BABEL
正太郎
第1話
「全人類のみなさん、こんばんは、そしておはようございます」
「現在はグリニッジ標準時で二十四時ちょうど。軌道エレベーター建設のメイン企業が存在する日本エリアでは午前九時です」
「ガラパゴス諸島近海にアース・ポート建設が決定してから四半世紀が経過しました。『ウォーターリリー』と名付けられた、人類初の宇宙用発着地点の着工を皮切りに、二十五年の時を経て完成を迎えようとしています」
「まさに地球というガラパゴスから、宇宙という拓かれた世界へ旅立つ時が来たのです」
「本日は軌道エレベーター『ラースト』の完成予定日であり、そして間もなく、記念すべき完成の日となるのです!」
「このエレベーターは現代のバベルの塔とも呼ばれており、神へ近付く第一歩であることを象徴しているようではありませんか!」
「神話では成し得なかった偉業が!神々との謁見の間へ続く扉が、今日、開かれることとなるでしょう!」
「有史以来、地球人の悲願であった宇宙空間への進出!われわれ民間人が、ロケットすら使わずに自由に宇宙を行き来する時代が、すぐそこまで迫っているのです」
「さあ、完成までのわずかなひと時を、胸を高鳴らせてお待ちください!」
「ねーねーおかあさん、『バベルのとう』って何?」
食後の片づけを済まそうと、中継のわずかな合間に流しへ向かうと問いかけられた。
「バベルの塔っていうのはね、昔々のお話に出てきた、高いたかーい建物のことよ」
「ふーん、それと神さまとどういう関係があるの?」
この時期の幼児に特有の、気になった事は何でも知りたがる「なぜなぜ期」というやつだ。
こうなるとごまかしが通用しないことはイヤというほど分かっているため、最近ではできる限り付き合って、納得いくまで問答を続けるように努めている。
「ふふふ、ちょっと難しいお話だけどちゃんと聞く?」
「きくー!」
「そうね……どこからお話をしようかな」
「ぜんぶー!さいしょから」
やはりと言うべきか、わかりきっていた答えをキラキラした目で返してくる。
「うーん……あのね、ちょっと前までは、色んな国の人達が全然違う言葉を喋っていたの。本当は今でも違ったままなんだけどね。科学の力っていうもので、全然気にしなくてもよくなったんだよ」
「ほら、おとなりのジョージ君とお話する時、耳から聞こえるお声と、もう一つごにょごにょしてる音が聞こえてくるでしょ?そのごにょごにょしてる音が、ジョージ君の喋ってる本当の言葉なのよ」
どうしても歴史の話をしなくてはならない場合、まず現代と異なる背景を説明し、それを理解させるところがスタートになるから大変だ。
「うん、わかったよ!『かがくの力』なんだね!それからそれから?」
「その言葉が違う、っていうことが凄く不便でね、ずっと人間は我慢して暮らしてきたの。ほら、猫ちゃんとか動物とかはお話が通じないから大変でしょ?お話が通じない、っていうのはすごく不便なのわかる?」
「うん、わかるよ!昔の人はがんばってたんだね」
昔の話をすると必ずこうなるのだ。何でもかんでも『頑張っていた』と表現されると思わず苦笑してしまう。
「そうそう、昔はできないことがたーくさんあって大変だったんだよ」
「その昔はね、『ジョージ』ってお名前も『ゲオルグ』『ジョルジュ』『ホルヘ』『ジョウジ』とか色んな呼び方があってね。でも今は『ジョージ』君しかいないの。不思議だよね~」
「そうなの!?でも……それはよくわかんないや」
照れたように頭に手をやり、首をかしげながらはにかんで答える。
「うんうん、お母さんもわからないからいいのよ」
共感を表しながら微笑んで答える。
「バベルの塔のお話は、そのもっとずーっと前の、神さまがいた頃のお話なの」
「その頃は科学の力でおしゃべりなんてしてなかったんだけど、みんなが話す言葉は同じだったから別にいらなかったのね。それで皆の力を合わせて、神さまに会いに行ける高い塔を建てよう!って作り始めたのがバベルの塔なの」
「でもね、神様がそれに怒ってバベルの塔を途中で壊しちゃって、『同じ言葉を喋るからお前らはこんな悪いことをする。だから言葉をバラバラにして力を合わせられないようにしてやる』って言って、世界中で違う言葉を使うようにされちゃったの」
