第5話


【ダルムシュタット国立大学 海洋学研究室

  ベルナール・アシュトン教授】



 名刺と同じプレートを見つけて、大きなカレッジを見上げる。

 クラシックスタイルではなく、ここは近代的な外観のカレッジだ。


 入るとすぐに受付がある。


「法学部のパーシー・エバンズ教授の紹介で来ました。

 講座に所属しているシザ・ファルネジアです。 

 ベルナール・アシュトン教授に」


 確認いたします、と女性が言って電話を掛けてくれた。

 二、三やり取りをすると通話はすぐに終わる。


「お会いになるそうです。そちらにあるエレベーターで六階に行ってください。

 右手一番奥の研究室にいます」


 一礼し、言われた通りエレベーターに乗り込む。

 生物学部はノグラント連邦共和国の各地に多様なキャンパスを保有していると聞いたが、ここもその一つだろう。

 海洋研究所を擁する海洋学部というだけあり、海辺の側だ。

 首都ダルムシュタット市街からは遠く離れ、一時間半列車に乗り、ノグラント連邦共和国西部ノックスまで来た。

 ノグラント連邦共和国は西南部で隣国と陸続きだが、その他は海に面している。

 

 エレベーターが最上階に着くと、突然目の前に大きな水槽があり、色とりどりの魚が泳いでいた。

 左右を見てから、右の方に歩いて行く。

 通路には水槽も置かれていたが、魚らしき姿をした骨の標本が博物館のように無数置かれていた。


 辿り着いた扉を叩き、「失礼します」と声を掛ける。

 数秒して、遠くの方からどうぞ、と返ったのでシザはゆっくりと扉を開いた。

 すぐに立ち止まる。

 扉の前に、一頭のジャーマンシェパードがお行儀よく座っていたのだ。

 こちらを見上げている。

 別に威嚇をされたわけでは無いし、怖くも無かったが、扉がそれ以上開くと身体に当たる所に座っていたのでどうすればいいか……という顔をして見ていると、口笛が鳴った。

 犬は振り返ると、すぐに駆け出して行った。


 犬がいなくなったのでシザは入って行く。

 まず、円天井になっている上を見上げてしまった。

 そこは広い円形の部屋で、棚が並び本や書類ファイルのようなものが並べられている。

 中央にテーブルが置かれ、いわゆるそこがパソコンやら何やらが置かれている執務机だった。ホワイトボードが並べられていて、地図や写真が無数張り付けてあった。

 天井には巨大なクジラの標本が吊るされていたのだ。

 思わず立ち止まって見上げる。


 書類に目を通していた教授は、入って来た訪問者がいつまでも来ないので顔を上げ、驚いたように見上げている姿を見つけると、笑った。

 丁度いい仕事の区切りを見つけたように、眼鏡を外し、椅子から立ち上がる。


「シロナガスクジラだよ。

 パーシーから聞いてる。君が件の天才少年か」


 無遠慮にそう言われたが勢いに負けて握手をすると、赤毛の教授は人懐っこい笑顔で笑いかけて来た。


「ダルムシュタット国立大の交流プログラムに参加するんだって?

