第14話「奇行の果てに」
その日、聖歌はふと、セバスチャンに淹れてもらった最高級ジャスミンティーを味わいながら、一つの天啓を得た。
「セバスチャン。近頃、わたくしの『もふもふサンクチュアリ』も、もふアンやルナール、カイ様、そしてエンジェル・コットンズの皆様やナイトスフィア・カルテットちゃんたちのおかげで、大変賑やかで素晴らしい場所になってまいりましたけれど、やはり『ザ・ワン』様のような、宇宙の神秘そのものを体現なさったかのような特別な方をお迎えするには、それに相応しい、何かこう……魂を揺さぶるような歓迎の演出が必要だと思うのですわ」
「と、仰いますと、お嬢様?」
セバスチャンは聖歌のティーカップにジャスミンティーを注ぎ足しながら、その真意を穏やかに尋ねる。
「ええ。例えば、そう……『ザ・ワン』様がお通りになる道筋を、この世のものとは思えぬほど美しい花々で埋め尽くし、まるで天上の花園を歩いていらっしゃるかのような、夢見心地の体験をしていただく、というのはいかがかしら? 聞くところによりますと、都心に近い臨海工業地帯の一角に、最近使われなくなって少々殺風景になっている広大な土地があるとか。あそこを、わたくしたちの手で、一夜にして奇跡のお花畑に変えて、『ザ・ワン』様をお迎えする際の、華麗なるサプライズにしたいのですけれど、何か良い方法はありませんこと?」
聖歌は、目を輝かせながら、いつものように突拍子もない、しかし彼女にとっては極めて真剣な提案をした。
セバスチャンは、その言葉の裏にあるであろう途方もない労力と予算、そして何よりも『ガーディアンズ』を筆頭とする各方面への複雑怪奇な根回しの必要性を瞬時に計算しつつも、顔色一つ変えずに笑顔で応じた。
「お嬢様のその壮麗にして心温まるアイデア、必ずや『ザ・ワン』様もお喜びになりましょう。かしこまりました。臨海工業地帯の美化活動、及び、そこに『奇跡のお花畑』を現出させるための準備、このセバスチャンが、万里小路家の総力を挙げて、秘密裏に、かつ迅速に、そして何よりもエレガントに執り行わせていただきます」
その結果、数日後の早朝、当該工業地帯には、まるで何かの秘密結社が秘密の儀式でも行うかのような、異様な、しかしどこか統制の取れた光景が出現した。
土壌を瞬時に浄化し、植物の成長を異常なまでに促進するという、万里小路家傘下の秘密研究所が開発した特殊なオーガニック活性剤を散布するための、最新鋭の大型散布ドローン群。
世界各地の秘境から集められた、一袋数百万は下らないという最高級の有機培養土を満載した数十台の大型トラック。
そして、なぜか万里小路家私設オーケストラの、特に腕利きの選抜メンバーたちが、純白の燕尾服に身を包み、楽器の最終調整を行っている。
同時刻、対魔獣防衛機構『ガーディアンズ』日本支部指令室では、その臨海工業地帯に、複数の、そして急速に増大する高エネルギー反応と、それに呼応するかのように、周辺地域から多数の小型~中型の魔獣が、まるで何かに引き寄せられるかのように集結し始めているのが観測され、最大級の、そしてもはや慣れっこになりつつある警戒態勢が敷かれていた。
「間違いない! エンプレス・モフが、ついに、またしても、我々の予想の斜め上を行く形で本格的な行動を開始しましたわ!」
