加工、木の実の収穫を手伝った。パッと見はブルーベリーとラズベリーのような木の実だった。今の気候と収穫時期を考えると、やはり初夏くらいなのかもしれない。元の世界の常識が通用するならばだが。

 採ったベリーはジャムにして外部の街へ卸しているらしい。


「今年は採取量が多いから、一部固形ジャムにするわ。少し大変だけど、手伝ってちょうだいね」


 木の実を大きな鍋で煮詰め、大量の砂糖を加える。砂糖ではない別の単語だったが、甘かったので俺の中では砂糖と呼ぶ。これからも元の世界と同じような物が出てきた時には、訳して呼ぶことにする。どのタイミングで元の世界へ戻ってもいいように。戻りたいわけではないと思うが、知らない場所にいるストレスが多少軽減される気がする。

 そんなことを考えていたらジャムはずいぶん煮詰まった。奥さんは慣れた手つきで殺菌した瓶にジャムを移してゆく。レードルはレモンのようになっており、両側が注ぎ口になっていた。利き手がどちらでも使えるようにだろうか。


「なにか珍しいかい?」


 鍋を混ぜながらレードルを凝視していたのが不思議に思われたのか、少し笑いながらそう聞かれた。俺は少しびっくりして当たり障りない返事をするだけだったが、昨日や今朝より声が出せた気がする。奥さんはそれが嬉しかったようで、その後も少しずつ話しかけてくれた。

 この世界も悪くないかもしれない。ここで人生の終わりまでジャム作りをするのもいいと思い始めていた。


 日が落ち、主人が帰ってくる。農村から少し離れた場所に牧場があるらしく、そこで動物の世話をしたり食肉の加工を行っているらしい。骨も革も肉や血を落として街の加工工場へ売るとのこと。村の男性は日中ほぼ全員が牧場で作業をしており、病気がちだったり何か事情がある場合は別の仕事をする。

 主人は直接、牧場に来いとは言わなかった。今朝の事もあったから気を使われているのだろう。俺は脳内で言葉を組み立て、勇気を出し主人に牧場で仕事をしたいと伝えた。事実、働きたいわけではない。正直ジャムを作っていた方が良いと思っている。だがここで楽な方へ流れていたら、立場も無くなるだろう。それに少し変わってみたいと思った。


 俺の話を聞いた主人は驚いたような、嬉しいような顔をする。そして明日も同じ時間に出るぞ、と言い夕食をさっさと終えて風呂へ行ってしまった。奥さんは二人分の食器を下げ、俺は急いでサラダを食べ終える。

 洗い物を手伝い、少し話をし、風呂に入りベッドに潜る。明日は自分で起きてみよう。



 そういえば、ここの部屋は誰のための部屋だろうか。



【4話 規則正しく】

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