第15話「降臨」

 聖歌が、その言葉と共に、天に向かってふわりと両手を広げ、まるで何かを招き入れるかのような仕草をした、まさにその瞬間だった。

 彼女の足元から、そしてこの花園と化した工業地帯全体から、先程までの黄金色の浄化のオーラとは異なる、しかし同様に強大で、そしてどこか懐かしく、そして何よりも「至高のもふもふ」の気配を濃厚に感じさせる、七色の虹のような光の柱が、天を衝くように、いや、天そのものを突き破るかのように、轟音と共に立ち昇ったのだ。

 それは、聖歌の無自覚な浄化能力によって活性化された、この土地に元々溜まっていた膨大な負の感情エネルギーと、そして新たに生まれた膨大な正の感情エネルギーが、奇跡的なバランスで融合し、そして増幅され、次元の壁を越えて、遠く離れた場所に封印されていた「何か」と、強烈に共鳴を引き起こした結果であった。


「なっ……なんだこれはッ!?」


『ガーディアンズ』指令室で、神宮寺司令が絶叫した。全てのモニターが、再び強烈なエネルギー反応でホワイトアウトし、けたたましい警報音が鳴り響く。


「司令! エネルギーレベル、計測不能! これは……これは、四十年前の『アウター・ワン・カタストロフ』の際に観測された初期パターンと酷似……いや、それ以上です! まさか……封印が……!?」

「あり得ん! 封印は完璧だったはずだ! それに何だこの声は」

「声……?」


 おパレーターの悲鳴のような報告を受ける神宮司司令の耳には、確かに声が聞こえていた。

 それはまるで讃美歌のような、それが蘇ることを祝福するかのような喜々とした声。


『「あのお方」がついに覚醒める。「あのお方」がついに出会える。「あのお方」はようやく再会を果たせる』


 そんな声など聞こえないのか、ドクター・アリスが、かつてないほど真剣な、そしてどこか恍惚とした表情で叫んだ。

「来ますわ……! ついに、ついにこの日が……! エンプレス・モフ様は、この地を聖別し、そして今、まさに、あの伝説の『ザ・ワン』様を、この地上に、我々の目の前に、ご降臨させようとなさっているのです! なんという壮麗な! なんという神懸かりな! そして、なんという……無謀な! しかし、それこそがエンプレス・モフ様!」


 次の瞬間、花園と化した工業地帯の上空、七色の光の柱が収束する一点の空間が、まるで巨大な万華鏡が内側から砕け散るかのように、無数の亀裂と共に裂けた。

 そして、その裂け目の向こう側から、絶対的な闇と、そして宇宙の深淵そのものを覗き込むかのような、巨大で、荘厳で、そしてどこまでも異質な「何か」が、ゆっくりと、しかし抗いがたい力をもって、この世界へとその姿を現し始めたのだ。


 それは、山と見紛うほどの巨体。

 夜空の闇をそのまま切り取って凝縮したかのような、深淵の闇色の毛皮。

 その毛の一本一本が、星々の煌めきを宿したかのように微かな光を放ち、オーロラのように色彩を変化させている。

 頭部には、複雑に枝分かれした水晶の森のような巨大な角が天を衝き、背には、畳めば身体を覆い尽くさんばかりの、ステンドグラスを思わせる極彩色の六対の翼。

 そして、その顔の中心には、ただ一つ、月よりも大きく、黄金よりも純粋な光を湛えた、巨大な単眼が、静かに、しかし威圧的に、この世界を見下ろしていた。


 伝説の魔獣『ザ・ワン』が、四十年の封印を破り、今、万里小路聖歌の目の前に、その完全なる姿を現したのである。


 その圧倒的なまでの存在感と、周囲の空間そのものを歪ませるほどのプレッシャーに、先程まで聖歌に懐いていた聖獣たちでさえ、本能的な恐怖に身を震わせ、後ずさる。


 しかし、聖歌だけは違った。


「まあ……! ああ……! なんということでしょう……!!」


 聖歌の美しい蒼い瞳は、これ以上ないというほどに見開かれ、そこに宇宙の全ての星々を映したかのように、キラキラと、いや、ギラギラと、抑えきれないほどの歓喜と興奮の光を宿していた。

 恐怖など微塵も感じていない。それどころか、その表情は、長年探し求めていた運命の相手についに巡り合えた乙女のようでもあり、あるいは、人類未踏の秘境の奥で前人未到の至宝を発見した探検家のようでもあり、そして何よりも、生涯を捧げるに値する「至高のもふもふ」と対面した、一人の求道者のそれであった。


