第9話

 あの日から考えている。

 私の気持ち。

 博くんの気持ち。



 それでも、答えは出てこない。



 私が博くんを好きだってことには、変わりはない。だけど彼の気持ちが、分からないの。




 あの日。

 博くんは優しい顔で、繭子と歩いていた。腕を組んで、優しい顔で一緒にいた。



 それを見てしまった私は、悲しくて逃げてしまって。みんなに迷惑かけて、心配かけて。

 リキからも俊夫からも弘樹からも、美紀も万理も愛理も美奈も。

 毎日のように電話をかけてきて。

 メッセージも入れてきて。

 それと同時にみんなが博くんに、メッセージやら電話やらを入れてくれてるらしくて。

 それがなんだか、申し訳なかった。



 今日もまた。

 弘敬から電話が入った。

「よう。元気か?」

 その声はいつものように、明るく元気だった。

「うん」

「ちょっと出て来いよ」

 日曜日の午後。弘敬からの電話。

 ひとりで部屋にこもってると、イヤなことを考えてしまう私は、その言葉にほっとした。

 私は出かける準備をして、家を出た。家を出てから少ししたところで、教習所帰りのお兄ちゃんがいた。

「瑠璃」

「今、帰りなの?」

「これからバイトだけどな」

 お兄ちゃんは私の頭に手を置くと、「遅くなるなよ」と言って家に向かって歩いて行った。




     ☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️




「瑠璃!」

 リボンで待ち合わせていた弘敬が、手を振る。

「悪いな、こっちまで」

「別にいいけど」

 リボンに入ると、ふたり共飲み物を頼んだ。

「一体、どうしたの?」

「博と連絡取ってるのかよ」

 その言葉に首を横に振る。博くんとは、あれから全くなんの連絡を取ってなかった。

 メッセージする気力も、電話をする気力もなかった。

「……全く。アイツは自然消滅を狙ってるのかよ……」

 頭を抱えた弘敬。そんな弘敬を見ながら、弘敬が言った言葉が頭の中をリフレインしていた。



 ───自然消滅……。



 博くんはそれを考えているの?

 もう、話もしたくないの? 

 私と会いたくはないの?



