今度こそ本物の恋

烏川 ハル

今度こそ本物の恋

   

「うわっ!」

 掛け布団をガバッと跳ね除けながら、叫び声と共に飛び起きる。

 それが富山田とやまだ信郎のぶろうの、その日の目覚めだった。


 三月なかばの、ある晴れた日の出来事だ。

 耳をすますまでもなく、窓の外からは、ガガガガガッという騒々しい音が聞こえてくる。

 先週から近所で行われている、道路の改修工事の音だった。


「ああ、これか。悪夢の原因は……」

 信郎が小さく呟いたように、彼は怖い夢を見て目が覚めたのだ。

 薄暗い洞窟らしき場所を進む途中、足元が突然、崩壊する。そんな夢だった。

 おそらくは、道路工事で地面が掘り返される光景を何度も見たせいで、それが足元の崩壊というイメージで夢に出てきたのだろう。


 とはいえ、最初から『悪夢』だったわけでもない。

「……せっかく途中までは、いい夢だったのになあ」

 と苦笑した通り、最初は美女と二人で大冒険という内容だったのだ。

 舞台が「洞窟らしき場所」だったのだから、活動的な考古学者を主人公とする昔の映画……みたいな感じだったようだ。

 正直なところ、パートナーである女性の容姿まではきちんと覚えていないのだが――そもそも夢だからその辺りは最初から曖昧だったのかもしれないが――、なんとなく「美女」だった気がするし、懐かしいような雰囲気もあった。

 夢の中の「美女」のモデルは、昔好きだった女性たちの一人だったのかもしれない。


「まあ、何はともあれ……」

 寝間着から部屋着に着替えながら、信郎は我が身を振り返る。

「……現実の俺とは大違い。そんな夢だったことだけは確実だな」


――――――――――――


 富山田とやまだ信郎のぶろうは、現在二十七歳。数年間勤務していた会社を辞めてから一ヶ月の、無職の青年だった。

 まあ「無職」だからこそ、道路工事が行われているような平日の、しかもその日の工事が既に始まっているような朝遅い時間まで、ぐっすり寝ていられたわけだが……。

 信郎本人としては、あまり「無職」という感覚はなかった。今この瞬間は、次の仕事のための準備期間。そう思っているからだ。

 子供の頃からの夢だった小説家。その夢を実現させるために、毎日執筆に励んでいる……というのが、彼の自己認識だった。

 会社を辞めた理由の一つも、思い切って自分をあとがない状況に追い込む。それによって、いっそうの奮起を期待する。そんな「背水の陣」的な気持ちだったくらいだ。

 とはいえ、いくら「自分を追い込む」みたいな行動を取っても、それだけで急に小説家としての才能が開花するはずもなく……。


「まあ、いいや。腹が減っては何とやら。とりあえずいもん買いに行くか」

 何かを振り払うかのように、軽く頭を振って、部屋着の上からパーカーを羽織る。

 机の上にチラリと視線を向けて、そこにあるパソコン――昨晩も遅くまで原稿執筆に使っていたノートPC――を一瞥。無意識のうちに眉間に皺を寄せながら、部屋から出ていくのだった。