バベルの塔に関する解釈は様々だが、一般的で一番わかりやすい説を引用した。
「バベルの塔っていうのは、昔話にでてきた建物のことなのよ」
途中で脱線しないよう、ゆっくりと、それでいて質問を挟む余地を与えずに最後まで説明した。
「うちゅうについたら神さまに会えるの?じゃあ神さまはうちゅう人なの?」
「そうかもしれないわね。世界には色んなことを考える人がいて、『きっとそうだ』って言ってる人もいるのよ」
ちょっと難しい話になってしまったが、幼い頃に知識を仕入れておくのは大切なことだ。
「それじゃあさ、それじゃあさー、バベルのとうが……」
その表現が気に入っている様子だし、そのままにしておこうかと思っていたが、外で恥をかいてもいけないので注意する。
「あのね、バベルの塔っていうのは昔の名前で、最後には壊れちゃうからあんまり良くないでしょ?今は『ラースト』っていうちゃんとした名前が付いてるのよ。だからね、友達と話すときはちゃんとした方がいいんだよ」
「うーんと……バベルのとうはバベルのとうだけど、名前が違ってて今は『ラースト』で……」
その間、テレビの画面には軌道エレベーターの歴史に関する説明が流れ続けていた。
『ラースト』は、「last and first」から生まれた造語であり、「最初で最後」という願いを込めて付けられたとか、造語でないと耳に届いた時に誤変換される可能性があるとか、プロジェクト開始当初に散々出回った情報を改めて説明している。
着工から一年毎の出来事が年表の様に時系列でまとめられ、振り返りつつ完成を待つという趣旨の様だ。今年の説明が始まると、画面上に「そしていま……」という大きな見出しが浮かび上がり、それが徐々にフェードアウトしていく。
そして、再び現場からの映像をバックに暑苦しいアナウンサーが捲し立てる。
「みなさん!画面に映っているこのパーツ、見えていますでしょうか!この最後のパーツを取り付ければ、いよいよ完成です!」
「全世界が完成を望み、心待ちにしてきたバベルの塔『ラースト』が……いま、まさに、完成しま……」
ぷつん
「あれ?急に真っ暗になっちゃったよ!壊れちゃった?」
他のチャンネルでも同じような中継をしていたはずだ。見逃すまいと咄嗟に別のチャンネルに切り替える。
「あらー……他のチャンネルでも『ラースト』のニュースだけ映ってないし……何かのトラブルかも知れないねぇ。インターネットでも……」
そう言いながらインターネット放送もチェックする。
「あー、やっぱり配信が止まってるみたい。どうしちゃったのかしら……」
事前の取り決めによる段取りでは、「演出上、最後のパーツを組み付けるタイミングは地上からの指示に従う」としか知らされていないため、作業員の手は完成直前の状態で止まったままであった。
事故を極力避けるため、カメラクルーなどメディアのスタッフについては一切の立ち入りを拒否しており、現場内は作業員のみで、カメラは定点撮影用の据え置きになっている。
周囲の空気が重苦しい緊張感で満たされ、カメラの辺りで空間が揺らいだ気がした。
その不気味な空間は人型をしているとしか思えず、まるで光学迷彩の衣を纏っているかの様に、際の部分だけが不自然な線を描いて周囲と微妙にずれているのが分かる。
注意しないと気付かないレベルではあるが、「何か」がそこにいるのは間違いないと思えた。
その人型の空間は、メディア向けの民間配信用カメラだけをオフにし、作業員たちには目もくれず――いや、実際には何かしらのアクションはあったのかもしれないが、細かい動きは全く視認できなかった――地上にいる政府要人向けのカメラに向かって話し始めた。
「この先にいる諸君。まずは一部の、地球内で影響力が強い者に絞って状況を説明しよう」
そう前置きをすると、その空間は抑揚もなく感情を感じられない『文章』を発した。
それは空気を直接揺らしている様でもあり、地球人の発声とは明らかに異なるものであった。
