第10話

 もう答えは出てはいる。

 だけど、賭けてみたい。

 最後に、ほんの少しだけでも可能性があるなら。

 私はそれに賭けてみたい。




 1学期の最後の日。

 私は桜ヶ丘高校に向かおうと、学校を出た。たぶん、博くんはサッカーの練習をしている。

 その間に私は聞いてみたかった。

 あの繭子って子に、ちゃんと話を聞いてみたかった。



 でも……、私が桜ヶ丘に向かう前に、正門前に桜ヶ丘の制服を着た女の子が立っていた。




 繭子だった。




 繭子は私に気付いて、こっちに歩いてくる。

「出てくるの、待ってた」

 私はなんでという顔をしていた。

「話がある」

 そう言うと、私に背を向けて歩き出した。




     ☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️




 青蘭高校から少し離れた場所に、アイスクリーム屋さんがある。学校帰りの生徒が、よくこの場所で話をしていた。

 私と繭子はアイスを買って、奥のテーブルに向かった。繭子は自分のカバンを置くと、スマホを取り出した。

「これ、誰のだか分かるでしょ」

 それは博くんのパスケースだった。パスケースには、私とお揃いのキーホルダーがついている筈だった。でもキーホルダーは違うものになっていた。



 だけど、その前になんで繭子が持っているの……???