 歓迎するよ。今季は私がシンジゲートの総責任者になったからね。

 君のような存在は非常に珍しい。

 それにパーシーはこのシンジゲートにあまり熱心では無かったから、久しぶりに学生を送り込んで来てくれて私も嬉しいよ。

 異質な生物というものは、一見安定していた生態系に必ず変化を与える。

 他の学生にも色々な変化が訪れるだろう。楽しみだ」


「あの……実は、大まかな話はエバンズ教授から伺いましたが、今回のプロジェクトの詳細はそんなに聞いていなくて」


「まあ一種の実験場だよ」 


 彼は躊躇いなく言った。


「我がダルムシュタット国立大はかの偉大な【ゾディアックユニオン】加盟の地上における選ばれし名門三十二校のうちの一つだ。

 当然、優れた学生たちが毎年のように入って来る。

 多くがすでに道を定めた専門的な分野で名を上げてね。

 君は少し事情が違うけれど。

 優秀でしかない学生を閉鎖的な各カレッジが己の私兵団のように抱えていても、宝の持ち腐れだ。

 だから我々のようなこれからこの大学を導いて行く立場の教授が、横の連携を強化したくて立ち上げたシンジゲートだよ。

 様々な観点で、選ばれた優秀な学生たちが互いに交流して欲しい。

 君たち個人の人脈作りの利益にもなるし、有意義な議論をしてくれればそこから我々が得るものもある。

 専門分野に特化することは素晴らしいが、それで凝り固まれても困る。

 誤解の無いように言っておくけれど、

 シンジゲートに招く学生たちは皆、優秀で見込みがある。

 将来的に学寮長の側で使っていきたい人材などを発見し、鍛え上げる目的もあるよ。

 君の場合はどうやら理由は後者らしいが。

 この交流プログラムには教授と学生の信頼関係が欠かせない。

 だから会話や交流の様子は全て監視させてもらっている。

 一年を通して君たちの交流の様子を記録し、その変化のデータを録ってる。

 双方に利益のある話だ。

 それに登録しても参加は自由だしね」


 そうだ、とアシュトンは執務机に戻り、棚から何かを取り出す。


「ついこの前出来たばかりだ。これから年明けを待ってから参加者に送るものだけど、折角君は訪ねて来てくれたんだから手渡しでいいな。今季の第一回の会合場所が書かれてる。期間は三日間。でもどう参加するかは個人の自由だ。全行程参加する者もいれば数時間顔を出すだけの者もいるし、会場には案内役もいるから、どう過ごせばいいのか戸惑ったら彼らに相談するといい」


「ありがとうございます」


 シザは異世界のような研究室を見回した。

「すみません、海洋学には……疎いのですが、アシュトン教授はどういった研究をなさっているのでしょうか?」

「そうそう。そういった軽い交流から見識が深まるんだ」

 早速聞かれた教授は満足げに笑っている。

「私は海洋生物の研究が専門だよ」

「海洋生物……」

 思わず上空に浮かぶ巨大なクジラの標本をもう一度見上げていた。

 

 ワン! とジャーマンシェパードが鳴き声を上げる。


くじらの研究ですか?」

 アシュトンは声を出して笑った。

「あいつは先代の趣味だ」

 あいつ、と上空の鯨を指差した。


「嫌いじゃないから取り外しはしないけどね。

 でも私の専門はじゃない。

 ――地上で最強の生物だ」


 もう一度犬が鳴いたので、アシュトンは足元の犬の頭を撫でてやった。


「地上で最強の生物……鮫……とかですか?」


「君はこの世で最強の生物と言われて『種』ではなく、『能力』で答えるならばなんだと思う?」


 アシュトンが腕を組んでシザの方を見ている。


「海というフィールドには、様々な特殊な能力を持つ生物がいる。

 獲物を嚙み砕くパワーや、高速艇よりも早く泳ぐスピード。

 生物が生まれ持つ本能や、最初から神の手で与えられたように備わっている知性も驚異的な能力と言える。

 だけど私が思うに……この世で最強の生物とは、いかなる環境にも自らをすぐさま適応させる順応性を持つ生物だ。

 適応力だよ。

 環境に適応する能力が高ければ、急激な環境の変化にも耐え得るし、絶滅の難から逃れることが出来る。

 シンジゲート参加者を、各学寮長が様々な視点で評価するけれど、私はプログラムでも学生の『適応力』を注視して見るつもりだ」


 彼はホワイトボードに貼ってあった一枚の写真を取って、シザに渡す。


「――シャチ?」


 アシュトンの瞳が輝く。彼は大きく頷いた。


「七大陸の異なる環境に生息している十四の群れを、我が研究所では二十四時間監視しているが。彼らの適応力には未だに驚かされる。彼らは環境によって、全く異なる狩りの仕方をする。 