――――――――――――


 コンビニで弁当を買って、アパートの自室へと帰る途中。

 住宅街の裏路地に入った辺りで、反対側から歩いてくる通行人が視界に入る。


「おや……?」

 平日のこんな時間に、のんびり外を出歩いている人がいるなんて……。

 自分のことは棚に上げて、富山田とやまだ信郎のぶろうは、少し不思議に思ってしまった。

 この辺りはそれほど、いつもならば誰にも会わないような地域であり、時間帯だったのだ。


 些細な好奇心から、その通行人に注意を向ける。

 ふんわりとしたボブカットで、細面ほそおもての顔立ち。着ているものは薄桃色のセーターに、青いジーンズ。

 年齢は二十代なかばくらいだろうか。そんな女性が、ベビーカーを押していた。乗っているのは一歳か二歳くらい。


「ああ、ベビーカーを使った赤ちゃんの散歩か」

 と納得した信郎だが、少し遅かったかもしれない。

 自分で思ったよりも長い時間、彼女たちの方を凝視していたらしく、それを不審に思われたのか。女性が困惑の色を顔に浮かべながら、こちらを見つめ返してきたのだ。

 信郎としては、なんだかバツが悪いし、気恥ずかしい気持ちもある。慌てて視線を逸らすと、そのまま何もなかったみたいな素振りで、歩き続けたのだが……。


「あれ? もしかして……」

 ちょうどすれ違った直後、彼女の声が耳に届く。

 同時に、彼女の足音も、ベビーカーを転がす車輪の音も止まっていた。

「……とやまだ君? 下の名前は、確か……のぶろう君だっけ?」


――――――――――――


「えっ!?」

 いきなり名前を呼ばれて、驚く信郎。

 体全体からだぜんたいで振り返ると、女性はベビーカーに手をかけたまま、顔だけをこちらに向けていた。

 改めてよくよく見れば、どこか見覚えのある顔であり、懐かしさすら感じるような……。

 信郎はハッとして、思わず叫ぶ。

間戸部まとべさん? もしかして、間戸部紀香のりかさん!?」


「そう! 私のこと、覚えててくれたのね? うわあ、懐かしいなあ!」

 間戸部紀香ならば、小学生の頃の同級生だ。

 彼女は公立の中学ではなく、私立のお嬢様学校へ進学。小学校を卒業して以来、会う機会は全くなかった。

 だから「懐かしい」というのは確かだが、信郎にしてみれば、それだけではない。小学校時代の彼女はクラスのアイドルだったし、信郎も彼女に憧れる一人だった。

 今にして思えば、信郎の初恋だったのだろう。当時は恋心なんて自覚しておらず、告白することもなかったが……。

 信郎はその後、中学高校、大学そして社会人になってからも、頻繁に女性に恋心をいだくようになった。それこそ一年に一人以上というほど「頻繁」なペースで告白と玉砕を繰り返すわけだが、そんな信郎の初恋相手が、この紀香だったのだ。


「うん、よく覚えてるよ。間戸部さんは……」

 と言いかけて、信郎は改めてベビーカーに目をやる。

「……いや、もう『間戸部』さんじゃないのかな? 今は主婦……だよね?」

 子供がいるのだから、彼女は既婚者。もはや「間戸部」は旧姓に過ぎないはず。

 そのつもりで信郎は尋ねたのに、彼女は笑いながら否定する。

「違う違う、私は独身。これは姪っ子、姉の子供でね。今日は仕事が休みだから、ベビーシッター頼まれたの」


「へえ、そうなんだ……」

「とやまだ君は? とやまだ君も、平日だけど今日は休み? そういう種類の仕事?」

「いや、僕の方は……」

 適当なことを言って誤魔化そう。そう思ったのは一瞬だけだった。

 相手が間戸部さんならば、ここは包み隠さず、真実を告げるべき!


「……少し前に退職してね。夢をかなえるために、小説家になろうと思って、頑張ってる最中さいちゅうかな」

「おお、小説家! 小説って一冊当たればそれだけで印税ガッポガッポなんでしょう? そういえば、とやまだ君。確か……」

 彼女は少し遠い目をしてから、言葉を続ける。

「……小学校の卒業文集で『将来の夢は小説家になることです』って書いてたよね?」


「……!」

 一瞬言葉を失うほど、信郎は驚いてしまう。

 憧れの間戸部さんが、そんな昔の自分のことを覚えていてくれたなんて……!

「凄いよね、とやまだ君。『少年よ大志を抱け』って言葉あるけど、それを大人になっても続けてるんだから……。『青年よ大志を抱け』って感じかな?」


 冗談っぽく微笑む彼女を見ながら、信郎は思う。

 初恋相手との再会。こんな運命的な出来事が、現実に起きるなんて……。

 もしかしたら、今朝の夢に出てきた美人パートナーは間戸部さんだったのかもしれない。あれは一種の予知夢だったのかもしれない。

 自分が今まで数多あまたの女性にフラれ続けてきたのも、運命の相手と出会うまで独り身を貫くため。今度こそ本物の恋に違いない!


 心の中で舞い上がる信郎。

 この時点の彼には、知るよしもなかった。

 今回も結局いつも通り玉砕して、彼の連敗記録を伸ばすだけ……ということを。




(「今度こそ本物の恋」完)

   

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今度こそ本物の恋 烏川 ハル @haru_karasugawa

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