第9話 飛躍

円安の波は勢いを増し、健太のポジションはみるみる含み益を拡大していった。ドル円相場はブレイクした後も上昇を続け、重要な経済指標の発表を追い風に一気に数円の単位で跳ね上がった。健太は興奮を抑えつつ、計画通りトレンドに乗り続けた。途中、小さな調整で一部ポジションが利食いの逆指値にかかる場面もあったが、大半のポジションは維持したまま更なる上昇を見守った。リスクを抑えたまま利益を伸ばす感覚を初めて体験し、胸の高鳴りを感じながらも不思議と恐怖はなかった。自分の中に確固たるルールと経験があるという自信が支えとなっていた。


数日後、ドル円はついに長年の高値圏に達した。チャート上には達成感のような達筆な上昇曲線が描かれている。健太はそろそろ潮目を感じ始めていた。「トレンドは友達だが、永遠には続かない」——頭の中で田中の声がする。過熱した相場はいつか反転するものだ。予想通り、一部の指標をきっかけに上昇の勢いは鈍り始めた。健太は躊躇わず、残っていたポジションを次々と利益確定していった。


手じまいを終えたとき、健太の口座残高は以前のピークを大きく上回っていた。あの大敗を喫したときの損失を埋めただけでなく、さらに十分な利益が積み上がっている。数字の上では過去最高の資産額を目にしながらも、健太の心は静かに落ち着いていた。ガッツポーズをするでもなく、ただ深く息を吐き出した。「やっとここまで来た…」そう胸の中でつぶやき、瞼に涙が滲んだ。思えば長い道のりだった。狂喜乱舞していたかつての自分とは違う。今は達成感と安堵、そして静かな自信があるだけだった。


その夜、健太は彩を高級レストランに誘い、ささやかな祝杯をあげた。驚く彩にこれまでの経緯と結果を伝えると、彼女は満面の笑みで「本当によかったね!」と自分のことのように喜んでくれた。二人でグラスを合わせながら、健太はしみじみと思う。自分一人では決して辿り着けなかっただろう、と。彩や田中、様々な支えがあってこその今日の成功なのだ。


後日、健太は田中にも勝利の報告をした。田中は電話越しに「おめでとう」と声を弾ませ、しかしすぐに穏やかな口調で付け加えた。「これで終わりではありませんよ。マーケットは常に続いていく。これからも規律と学びを忘れずに。」健太は「はい」と力強く返事をした。田中の言う通りだ。ゴールではなく、スタートラインに立ったに過ぎないのかもしれない。マーケットと真摯に向き合い続ける限り、学びに終わりはないのだ。


ふと、健太は数年前に読んだ『マーケットの魔術師』の一節を思い出していた。エド・スィコータの章の最後にあった言葉——「トレーダーとしての成功とは、自分自身をどれだけ成長させられるかにかかっている」。当時は理解できなかったその意味が、今なら少し分かる気がした。相場で勝つために必要だったのは、マーケットと戦うことではなく、自分と向き合うことだったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る