 獲物を追い詰める集団戦法も多彩だ。

 元々生息していた地域と数年で異なる海に搬送してコンバートさせているが、どの群れもタフに適応して来る。生息する場所で、狙う獲物も異なって来る。


 本当に凄い連中だよ。


 獲物の習性を学び、特徴を学び、弱点を探す。

 普段は陸地にいるが、海に出て狩りをするような相手は、出て来る海岸線を狙って待ち伏せするし、獲物の豊富な狩場に一度向かわせてから、そこで待ち伏せすることもある。

 北極方面の部隊は過酷な環境下で獲物が限られている。

 それなのに捕食した獲物を全て自分たちで確保せず、一定数残したままにする群れがいた。


 ――撒き餌だ。


 わざと餌を放置して、それに集まって来る大型の獲物を集団で狩り獲る。  

 小型の魚を探し回るよりも、大型獣を仕留めた方が群れの腹を満たせる。

 効率の良さを重視したやり方だ。


 かと思えば氷の上に孤立したアザラシを捕食しようとして、警戒して降りて来ないアザラシがいれば、こうやって氷の周囲の水面を泳ぎにより波立たせ、海面を揺らして氷からアザラシを落下させようとしたりもする。

 波を生み出す集団行動は見事だよ。興味があるないに関わらず、君も一度見て見るといい。

 うちの研究室のサイトにそういう動画はまとめてあるから。


 海流の強い南の大陸に生息する部隊は潮の流れを完全に把握している。


 強い海流に守られた島で過ごす獲物が油断していると、その潮の流れを利用して浜辺まで突撃して乗り上げながら狩りをするよ。砂浜にまで彼らが乗り上げて、捕食し、身体をうねらせる反動で浜から海に戻って行く姿を見れば、彼らを最強の生物と私が呼ぶ理由がきっと分かるだろうね。


 海の生物が安易に陸に乗り上げて戻れなくなれば、死しかない。

 だから彼らは本能的に海と陸の境界線は避ける。

 知能の高いシャチにそういう認識がないはずがない。


 つまり、自分たちの能力を以てすれば帰還出来るという自信がある故の行動だ。

 自ら砂浜に突撃して行くあの姿は、他の海洋生物とは明らかに彼らが一線を画す所だよ。

 子育ての時期は未熟な生物が多いから、相手はそういう油断を見せる。

 泳ぎを子供に教えるために海岸線に近づくからね。

 だから危険を把握してない獲物が多いあの時期の海岸線は、

 捕食が成功する確率が高いと見て好む狩場になっている。

 勿論冬にはそういう狩りを全くしなくなり、季節にさえ彼らは適応出来る」


「シャチは集団で狩りをする、くらいは知っていましたが……」


 アシュトンは笑った。

「そうか。だが集団で狩りをする生物なんかどれだけでもいる。

 ――シャチが異質なのは襲撃方法の多彩さだよ。

 普通生物は生きる為に捕食するが、シャチは群れの腹が満ちていても狩りをして獲物を仕留め、食べないこともある。

 つまり完全に狩りのやり方を群れで鍛える『学び』の襲撃を行っているわけだ。

 人間で言うイメージトレーニングや予行練習だね。

 遊びと言えるかもしれない。

 人間も幼い頃は遊びから作業を昇華させることがある。

 ――知能の高い生物には、『遊び』が必ず必要なんだ」


 海洋学者ともなると、恐らく研究所に籠ってばかりというわけには行かないのだろう。

 シザが普段カレッジで見かける教授たちと、アシュトンは確かに雰囲気が全く違った。

 上手く表現出来ないが、生身の生物を相手にしている人間特有の熱がある。

 海洋学など、シザは全く関わったことのない分野だったが、アシュトンが話しているのを聞くと興味が瞬く間に湧いて来る。

 パーシー・エバンズの法学講座も同じものを感じた。


「君たちも同じさ」


 アシュトンが表情を輝かせてニッ、と笑みを見せる。

 ワン! 側にお行儀よく座っているシェパードがまた吠えた。



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