第2話 異世界の常識と非常識、そして決意
村を離れ、比較的大きな町「アルテナ」に辿り着いたケン(健一はこの世界でそう名乗ることにした)は、情報収集に努めた。幸い、言葉は通じるようだった。おそらく、転生時に何らかの補正がかかったのだろう。彼は、持ち前のコミュニケーション能力と、わずかながら持っていた現代知識(例えば、簡単な計算方法や衛生観念など)を駆使して日銭を稼ぎながら、この世界の常識を学んでいった。
アルテナは、地方領主が治める城壁都市で、商業がそれなりに盛んだった。しかし、ここでも奴隷制度は健在で、労働力や時には性的搾取の対象として、人々が非人道的に扱われているのを何度も目撃した。奴隷商の店先には、生気の無い目をした人々が檻に入れられ、まるで物のように値踏みされていた。
(やはり、酷い世界だ…)
ケンは眉をひそめる。だが、同時に、彼はこの世界の「労働」に対する価値観も理解し始めていた。職人ギルドや商人ギルドは存在するものの、それは一部の技能を持つ者たちのためのものであり、多くの人々は日雇いの不安定な仕事に就くか、あるいは有力者に隷属することでしか生計を立てられない。失業は即、飢えに繋がる。法による労働者の保護など、存在しないに等しい。
そんな中で、ケンの持つ「奴隷契約」の力は、異質な輝きを放っていた。
ある日、ケンは町の酒場で、商人たちの会話を耳にした。
「まただ。雇ったばかりの護衛が、給金の前借りを要求してきて、渡したらそのまま逃げやがった」
「よくある話だ。うちは、納品先で番頭が商品の一部を横流ししていたことが発覚してな。損害が馬鹿にならん」
「本当に、信じられる人間を雇うのは難しい…」
(これだ…!)
ケンは確信した。この世界では、雇用主側もまた、労働者の裏切りや怠慢に頭を悩ませている。信頼できる労働力への需要は、非常に高いはずだ。
彼の「奴隷契約」は、奴隷側だけでなく、雇用主側にも契約遵守を強制する。つまり、雇用主は不当な解雇や賃金の未払いができなくなる。そして、奴隷側は、定められた期間、誠実に働くことが保証される。
(これは、双方にメリットがあるシステムじゃないか? 奴隷という言葉は最悪だが、実質的には、魔法で保証された超強力な雇用契約だ)
ケンは、前世の経験を活かすことを決意した。彼がやろうとしているのは、単なる奴隷商人ではない。それは、人材を求める者と、仕事を求める者を繋ぎ、双方に利益をもたらす、いわば「異世界版人材派遣会社」だ。ただし、その契約は魔法によって絶対的に守られる。
(俺が目指すのは、搾取じゃない。適材適所、公正な待遇、そして何よりも、働く意志のある者に安定と機会を提供することだ。そう、これは「ホワイト」な奴隷商だ!)
もちろん、課題は山積みだ。「奴隷」という言葉の持つ負のイメージをどう払拭するか。既存の奴隷商人たちからの反発も予想される。そして何より、この力を倫理的に、そして効果的に運用するための具体的なシステムを構築しなければならない。
ケンは、まず小さな事務所を構えるための資金集めを始めた。幸い、彼は若返った肉体と、前世で培った様々な知識を持っていた。簡単な土木作業の効率化を提案したり、商人たちの帳簿整理を手伝ったりして、少しずつだが確実に資金を貯めていった。その過程で、彼は多くの人々と出会い、この世界のニーズを肌で感じ取っていった。
ある時、ケンは町の片隅で、一人の少女が衛兵に捕まっているのを見かけた。歳は十五、六といったところか。痩せてはいるが、その瞳には強い意志の光が宿っていた。
「パンを一つ盗んだだけだ! 三日も何も食べてないんだ!」
少女は叫んでいたが、衛兵は聞く耳を持たない。
「盗人猛々しい! 領主様への上納品に手を出すとは、万死に値するぞ!」
周囲の野次馬たちも、冷ややかな視線を送るだけだった。この世界では、窃盗は重罪であり、特に領主への上納品となれば、見せしめに厳罰に処されるのが常だった。
ケンは、その少女の姿に、何かを感じ取った。飢えからくる切羽詰まった行動。だが、その目には、まだ諦めが見えない。
(彼女なら…あるいは…)
ケンは、衛兵に近づき、声をかけた。
「少々お待ち願いたい。その少女、私が引き取ってもよろしいかな?」
衛兵は訝しげな顔でケンを見た。
「なんだ、お前は? この小娘の身内か?」
「いや、そうではない。だが、彼女が犯した罪の代償は、私が支払おう。そして、私の監督下で、しっかりと更生させることを誓う」
ケンは、なけなしの銀貨を数枚取り出し、衛兵の手に握らせた。当時の貨幣価値からすれば、パン一つの代償としては破格の金額だった。衛兵は一瞬ためらったが、銀貨の重みに顔を綻ばせた。
「…ふん、そこまで言うなら、今回は特別に許してやろう。だが、二度とこのようなことがないよう、しっかりとしつけるんだな」
こうして、ケンは図らずも、最初の「人材候補」と出会うことになった。
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