「我々は全宇宙連盟所属、未開惑星保護を目的とした条約の下、天の川銀河域を担当し管理、統括している」
「君たちが言うところの、いわゆる『宇宙人』という存在だ」
「今回の人類にお目にかかるのは初めてであるし、戸惑っていることだろう」
「現在の状況は、直接の宣告が必要な場合として条約内で定められているため、こうして出向いた次第だ」
「何か質問はあるかね?」
「えー……番組をご覧のみなさん、現在、現場からの映像が完全に途絶えています」
「そ、その、現場との音声も回復しない状況が続いているため、おそらく通信系のトラブルだと思われます。復旧まで今しばらくお待ちください」
アナウンサーが青い顔をしながら必死に釈明をしている。さっきまでは赤い顔で唾を飛ばしていたのに、赤くなったり青くなったりと忙しい。
突然の事態に、指令室のある地上は騒然となった。
本来であれば早急に協議をし、状況把握に努めなければならない。
為政者、有識者、企業など、属する組織が違えば質問の方向性も大きく異なるため、それぞれが得たい情報を好き勝手な質問として提案する事態となるだろう。
一歩対応を誤れば未曾有の危機となる可能性もあり、質問内容の吟味には慎重を要する。
この様な状況で最適な質問状を短時間で完成できるはずもなく、混乱を極める中にあって冷静に対処できるとは思えない。
そのため、こういった事態に備え、地球外知的生命体に遭遇した際の質問状はすでに完成しているのだが、果たしてそれに対して誠実な回答が得られるものだろうか……。
『あの存在』は宣告であると言っていた。有無を言わさずに、状況のみを告げる使者の役割であって、交渉の余地もなく、友好的な交流は望むべくもないのかもしれない。
目的や意図が何であるのか現時点では皆目見当がつかず、内輪での議論に意味はないとすぐに結論付いた。そのうえで、直接の対話は世界大統領に一任されることに決定した。
「私は初代世界大統領のエスという者である。地球を代表して、あなた方と対話する機会を得ることができた」
「今回の来訪は、全宇宙連盟の条約に則った地球の保護が目的であり、我々に危害を加える意図はないものと推測するが、このタイミングでなければならない理由があって宣告に参られたのでしょう」
「その理由とは何でしょうか?」
エスは全人類を代表する者として臆することなく、『その空間』を見据えたままではっきりと告げた。
「そうか」その音は空間を震わせ、人類初の作業が開始されようとしていた。
「まず、君たちが置かれている状況を説明しよう」
「想像の通り、地球は未開惑星に分類され、人類は非常に遅れた文明を持つ生命体だ。そういった生命体に対する不用意な接触は、その者たちの健全な進化・発展を妨げ、歪な未来を招く可能性を生じさせる」
「そのため、対象の未開惑星に対しては自然な進化を見守る保護条約の下、連盟非加入の不埒な輩が干渉することを監視しているのだ。また、条約に定める方法以外の手段による宇宙進出、条件を満たすことなく過分に生活圏を広げる、など妥当性を欠いた状況と判断した場合、今回のように特別に接触を図ることがある」
作業員たちは一番緊張する場所に身を置いたまま、一言も発することができずにいた。
「例えば、君たちは宇宙に大変執心しているようだが、地球内の事柄については把握できているのかね?地球には、『海』という奇跡の産物が存在しているが、深海に至るまでの全てを知識として網羅しているだろうか」
「いや、できていない」
空間が発する『文章』からは、依然として感情というものが感じられないが、海に関する発言に関しては意思を感じることができた。
「今回に限って姿を現したのは、あくまでも事態の収拾が目的である」
地上は沈黙した。
全員の頭に浮かんだであろう疑問を、代弁するかのようにエスが口を開く。
「事態の収拾とは具体的に何を指すのか」と、更なる問いを重ねる。
「簡単に言えば、『アンバランスな状態で次の段階に進むことは認められていない』ということだ」
「ア、アンバランス?」
大統領としての体裁も忘れ、間抜けな返答をしてしまう。
「そうだ。ではいくつか例を挙げよう」