「これ、昨日博が忘れていったのよね。私の部屋に」

 そう言った繭子は、勝ち誇っているようだった。

「私の部屋で何したと思う?」

 含み笑いをしながら、アイスを食べていた。

「私、博とセックスしたのよ」

 その言葉に私は固まった。

 何も言えなかった。

「あなた、博にさせたこと、ないでしょ」

 繭子の言葉が私を突き刺す。

 繭子に言いたかったことや、聞きたかったこと、何も言えなかった。

「博はもう、私のだから。彼に近付かないでね。このキーホルダーだって、もういらないから捨てて」 

 バッグからキーホルダーを取り出して、私に渡す。

 それを見ていたら、泣けてきた。




 でも。

 この子の前では泣きたくない。




「ねぇ」

 私は繭子にそう言った。

「あなたは……、博くんのこと、本当に好きなの?」

「じゃなきゃ、セックスしないわよ」

 そう言って、立ち上がった繭子は笑った。

「ここに痕が残ってるわ。キスマーク」

 ちょうど、胸のあたりを指す。

「見せようか?」

 その言葉に私は首を横に振る。

「だよね。見たくないものね。そういうの。自分の彼が、他の女につけた印なんて。あ。もう私のだけどね」

 繭子はそう言って、「じゃあね」と店を出て行った。



 繭子が店を出た後、私はゆっくりと立ち上がって店を出て行く。

 繭子の姿はもうない。

 博くんのところへ、行ったのかもしれない。

 そう思うと悲しくて涙が出た。



 スマホを取り出して、私は電話をかける。最後の賭けをすることを、知っておいてもらいたい。

 そう思ったから。



「先輩……」

 電話の相手は宮下先輩。

『瑠璃。どうした?』

「私、最後の賭けに出ます……」

 涙を堪えて言う私に、気付いていると思う。でも、何も聞かない先輩は『そうか』とだけ言った。

 スマホを切って、バスストップに向かった。




     ☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️




 4年ものの間、過ごした大切な場所。私はこの町が大好きだった。



 大切な友達に会えた。

 大切な恩師に会えた。

 大切な人に会えた。



 でも。

 その大切で大好きな人への想いを、打ち切らないといけないんだ……。




 町をどのくらいフラフラしていたんだろう。周りから見たら不審者に見えないだろうか。

 でも。

 そんな視線は、今の私には気にならなかった。



 薄暗くなって、私はある場所へと向かった。何度も足を運んだことのあるその場所は、今も来ると緊張してしまう。

 家の前に来ると、たまたま庭に出ていた博くんのお姉さんが、こっちに気付いた。

「あら。瑠璃ちゃん」

「お久しぶりです。佐伯先輩」

 軽く頭を下げると、お姉さんは笑った。

「あははっ。もう、いちいち頭下げなくていいから」

 そう言った佐伯先輩は、私を家の中へ入れる。

「博、帰ってるから」

 ドカドカと佐伯先輩は、私を2階の博くんの部屋へ連れて行く。

「博~!入るよ~!」

 イキナリ博くんの部屋のドアを開けた。博くんは驚いた顔で、こっちを見ていた。

「ね、姉ちゃん、イキナリ開けるな……よ……」

 先輩に連れられて来た私に、気付いて言葉を失った。

「お前……、どうして……」

 博くんは私にそう言った。

 でも私は何も言えなかった。

「どうした?お前ら。ケンカでもした?」

 佐伯先輩はそう言うと、私を部屋に押し込む。

「仲直りしなよ」

 ポンと頭を軽く叩くようにして、佐伯先輩は階下したへと降りていく。それを確認したかのように、博くんは部屋のドアを閉めた。



「お前、何しに来たんだよ」

 その声は!私の知らない人のようだった。私の顔も見ない、博くんが遠くへ行ったかのようで怖かった。



「博くん、これ……」

 昼間、繭子が私に渡したキーホルダー。

 それを手にした博くんは、驚いていた。

「これ、どうしたんだ……?」

「今日。繭子さんが私のところに来たの」

「え」

「もういらないものだから捨ててって、そう言われた」

 言葉なく黙ってる博くんに、私は続けた。

「博くん、彼女の部屋にパスケース、忘れたんでしょ。彼女がそう言ってた」

 黙って、床に座り込む博くん。

 キーホルダーをテーブルの上に置いた。

 それを見て悲しくなった。



「彼女、言ってた。博くんと……」

 その言葉の先が続かなかった。

 博くんはその言葉の先を分かっているのか分かっていないのか、顔色を変える事などなくただ黙って聞いていた。

 テーブルに置いたキーホルダー。

 それを買って来たのは博くんだった。


 


 ねぇ。

 覚えている?

 学校が離れてしまって、修学旅行も別々だった。

 一緒に行きたかったなって、博くんが買って来てくれたんだよ。



 博くんの部屋の机。

 そこに置いてあるのはキーホルダー。

 それは私が買って来たもの。

 博くんたちが行った後に、私の学校が修学旅行に行った。

 キーホルダーを買って来てくれたお礼に、私は別のキーホルダーを買った。

 そのキーホルダーを、博くんは持ち歩いてくれていた。

 それがとても嬉しかった。



 ねぇ。

 あの頃には戻れないの?

 私とはもう、無理なの?




 分かってる。

 もう、分かってる。




 だけど……。

 もう一度。

 あなたの気持ちに、賭けてみたいの。




「……博くん」

 彼の名を呼んだ。

 博くんはこっちを少し見て、困った顔をしていた。

「私……、博くんが好き……だよ」

 本当に好きだよ。

 誰よりも大好き。

 こんなにも大好きな人はいないよ。



 私の初恋の人。

 全てが初めての人。

 こんなにたくさんの想いをくれた人。




「博くん、私……」

 持っていたバッグを置いて、博くんに近付いて行く。そしてしゃがみ込み、彼の背中に抱きついた。




 離れたくない。

 離したくない。




「瑠璃……」

 背中にいる私の名を呼んだ。

 でも何かを言うわけでもなく、ただそうしていた。私は少し身体を離して、そして博くんに言った。


「ねぇ。私のこと、好き……?」

 その言葉に博くんは、「好きだよ」と言う。

 でも私の顔を見てはくれない。

 その言葉に真実は見えない。

 だけど、気付かないフリをしていた。



「ねぇ……」

 彼の腕を掴み、目線は博くんの横顔をじっと見ていた。

「……私のこと好きなら……」

 そこまで言うと、一呼吸した。




「私のこと好きなら、私とセックスして……」




 その言葉に博くんが驚いた。

 私がそんなこと、言うとは思っていないから。そんなキャラじゃないこと、充分過ぎる程知ってるから。

 彼の隣に座り込んでいた私を抱き寄せて、博くんはキスをしてくる。でもそのキスは、余所余所よそよそしいものに感じられた。初めてしてくれたあのキスとは、違うものに感じたんだ。

 でも、私はそれを受け入れていた。


 


 長い時間に感じられた。抱きしめてキスをされている時間が、とても長く。

 唇を離した後、博くんは私を抱きかかえてベッドへと連れて行く。制服のボタンを外して、そのまま事が進むのかと思った。




 でも……。




 制服のボタンに手をかけた時、博くんの手が止まった。

 そしてベッドに座り、「ごめん」と謝った。





「瑠璃。ごめん。俺には瑠璃を抱くことは出来ない……」

 両手で顔を覆い、申し訳なさそうにそう言う博くんの横顔は、泣いているように思えた。




 これで私は賭けに負けた。

 これでもう、苦しめなくていい。

 というかせを負わせなくていい。




 私は起き上がって、カバンを持った。

「……ごめんね。試すようなことして」

 博くんは何も言わない。

「私、本当は気付いていた。博くんは私の事、恋愛対象として見てはいないって」

「瑠璃……」

「……私、それでも一緒にいられたこと、嬉しかった。泣きたくなる程、眠れなくなる程、私は好きだったから」

 泣いちゃダメ。

 彼の前で泣いちゃダメだ。



「博くん……。ありがとう。終わりにしてあげる。だから彼女を大切にね」

 精一杯の笑顔を向けて、私は部屋を出て行く。

 階段を降りて、玄関を出て行った。




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