ドクター・アリスは指令室のメインスクリーンにリアルタイムで映し出される、聖歌を中心とした万里小路家の展開図を、その大きな丸眼鏡の奥の瞳を興奮で血走らせながら指し示し、いつにも増して甲高く、そして嬉々とした声で叫んだ。
「この完璧なまでの布陣、この圧倒的な物量、そしてこの、まるで何かの召喚儀式でも行うかのような怪しげな雰囲気! これは、この臨海工業地帯一帯を、巨大な『負の感情エネルギープラント』へと強制的に改造し、そこに集めた無数の小型魔獣の生命エネルギーと恐怖の叫びを触媒として、『ザ・ワン』を、その封印から無理やり強制的に覚醒させ、あるいは新たなる、より凶暴で、より『もふもふ』な形態へと『進化』させるための、それはそれは壮大にして冒涜的な儀式の、まさに準備段階ですわ! なんという大胆不敵! なんというスケールの大きさ! そして、なんという……わたくしの研究意欲を刺激してやまない展開なのでしょう!」
神宮寺司令は、ドクター・アリスのそのあまりにも具体的で、そしてあまりにも危険な報告を、もはや右から左へ聞き流す技術を習得しつつも、現場から次々と送られてくる「対象エンプレス・モフ、純白の特製作業服を着用し、巨大な散水車の上に仁王立ちになり、優雅に指揮を開始」「対象周辺に、謎の音響装置を設置、荘厳なクラシック音楽の演奏準備中」といった、理解不能な報告の数々に、こめかみをギリギリと、もはや神経が擦り切れるのではないかというほどに強く押さえた。
「僕たちの四十年を無駄にする気か……! 如月凛子! 君のAチーム、及び天野翼のBチームは、他の陽動部隊と共に、ただちに現場へ急行! 儀式が本格的に開始される前に、エンプレス・モフの無力化、あるいは、その儀式の中核となるだろう散水車の破壊を試みよ! これ以上の、彼女の自由奔放な活動を許すわけにはいかん! 例えこれが原因で組織が瓦解することになっても構わん。全面抗争も視野に入れろ!」
その頃、聖歌は、この日の「サプライズお花畑大作戦」のために万里小路家が特別に用意した、純白の、しかし土汚れ一つ寄せ付けない特殊加工が施された最高級シルク製の作業服に身を包み、鼻歌交じりで、セバスチャンが「土壌と植物の魂を活性化させる、奇跡のオーガニック活力剤です」と説明した液体の、大型ドローンによる散布を、優雅に、そして楽しそうに指示していた。
「皆様、ごきげんよう! 今日は、この少々殺風景で、ちょっぴり寂しげな場所を、わたくしたちの愛と情熱と、そしてこの『奇跡の活力剤』によって、かの『ザ・ワン』様が、思わず『まあ、なんて素晴らしいのかしら!』と感涙にむせんでお喜びになるような、それはそれは美しくて、そして『もふもふ』な香りに満ちたお花園に、大胆かつエレガントに変えてしまいますわよ! さあ、音楽の準備もよろしくて? 本日のBGMは、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』、そしてドヴォルザークの『新世界より』のスペシャルメドレーで、華々しくまいりましょう!」
彼女の明るく、そしてどこまでもマイペースな声と、万里小路家私設オーケストラが、なぜこの選曲なのかと内心で首を傾げながらも、プロの意地で完璧に奏で始めた、勇壮にして荘厳なクラシック音楽が、廃工場の錆びついた鉄骨に、奇妙に、しかしどこか感動的に反響する。
その時だった。