「量子コンピュータは宇宙の種である。しかし君たちはそれすら理解せずに、世界をもう一つ生み出す危険を冒しかけている。それ自体は歓迎すべき進化だが、問題はそれに気付いていない君たちにある。猿に核ミサイルの発射ボタンを預けることが危険なのは理解できるだろう?」
「量子コンピュータにそのような危険性があると?」
オウム返しをするだけの対話ならば誰が担当しても同じなのだが、重要なのはポストである。
「一部の研究者が開発当初より警鐘を鳴らしていたはずだが、それを真摯に受け止めずにいたことが原因なのだろう」
「そして次に」
「人類以外は知的欲求を満たす為に捨てられてもよいと考え、人類の発展の為に小動物の命を犠牲にし、それが許されると考えている」
「彼らも同じ命を持つ生き物であり、それぞれがそれぞれの役割を持つ」
「君たちはそれを蔑ろにしている」
「生物に等級という概念を持ち込むなら、君たちも実験動物にされて良いという理屈になるが、その考え方を自身で許容しているものと解釈して差し支えないか?」
エスは何も答えることができない。
「生命の価値や物事の優先順位、生み出した技術の持つ意味を真に理解することなく、また太古より現実に存在し続ける海ですら未解明。その状態で宇宙へ出る行為というのは、果たしてバランスが取れていると言えるだろうか」
そこまで話し終えるとトーンが変化し、極めて事務的な印象を受ける声色に切り替わった。
「最後になったが」
「君たちはファイアウォールという概念を知っているだろう?」
突然コンピュータやネットワークの話にすり替わり、理解が追い付かなかったのか、それが顔に出てしまっていた。
「大きなヒントを与えよう」
「君たちは日々、宇宙観測によるデータ収集や地球外への情報発信を積極的に行っているようだが、過去に何か大きな成果はあったかね?」
「それがファイアウォールとどういう関係が……まさか!」とエスは思わず声を上げる。
「話が早い。それほど愚かでもなかったようだな。それでは答え合わせだ」
そう水を向けられ、恐る恐る理解したつもりの内容を口にする。
「つまり……地球からの観測は全てブロックされていて……知的生命体の住む惑星が宇宙には複数存在しているにも関わらず、いまだに発見の報告がないのはファイアウォールのような機能が真実へのアクセスを阻害しているから……!」
自分で辿り着いた結論に愕然とする。
「その通りだ。極めて原始的な手段を用いている」
それは人類の希望を打ち砕く無慈悲な回答であった。
「君たちの行いとは、地球の情報を危機感なく外部に垂れ流し、フィルターの掛かった薄っぺらな情報のみを収集し、それによって得られた偽りの情報を頼りに宇宙の謎を解明するなどと躍起になっているに過ぎない」
「『この広大な宇宙で知的生命体は地球にしか存在しない』とでも思っていたのだろうが、理解できてみると何とも滑稽だろう?」
「この程度のお粗末な知識レベルで宇宙に飛び出せば、どのような事態を招くか予想ぐらいはできるだろう」
「ついでと言っては何だが、君達の作り出した情報の網、インターネットと呼んでいるものだな」
「黎明期から数えて六十年以上経過しているのではなかったかね?」
「興味深く観察を続けてきたが、その中では他者に対する攻撃が未だに止んでいない」
「現実で面と向かえば穏やかなのに、まるで違う人格が現れたかのように苛烈ではないか」
「例えるなら、戦闘用の機体を駆って相手を撃ち落とすことには躊躇がないが、白兵戦になった途端に怖気付く心理と同じではないかね」
「君たちは攻撃や物事の本質、全ての事象に対する理解があまりに未熟、原始的で愚かなのだ」
「知識と技術、理解と行動、そして現実と仮想が乖離している」
「これがアンバランスという意味だ」
「我々としては、君たちがそれに気付かずに暴走することを危惧している」
エスは、人類の代表として対峙しつつも、それらに対して一切答えることができなかった。
「このまま宇宙に進出されても、全宇宙連盟として参加を受け入れることはできない」
「君たちの文明レベルを考え、そのように判断した」