「素晴らしい……! なんて、なんて荘厳で、雄大で、そして……ああ、なんという深淵にして根源的な、『もふもふ』のオーラなのでしょう……!! あの毛並み……! 夜空の闇よりもさらに深く、それでいてその一本一本が、銀河の星々を砕いて練り込んだかのように、オーロラのような神秘的な輝きを内に秘めている……! そして、あの六対の翼! あれは、ステンドグラスなどという陳腐なものではありませんわ! きっと、虹の女神イリス様が、ご自身の虹色のヴェールを惜しみなくお与えになり、それを天使たちが丹念に織り上げた、触れれば魂ごと天国へ飛翔してしまいそうなほどに柔らかく、そして温かい、究極の『羽毛もふもふ』に違いありませんわ! ああ、想像するだけで、わたくし、もう……もう、我慢できません!」


 聖歌は、その場で感極まって卒倒してしまいそうなほどの勢いであったが、かろうじて万里小路家の令嬢としての矜持で意識を保っていた。


 その聖歌の、常人には到底理解不能な反応と、そして何よりも『ザ・ワン』の完全なる復活という悪夢のような事態を目の当たりにした『ガーディアンズ』指令室は、もはやパニックを通り越して、一種の終末的な静寂に包まれようとしていた。


「司令……! 『アウター・ワン』が……『アウター・ワン』が、完全に覚醒、いえ、あの工業地帯に……エンプレス・モフの目の前に、降臨いたしました……! 我々の封印は……完全に破られた模様です……!」


 オペレーターの声は、絶望に染まっていた。

 神宮寺司令は、その報告に、一瞬、全ての思考が停止するのを感じた。四十年前の悪夢、「アウター・ワン・カタストロフ」の再来。いや、あの時以上の絶望が、今まさに始まろうとしている。そして、その引き金を引いたのが、あろうことか、あの万里小路家の令嬢だというのか……!


「っ……全魔法少女部隊に緊急指令!」


 神宮寺司令は、絞り出すような声で、しかし最後の気力を振り絞って叫んだ。


「目標は、エンプレス・モフ、及び、彼女によって復活させられた『ザ・ワン』! もはや躊躇は許されん! この星の存亡を賭け、全力をもって、かの災厄を……そして、必要とあらばエンプレス・モフをも、完全に排除せよ!!!」


 それは、事実上の、万里小路聖歌に対する「抹殺許可命令」であった。そして、それは同時に、『ガーディアンズ』という組織の、そして人類の、最後の、そして最も絶望的な戦いの始まりを告げる号砲でもあった。


 その頃、聖歌の足元では、もふアンとカイザー、そしてルナールが、『ザ・ワン』の放つ圧倒的な気配に、本能的な警戒心を抱きつつも、何よりも大切な聖歌様を守ろうと、それぞれの小さな体を震わせながら、彼女の前に立ちはだかろうとしていた。

 その彼らの決意に応えるかのように、『ザ・ワン』の降臨によって活性化した周囲の「もふもふエネルギー」と、聖歌自身から溢れ出す底知れない愛情のオーラが、彼らの体を包み込んだ瞬間――奇跡が起こった。

 もふアンの白銀の毛並みは、さらに神々しい光を放ち始め、その体躯は見る間に成長し、まるで麒麟か、あるいは聖なる白狼のような、威厳と優美さを兼ね備えた巨大な霊獣の姿へと変貌を遂げた。その額には、小さな金の角が顕れ、背中には純白の翼が広がる。

 カイザーもまた、そのクリスタルのような甲殻をさらに硬質化させ、そしてダイヤモンドダストのような輝きを放ちながら、戦車をも容易く粉砕しそうなほどの巨大な守護神獣へと姿を変えた。そのハサミは、あらゆるものを切り裂き、そしてあらゆるものを守る盾となるであろう。

 そしてルナールは、その銀色の毛並みを月光そのもののように輝かせ、体躯はさらに一回り大きく、その蒼氷色の瞳は、絶対零度の決意を宿して、『ザ・ワン』を睨みつけていた。その背には、まるで銀河を切り取ったかのような、星々が煌めく美しい翼が広がり、まさに「月光の戦神」とでも呼ぶべき姿へと変貌を遂げていた。


「まあ! もふアン! カイ様! ルナール! あなたたち……なんて雄々しくて、そしてなんて頼もしくて、そして何よりも……なんて素晴らしい『究極進化もふもふ』なのでしょう!! これがワープ昇華というものですのね! 今にもあの音楽が流れてきそうですわ!」


 聖歌は、その光景に、またしても感涙にむせびながら、しかしどこまでも嬉しそうに叫んだ。

 彼女の頭の中では、これから始まるであろう『ガーディアンズ』との全面戦争は、きっと『ザ・ワン』様ご降臨を祝う、それはそれは盛大で、華やかで、そして何よりも「もふもふ」に満ちた、最高の歓迎セレモニーの余興に違いなかったのである!


