第11話

 博くんの家を出て行ってから、彷徨いながら歩いていた。もう辺りは暗くて、田舎なこの町は、とても暗くなっていて……。

 それでも黙って歩くしかなかった。



「あれ?」

 後ろから声をかけられた。

 振り返ると、そこにいたのは小学校の時、私をからかっていた佐藤英二だった。

「お前、どうした?博の家から帰って来たのか?」

 そう聞く佐藤に私は何も答えない。

 でも気付いたんだと思う。

 私が泣いている事に。佐藤は言葉を失っていたから。



「……白井」

 そう呼ばれても泣いているだけで、言葉が上手く発する事が出来なかった。

「博と、なんかあったのか?」

「……別れた」

 やっとの思いでそれだけ言うと、そのまま歩いて行った。



 もうどこに行けばいいのか、分からなかった。どこへ行って、何をすればいいのか。




 大好きな人を苦しめた。

 大好きな人の手を離した。

 それが良かったことなのか、悪かったのか。あんなことをして、あんな顔をさせるつもりなんかなかった。

 でもああでもしなきゃ、私は先に進めないのではないかって思った。



 だけど。

 先に進めるのかも分からなかった。



 初めて好きになった人。

 初めて付き合った人。

 初めてキスをした人。



 泣きたくなる程、大好きだった。




     ☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️




 気付くと、私は榛南中へ入り込んでいた。榛南中は聖火台がある、珍しい学校。

 私たちの20年くらい前の陸上部の先輩が、全国新記録を作ったとかで、記念に建てたものらしい。体育祭には聖火ランナーをして、この聖火台に火をつける。

 私はこの聖火台が大好きだった。

 聖火台に近寄り、その聖火台の上に座っていた。そこから学校を見て、私は泣いていた。



 もう、どうすればいいのか分からない。自分で決めたことなのに、もう分からない。



 家に帰る事も出来ない状態の私。どうすればいいのか、分からなくて。何も考えることも出来なくて。


 


 風が夏の香りを運んできていた。

 この学校にいた頃、夏になるとみんなソワソワと夏の計画を立てたり、部活で一生懸命になってる子たいたりしていた。



 あの頃に戻りたい。

 戻りたい……。



 ふわふわとした気分だった。

 今は誰もいない学校。

 もう誰もいない学校。

 その学校にひとりでこうしている自分が、不思議だった。




 スマホにはたくさんの着信があった。家からもお兄ちゃんからもあった。

 愛理も美紀も万理も美奈も。

 弘敬もリキも俊夫も。

 佐伯先輩も真由美先輩も宮下先輩も。




 たくさんの人からの着信が入っていた。でもどれも無視していた。




 カバンの中から、ペンケースを取り出していた。私のペンケースにはカッターが入っていた。なんかで必要だったから入れて使っておいて、そのまま入れたままだった。

 そのカッターを手にして、このままここで死んでしまったら、どんなに楽だろうと思った。




 楽になりたい……。

 もう苦しまなくていいように……。




     ☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️




「……いたっ!」 

 私の耳に聞こえてくる声。

 その声を初めとして、たくさんの走ってくる足音と声。

 バイクの音。

 たくさんの音が聞こえてきた。



 でもその音に反応することなく、ただ学校を見上げていた。頭がボーとして何も考えられない。




「瑠璃!」

 その声は優しい声だった。

 とても優しくてとても暖かい声。

 声のした方を振り返る。

 目に入ってきたのは、かつてのクラスメートたち。その中には博くんも混じっていて、こっちに向かって来ていた。そんな博くんを抑えて、こっちに来ようとしたのは宮下先輩。

 愛理がまた、宮下先輩に連絡を入れたのかな。



 でも。

 その宮下先輩に博くんは何かを言った。そして結局来たのは博くんだった。



 ゆっくりとこっちに歩いて来るのを、ただじっと見ていた。その姿に目が離せなくて、ただ見ていた。



「瑠璃」

 私の目の前に来た博くんは、また困った顔をしていた。

 そして私の手を取った。

「お前、何してるんだ……」

 右手に持ったカッターを取り上げて、自分のパンツのポケットに入れた。そして私の左手を取り、手首から流れている血を見て申し訳なさそうにした。

 ポケットからハンカチを取り出して、手首にきつく巻きつけた。



「瑠璃。ごめん。本当に。でも……、もうお前が泣いても俺は、どうすることも出来ないんだ」

 私は声が出なかった。

 自分で手首を切ったことにも、気付かなかった。

 そのせいで彼を傷つけてしまった。

 悲しい目をしている彼を見上げて、「ごめん」と小さく言った。

「お前が謝ることない。俺が軽い気持ちでお前と付き合ったばっかりに、お前を傷つけたんだ」

「……そんなこと……ない……」

「ごめん。でも……お前は幸せ者だよ」

 その言葉の意味が分からなかった。

「あんなにも、お前を心配してくれる友達がいるんだ」

 博くんが指したのは、クラスメートたち。

「それにお前を心配して、ここまでバイク飛ばしてきた先輩もいる。俺、姉ちゃんに怒鳴られたよ。ハンパなことして傷付けるんじゃないって」

 佐伯先輩は、昔から私を助けてくれた先輩。先輩にも心配かけちゃったんだ。



「瑠璃。俺、もう行くよ」

 そう言って、博くんは私の前から去って行く。その姿を見ていられなくて、俯いてしまった。

 涙が溢れて止まらなかった。



 気付くと、私の前には宮下先輩がいた。

「この学校ってスゲーな。聖火台なんてあるんだ」

 聖火台に触れて、私の隣に座る。そして私の左手に触れて言う。

「こんなこと、するなよ。誰かを傷つけるだけだ。お前自身もな」

 先輩は優しい声でそう言ってくれる。



 でも、自分でも分からないの。

 なんでこんなことをしたのか、分からないの。



「なぁ」


 宮下先輩は私の手を取ったまま言う。

「お前はアイツのどこが好きだったんだ?」

「……どこって」

「なぁ。そんなの、本当の恋じゃねぇよ」

「え」

「そう思えば少しは気が楽にならねーか」

「先輩……」

「ほら。もう涙拭いて。みんな、心配してここまで来てくれたんだ」

 心配して集まってくれたみんな。

 そのみんなに申し訳なく思う。みんながいる方を見ると、そこにはもう博くんの姿はなかった。



「アイツは、優しすぎたんだよ。でも、その優しさは本当の優しさじゃねー。それが優しさだと思っていたんだよ」

 聖火台から降りて、私を抱きかかえる。

 子供を抱き上げるみたいに、軽々と持ち上げられた私は、顔を真っ赤にする。

「せ、先輩っ!」

 その反応が面白いのか、ケラケラと笑う。その笑顔に安心してしまった私は、何日か振りに笑った。

「やっぱり笑ってる方がいい」

 私を下ろした先輩は、私の手を握って、みんなのところへ連れて行ってくれた。そこには私を見つめる、クラスメートたちがいた。



「……瑠璃」

 怖々と言った愛理に笑うと、ほっとしたのか私に抱きついて来た。

「心配したよ……っ」

「ごめん。みんな……」

 弘敬も私の傍にやって来て、優しく頭を撫でた。

「弘敬」

「お前、人に心配かけるのが趣味かよ」

「何よ、それ」

「もう、絶対死んだと思った……」

 その声はとても辛そうだった。




「ごめん」

 そう言うと、私はみんなの顔を見る。みんな、私を見て笑った。ここのみんなは私の大切な友達だ。




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