そして一呼吸を置き、言い聞かせるようにゆっくりと最後の言葉を発する。
「君たちが宇宙に来るのは早すぎる」
そう締めくくられた。
衝撃的な内容であった。
誰も口を開くことができず、ただ告げられた事実を反芻し、理解に努めるのみであった。
その様子を察したのか、まるで叱った後の子供にやる気を出させるため、無理に良いところを探して褒めるかのように言葉を続けた。
「しかしそう悲観することはない。君たちの知能レベルはアンバランスではあるが突出している。我々とこうして話ができていることがその証だ」
「そう、かつて同じようにこの段階まで到達した者たちがあった。またもそこまで辿り着けたのだ。それについては称賛しよう」
「君たちの神話ではバベルの塔と呼ばれていたのではなかったか」
「しかし、経緯は違えども結末はいつも同じ」
その言葉に不穏なものを感じ、エスが問いかける。
「ま、まさか、『ラースト』を破壊しようというのか!」
「この『おもちゃ』だけであればまだ救われていただろう。ここまでアンバランスに進化した生命体に対しては、リセット、あるいは退行措置しかないという結論が連盟内ですでに出ている」
「対抗措置とはある一定の点まで巻き戻し、そこから再度進化の過程を辿らせることでより良い進化を促すものだ」
人類の一大プロジェクトを『おもちゃ』と一蹴されるような異常事態であるからか、現実味のない危機感を持て余し、まるで子供のような理屈で願望を口にする。
「し、しかし未開惑星の保護条約があるという話ではなかったか?なぜ我々地球人を好きなようにすることができるのだ!それはつまり条約違反ということではないのか」
追い詰められ都合が悪くなり、自分勝手な理屈を喚き散らす。
もはや人類の代表とは言い難いが、人間の本質を端的に表しているという意味では妥当かもしれない。
「我々が保護しているのは、『生命体の土壌となる未開惑星』なのであって、君たちの様に歪な進化をした不完全な生命体は保護対象ではないのだ。わかりやすく言えば『欠陥品』だ」
「好きなのだろう?欠陥品の処分が。君たち人類の歴史がそう教えてくれた」
「劣等生物であれば、高等生物の意に従うしかないのではなかったかね」
もはや最後の宣告を聞くにあたって恐怖しか感じない。
「で、では、どのような方法で?直接の宣告が必要ということであったが、その内容を具体的に伺いたい」
最後の責務を果たさんと震える声で質問するが、死刑が確定している判決文の読み上げを待っているような心持ちだ。
「宣告の内容だが、強制ではなく選択だ。そのために直接伝える必要があったと理解してほしい」
「ひとつ目の選択肢はリセット、期間は七日間」
「まず太陽が閉ざされ完全な暗闇が訪れる。その後、日々異なる災厄が地球を襲う。君たちの現在の技術力でこれらから逃れる術はない。よって七日間で生物のリセットが完了する」
「ふたつ目の選択肢は退行措置、期間は結果が出るまで」
「宇宙空間に存在する宇宙線を特殊な電磁パルスへと変換し、地球外から放光し続ける。これによってもたらされる影響は、兵器としてのEMPをイメージすればよい。ただし何万倍も影響が大きく、その光に曝され続けている限り電気を利用することができなくなる」
「どちらかを選びたまえ」
エスへと一任はしていたものの、人類存亡の危機となると話は別である。
地上では、電力使用不可となった場合のシミュレーションが即座に開始された。
電気が完全に使えないということは三百年前の地球に戻ることを意味し、大幅な技術退行を果たすことになるだろう。原始的な生活から出直す覚悟さえあれば何とかなりそうだが、全世界の施設が遺物になると思うと、現実的な解決策など何も考えられなくなる。
確かに電気が完全に使用不可となるとダメージは深刻だが、わずかでも存続の可能性が残されているなら、もはや選択肢はない。
映画や小説であれば敵としてのエイリアンは侵略者であり、地表での武力衝突による撃退の可能性も僅かながら残されているのかも知れない。
しかし、圧倒的な技術力で一方的に選択を強いられた場合、弱者には打つ手が何一つないのだと悟る。「現実とは、かくも非常なのだ」と。