突如、足元の地面が、まるで巨大な生き物が身じろぎでもしたかのように、ゴゴゴゴゴ……と激しく揺れ、以前から汚染が報告されていた土壌が裂け、そこから、禍々しい瘴気を纏った魔獣たちが、まるで地獄の釜の蓋が開いたかのように、あるいは音楽隊の調べに呼び集められたかのように、一斉に、その数ざっと見て百を超えるおぞましい姿を現したのだ。
「きゃあああ!? ば、バケモノ―!?」
という、オーケストラの団員や、植栽準備をしていた作業員たちからの、当然の、そして極めて真っ当な悲鳴が、あちこちから上がった。
しかし聖歌は、その一般人ならば卒倒するか、あるいは一生トラウマになりかねない地獄絵図のような光景を見ても、全く、微塵も動じなかった。それどころか、その美しい蒼い瞳を、嬉しそうにキラキラと輝かせながら、セバスチャンに目で合図をする。
セバスチャンがそれに従い手を挙げると、空からヘリが降下し、そこから複数の機械が地上へと投下された。
それらの機械は次々に変形、次いで楽器のようなものを構えると、逃げ惑うオーケストラに代わり楽器の演奏を引き継いだではないか。
聖歌は現れた魔獣の軍勢を出迎えると、それは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
彼女にとって、目の前にいるおぞましい姿の魔獣たちは、単なる「少々毛並みが荒れていて、ちょっぴり凶暴なところもあるけれど、きっと根は優しくて、ブラッシングして差し上げればすぐに懐いてくれるに違いない、愛すべき『もふもふ』か、あるいはその有望なる『もふもふ予備軍』」でしかないのである。
機械の演奏が止むと、聖歌の衣装が美しいドレスに変わっていた。
聖歌は自らの得意とするハープを受け取ると、明らかに敵意と瘴気をむき出しに襲い来る魔獣たちに微笑み、演奏を始めた。
すると、黄金色の、もはや光というよりは「愛そのもの」とでも言うべきエネルギーの奔流が、臨海工業地帯一帯を、そしてそこに集結した全ての魔獣たちを、一瞬にして包み込む。
その神々しいまでの光に触れた魔獣たちは、例外なく、一瞬にしてその凶暴な動きを止め、そのおぞましい顔に浮かんでいた苦悶や怒りの表情が、まるで凍りついたかのように強張り、そして次の瞬間には、驚愕へ、困惑へ、そして最終的には、まるで生まれて初めて本当の安らぎと幸福を知ったかのような、恍惚とした、そしてどこか幼児退行したかのような表情へと、劇的に変わっていった。
彼らの身体から立ち上っていた禍々しい瘴気は、まるで朝霧が聖なる太陽光に照らされて掻き消えるかのように、一瞬にして霧散し、代わりにそれぞれの体から、淡く、しかし確実に温かく柔らかな光が、まるで内側から発光しているかのように発せられ始める。
見るからに硬質で汚れきっていた甲殻は、まるで磨き上げられた象牙か、あるいは最高級の白磁のような、滑らかで美しい輝きを帯び、濁りきっていた無数の複眼は、まるで最高品質の宝石か、あるいは生まれたての赤子の瞳のような、澄み切った透明感と純粋な輝きを取り戻し、そして何よりも、彼らのそのゴワゴワで汚れていたはずの毛並みは、見る間に艶やかで、フワフワで、そして思わず顔をうずめたくなるような、極上の、まさに「聖歌様認定AAAクラス」の「もふもふ」へと、劇的に、そして不可逆的に変貌していったのである!