 その時、上空から、無数の、そして色とりどりの光の矢が、まるで流星雨のように降り注いできた。それは、神宮寺司令の「排除命令」を受け、ついに実力行使に踏み切った、如月凛子率いるAチーム、そして天野翼率いるBチームの魔法少女たちによる、一斉攻撃であった。


「エンプレス・モフ! そしてアウター・ワン! これ以上の好き勝手はさせないわ! たとえ相打ちになったとしても、ここであなたたちを止める!」


 凛子の、悲壮なまでの決意を込めた叫びが響き渡る。

 しかし、聖歌は、その降り注ぐ美しい光のシャワーを、キラキラとした瞳で見上げながら、うっとりと呟いた。


「まあ! なんて素晴らしいのでしょう! 『ザ・ワン』様のご降臨を祝福して、こんなにも盛大で、そして華麗な魔法のイルミネーションショーまでご用意してくださるなんて! さすがは『ガーディアンズ』の皆様、そして可愛らしい魔法少女さんたちですわ! そのお心遣い、わたくし、心から感謝いたしますわ! さあ、もふアン、カイ様、ルナール、そしてそこにいる可愛らしい聖獣の皆様も、この素晴らしい歓迎の宴を、心ゆくまで楽しみましょう!」


 聖歌の、どこまでも純粋で、そしてどこまでも致命的な勘違いによる「開宴の合図」と、そして彼女から放たれる、さらに増大した「歓迎と喜びと、そして究極のもふもふ愛」のオーラを感じ取った聖獣たちは、それを「聖歌様をお守りし、そしてこの素晴らしい歓迎の宴を邪魔する、無粋な花火を、もっと華やかに、そしてもっとエキサイティングに打ち返して差し上げなさい!」という、絶対的な命令と解釈した。


「グルルルルルルルォォォォォォッッ!!」「ザリ……ザリ……!」「キュウウウウウウウンンンンン!!」


 巨大化したもふアン、カイザー、ルナールが、それぞれ聖歌を守るように陣形を組み、魔法少女たちの攻撃を、あるいは強靭な毛皮で弾き返し、あるいはダイヤモンドよりも硬い甲殻で受け止め、あるいは絶対零度の冷気で相殺し、そして逆に、それぞれの属性を纏った強力な反撃のオーラを放ち始めた!

 さらに、花園で聖獣化したばかりの、元魔獣たちも、聖歌の「楽しみましょう!」という言葉を「お前たちも歓迎のダンスを踊れ!」と解釈したのか、あるいは本能的に聖歌を守ろうとしたのか、それぞれが得意とする特殊能力を、魔法少女たちに向けて一斉に放ち始めた!


 そして、その戦場を見下ろすように、静かに、しかし圧倒的な存在感を放って佇む『ザ・ワン』。その黄金の単眼が、ゆっくりと地上に向けられ、そして――その巨躯から、無数の、黒く、そして禍々しい瘴気を纏った星の仔たちが、まるで悪夢の種が芽吹くかのように、次々と生み出され、戦場へと放たれ始めた!


「なっ……!? あれは……アウター・ワンの分身……! しかも、この数……!?」


 凛子が絶句する。


「まずいわ! あれは、四十年前に街を覆い尽くした魔獣の元そのものよ!」


 その時、どこからともなく、力強い声が響き渡る。


「おうおうおう! 随分楽しくやってるじゃねえか!」

『美琴たちの苦労を無駄にはさせません……』

「ハロー、ジャパニーズガール! 助太刀に来たヨー!」


 戦場に、新たな光の柱が数本降り立ち、そこから現れたのは要請を受け駆け付けた無数の魔法少女たち。その中には嘗ての戦いに参加した妖精の姿もある。

 今ここに、魔獣vs魔法少女vs聖獣という、三つ巴の戦いが始まろうとしていた。

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