誰もがそう考え、エスも例外ではなかった。
唯一侵すことのできない、「意志」だけが我々人類に残された希望である。
そう腹を括り、『その空間』に人類代表としての決定を叩きつける。
「当然二番目だ!人類の覚悟と意志を見せてやる!」
「いずれあなた方に追い付き、認めさせてやろうではないか」
この段に及んで、慇懃に対応する意味などないと考え声を荒げる。
「それで、EMPが無期限という話のようだが、それすらも克服する必要があるのかね?」
エスは、最後にできるのは有力な情報を引き出すことだけであると、自身の役割をそう理解し果たそうとしていた。
「それについては我々が時期を見極める。新たな進化にとって必要と判断すれば停止することもあるだろう」
「最後に……決意に水を差すつもりはないことを断っておく」
「君たちの選択は、『電気を利用したあらゆるもの』が影響を受けることになるのだが、それは理解できているか?」
「超微弱であっても、電気が使用された物質は全てだ」
「宣告の選択肢は、一瞬であるか緩やかであるかの違いでしかないのだぞ?」
何を念押しするつもりなのか真意は掴みかねるが、過去のバベルよろしく、通信遮断によるコミュニケーション断と、それに伴う新たな成長が狙いのはずである。
そして、それすらも超えていくと、今日に学び、誓うのだ。
我々には蓄積された知識が残されている。それだけで希望の種となるだろう。
「今さら言われなくとも、とうに理解しているつもりだ」
「もう一度蒸気機関から始めるとしよう」
そう笑いながら答えたエスは、人類を代表する者の顔つきになっていた。
「君たちの『意志』と『意思』はよくわかった。EMPの効果は徐々に強まっていく様に設定する」
「現時点で地球上の機器にはそれなりの防護処置は施されているものと推測するが、いずれはそれすらも使用不可となるようにレベルを上げていくことになる」
「もっとも、全世界が同時にEMPに曝されるのだから、電力供給自体もままならないだろうがね」
「では以上だ。それでは『次』に会うときに期待しよう」
そう言い終えると同時に空間が揺らいだ気がした。
現場に漂っていた異様な圧力から解放されたのか、作業員たちも体が軽くなり、やっと深呼吸ができるようになると、「ああ、カメラの電源を入れなくちゃな」と、なんとなく思った。
作業員がカメラに向かって歩き出すところが、地上のモニターで最後に映し出された映像だった。
地上では各地で電子の城が沈黙し、あらゆる機器が機能不全に陥っていた。
それでもEMP防護処置が施された機器に非常時用のバッテリが連結されていれば短期間は使用可能なのだ。その間にコンピュータによる計算で、今後の行く末を決定しなければならない。
化石のようなガソリンエンジンでも当分動くし、人の手で鍬を持つこともできる。火は熾すこともできるし、鉄を鋳造することもできる。
人類が愚かでなく、団結することができればよりよい未来に到達できるに違いない。
始まってしまったものは仕方がない、そう割り切って前に進んでいこう……
今回の有識者枠で招聘されたものの、人嫌いを理由にオンラインで参加していた科学者の研究室兼自室でも、全ての成果を収めたコンピュータ類がただの箱と化していた。
「くそ!早めにEMP防護処置を施しておくべきだった!」
ボロボロの椅子に乱暴に身を預け、観念しきったうつろな目で空間を見やる。
「まあ、さっきのエイリアンが言っていたことが確かなら、何の意味もないんだけどな」
誰に話すともなく、思考を落ち着けるために口に出す。
「通信手段も絶たれたし、報告したところで何も変わらない……そのうちだれか気付くだろう」
薄暗い部屋で合成煙草に火をつけ、ゆっくりと煙を燻らせながら目を瞑った。
彼は、「人間の体が微弱電流で動いている」という基本的な問題点に、地球上で最初に気付いた科学者であった。
BABEL 正太郎 @Dobermann
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