 恋愛対象から外されているのかもと思ったら、自然と涙が出た。心配してこうして傍にいてくれる友達が、今はありがたい。

 無理に笑って見せる私に、弘敬は目を吊り上げた。

「無理に笑うな。お前はそんなキャラじゃない」

「……弘敬」

「お前はいつも自然体でいろ。泣きたい時は泣いたっていいんだ。転校するときも、お前は号泣してたくらいだぞ」

 弘敬はそう言うと、スマホを取り出した。そしてどこかに電話をかけ始めた。



「……あ!やっと繋がった!」

 弘敬は歓喜の声を上げた。

『……んだよ。この前からお前は』

 電話の向こうの声は博くんだった。

 微かでスマホから洩れる、その声に私は涙した。

 あまりにも久しぶりに聞いた声。それはもう随分と聞いていない声のようで、私の知らない声のようだった。

「そんな言い方、ねぇだろ。お前、友達なくすぞ」

『疲れてんだよ、こっちは』

 部活のレギュラーになってから、毎日毎日、遅くまで練習しているのは知っている。だけど、そこまで疲れているなんて知らない。


「今日、ヒマか?」

 弘敬はそう言った。

『……今日は練習ねーけど』

「話がある。リボンに来い」

 そう言うと電話を切って、リキたちにも電話をかけた。




     ☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️




 リボンにぞろぞろと、仲間が集まって来た。その奥のテーブルは、異様な空気になっていた。

 そして、2時を過ぎた頃。

 博くんが顔を出した。



「お前ら……」

 そして私の顔を見て言葉を失った。

「瑠璃……」

 名前をそう呼ぶと、プイと横を向いた。そんな博くんを見て、弘敬が声を荒げた。

「博!座れよ」

 その声に従うしかない博くんは、黙って座った。その場の空気に耐えられなくなっていた私。

 下を俯いていた。



「瑠璃」

 隣で、万理が声をかけた。でも私は何も答えられなくて、ただ黙っていた。そんな私に気付いたのか、弘敬は博くんに話し出した。



「この前、お前何してた?」

 その言葉に博くんは、黙ったままだった。

「俺たち、見たんだ。駅の方でお前が女と歩いてるの」

「……見間違えじゃねーのか」

「俺たちがお前を見間違える筈、ねーだろ」

「女と腕組んで歩いてたな」

 みんなが博くんに対して、そう言っていた。

 そっと博くんの顔を見る。

 その顔には傷がついていた。



「博くん……?」

 私は博くんに声をかけた。

 彼はこっちを少し、見てまた顔を逸らした。

「その傷、どうしたの?」

 小声になりそうな声で、私はそう言った。

 唇の端が切れていた。

 博くんはそれを手で隠し、何も言わない。

「ねぇ?」

 もう一度そう言う。

 博くんはこっちを見ないで、黙っているだけだった。



「博!」

 そう声を上げたのは、愛理だった。

「もう、いい加減にしてよ!」

 その声は店内に響き、店内にいた榛南中の後輩たちがこっちを見ていた。

「……これは俺の問題だ」

 そうボソッと言うと、何があったのか言ってくれない。


 でも、私には分かってしまった。

 その傷、誰がやったのか。

 気付いてしまった。



「ごめん……、博くん……」

 そう言った私の顔を、みんなが見る。

 博くんも見る。

 博くんの顔の傷は、お兄ちゃんがやったんだ。



「瑠璃?」

 美紀はそう声を出した。

「何で瑠璃が謝るのよ」

 美奈も万理も愛理も。そして弘敬たちも、お前が謝ることないっていう顔をする。

「それ、お兄ちゃん……でしょ」

 でも、何も言わない博くん。

 言わなくても分かる。お兄ちゃんはそういうところがあるから。



「お前、白井先輩に殴られたのか?」

 リキはそう言った。

 でもその答えの代わりに、博くんは何も言わない。

「何で殴られたのか、自分で分かってるよな」

 弘敬はそう言うと、立ち上がった。そして博くんの首元を掴んだ。

「お前、どうしてそうなった!?」

 その様子に私はびっくりして、言葉が出てこなかった。

 やめてと言うのも出来なかった。



「瑠璃はお前の彼女だろっ!自分の女、泣かせるヤツ、俺は許さねー!」

 弘敬はそう言って、博くんを殴った。その様子を傍観しているように、私は見ていた。自分のことじゃないような感じで見ていた。



 店内は騒然となった。

 顔見知りの店長さんが、何事かとこっちに顔を出した。

「ちょっと、君たち、ケンカなら外でやってね」

 間に入る店長さん。でも店長さんの言葉は、耳に入らないようだった。

 そんな空気の中に、私はいたくなかった。立ち上がって、飲み物の代金を置いてリボンを出て行く。

 その姿をただ見ているみんな。


 

 この時、私は自分の中で決断していたのかもしれない。本当はもう分かっていたのに、それを認めたくはなかったのかもしれない。



 大好きだったから。

 とても大好きだったから。

 誰よりも大好きで大好きで、離したくはなかったから。



 だからその言葉を、口にすることは出来なかったんだ。




     ☀️ ☀️ ☀️ ☀️ ☀️




 私は歩いて行った。ふらふらとこの町を歩いて行った。

 気付くと、学校まで来ていて。学校の前のガードレールに腰をかけて、ただ榛南中を見上げていた。



「白井」

 いつの間にか、そこに先生が立っていた。

「先生」

「どうした?」

「ううん」

 先生はソフトボール部の練習があったのか、ジャージ姿だった。

「今日、練習あったんだ」

「お前、清水たちといたんじゃないのか?」

「うん……」

 気のない返事をする。私は先生にどう言えばいいのか、分からないでいた。

 こんなこと、先生に言っても仕方ないような気がする。


 でも。

 私の胸の中が苦しくて仕方なかった。



「ねぇ、先生」

 学校を見上げながら私は言う。

「私、博くんともうダメかもしれない……」

 そう言った私に、大沼先生は驚いていた。

「ケンカでもしたか?」

 そう聞いてくる先生に、私は首を横に振る。

 ケンカにならない。

 ケンカじゃない。

 だけど、もう、博くんの気持ちが離れているのに気付いている。



「お前は佐伯が本当に好きだよな」

 そう言った先生の顔を見上げる。

「お前は分かりやすい」

 大沼先生の顔は優しくて、涙が出た。

「だけどな、白井。その大好きな人を傷つけてまで、自分が幸せになると思うか?」

 それは前、似たようなことをお兄ちゃんに言われた。そのことを考えていると、自分がどうしたいのか分からなくなっていた。

「先生……、私……」

「先生はな、白井が笑ってる姿が大好きだよ。もちろん、佐伯もそうだ。先生にとって、白井も佐伯も大切な教え子だからな」

「うん……」

「お前らが悩んで迷って、答えにぶつかった時、こうして来てくれることが何よりも嬉しいよ」

 そう言って、私の頭に手を置く。

 この先生はこうして私たち生徒と、コミュニケーションを取ろうとしてくれている。学校を離れても、それはまだ続いている。

 それがとても嬉しい。



「先生。ありがとう。もう、迷わない」

 そう言って先生に笑顔を向けた。



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