そして、その奇跡は魔獣たちだけに留まらなかった。
汚染され、生命の気配すら感じられなかったはずの工業地帯の大地には、みるみるうちに瑞々しい緑が芽生え、色とりどりの、それも見たこともないほどに美しく、そして芳しい香りを放つ花々が、まるで魔法のように一斉に咲き乱れ始める。
まさに、神の御業、あるいは、エンプレス・モフの気まぐれによって現出させられた、地上最後の楽園。
この、あまりにも現実離れした美しい光景を、遠巻きに、そして最新鋭のステルス監視システムを通じて監視していた凛子と、彼女が率いるAチーム及びBチームの魔法少女たちは、もはや言葉を失い、思考を停止させ、ただただ目の前で起こっている「奇跡」を、呆然と見つめることしかできなかった。
「何……これ……。全ての魔獣が……一瞬にして……『聖獣』に……? ……まるで、神話に出てくるような、神々しいまでの……。そして、このお花畑……。ここは、さっきまで汚染された廃工場地帯だったはず……」
凛子の震える声が、通信機を通じて、同じく呆然自失の状態に陥っていた『ガーディアンズ』指令室へと届けられた。
彼女の隣では、百戦錬磨のはずのベテランの魔法少女たちが、まるで生まれて初めて虹を見た子供のように、その光景に目を奪われ、一部は無意識のうちに祈るように十字を切り、また一部は「私も……あのもふもふに触りたい……」と、本音ともつかぬ呟きを漏らしていた。
『ガーディアンズ』指令室では、全ての戦術モニターが、エンプレス・モフから発せられた異常なまでの高エネルギー反応によって一時的にホワイトアウトし、数分後にようやく復旧した画面に映し出されたのは、先程まで魔獣の巣窟、あるいはドクター・アリスの言うところの「負の感情エネルギープラント」だったはずの臨海工業地帯が、まるでCGか何かのように、天国と見紛うばかりの、色とりどりの花々が咲き乱れる美しい庭園へと完全に変貌し、その中央で、無数の、それはそれは愛らしく、そして神々しいまでの「聖獣」たちに囲まれ、その一体一体の頭を優しく撫でながら、まるで「よくできましたわね」とでも言うかのように、満足げに、そしてどこまでも優雅にお辞儀をする、純白のドレスに身を包んだ万里小路聖歌の姿であった。
「し……神宮寺司令……。先程、ドクター・アリスの報告書にあった、『エンプレス・モフによる、地球規模でのテラフォーミング能力』、及び『広域精神支配と魂の再構築による、全魔獣の強制聖別』は……どうやら、誇張でも、仮説でも、そして何よりも……冗談でもなく……現実のものだったようです……。我々は……我々は一体、何と戦おうとしていたのでしょうか……?」
オペレーターの一人が、もはや魂が半分抜けかけたような、震える声で報告する。
神宮寺司令は、無言で、そして震える手で、執務室のデスクの最も奥深く、普段は決して使うことのない、政府最高首脳、及び国連安全保障理事会常任理事国首脳への、緊急かつ最重要機密事項伝達用の、赤いホットラインの受話器を取り上げた。もはや、一組織で、いや、一国家で対応できるレベルを、遥かに、そして絶望的に超えている。これは、人類の存亡に関わる、新たな「神話」の始まりなのかもしれない。
ドクター・アリスは、その間も、壊れたレコードのように、あるいはトランス状態にでも入ったかのように、高らかに、そしてどこまでも嬉しそうに笑い続けていた。
「フフフ…フフフフフ……フハハハハハハハハ! 見ましたか、皆さん! これこそがエンプレス・モフ様の真の力! 彼女の『もふもふ』は、世界を救うのです! いえ、救うというよりは、彼女の愛と美意識によって、より素晴らしく、より愛らしく、そして何よりも『もふもふ』に満ち溢れた世界へと、完全に『再創造』するのですわ! なんという壮麗な! なんという感動的な! そして、なんという……わたくしの全ての仮説を、いとも容易く、そして美しく証明してくださる、恐るべき最終計画なのでしょう! ああ、エンプレス・モフ様! どうか、このわたくしめも、あなたのその『もふもふ新世界創造』の、ほんの片隅の、小さな歯車としてお使いくださいまし!」
当の聖歌は、周囲に、まるで忠実な家臣のように、あるいは熱狂的なファンのようにお行儀よく跪き、その美しい毛並みをキラキラと輝かせながら自分を見上げている、元魔獣たちに、にこやかに、そしてどこまでも優しく語りかけていた。
「まあ、皆様、そんなにかしこまらないでくださいな。ふふ、あなたたち、とっても綺麗になりましたわよ。その素晴らしい『もふもふ』、わたくしがこれから毎日、愛情を込めてお手入れして差し上げますからね。さあ、まずは、このお花畑をもっともっと美しくするために、一緒にお手伝いしてくださるかしら? きっと、かの『ザ・ワン』様も、この素晴らしい光景をご覧になれば、大層お喜びになり、そしてわたくしのティーパーティーへのご招待を、快くお受けくださるに違いありませんわ!」
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