最終話「もふもふサンクチュアリ」

 花園と化した臨海工業地帯は、今や神話の戦場そのものであった。

 天には、絶対的な絶望と終末のオーラを放つ、山のような巨躯の『ザ・ワン』が君臨し、その黄金の単眼で地上を冷ややかに見下ろしている。そして、その巨体からは、まるで悪夢が具現化したかのように、黒く禍々しい瘴気を纏った無数の星の仔らが次々と生み出され、津波のように地上へと殺到し始めていた。

 地上では、その星の仔らと、そして何よりも『ザ・ワン』本体を食い止めんとする魔法少女たちが、決死の覚悟で陣形を組んでいた。

 如月凛子率いるAチーム、天野翼率いるBチームの現役魔法少女たちに加え、次々と参戦する魔法少女たちが、円陣を組んで互いの背中を守り合っている。その瞳には、かつての絶望の再来を乗り越えんとする鋼のような意志と、そして未来への希望の光が灯っていた。


「全隊員に告ぐ! 目標は『アウター・ワン』本体、及びその分身『星の仔』の殲滅! エンプレス・モフとその聖獣軍団の動向にも最大限注意し、必要とあらばこれを排除せよ! 我々の使命は、この星を、人類を、あらゆる脅威から守り抜くことだ! 一人として欠けることなく、必ず生きて帰還しろ!」


 神宮寺司令の悲壮な、しかし力強い檄が、魔法少女たちの通信機を通じて響き渡る。


 そして、その魔法少女たちの前に立ちはだかるのは、万里小路聖歌を守護せんと、それぞれが神々しくも恐るべき聖獣へと変貌を遂げた、もふアン、カイザー、そしてルナールの三体の巨大聖獣と、彼らに率いられた、先程までただの魔獣だったはずの、しかし今や聖歌の「もふもふオーラ」によって完全に浄化・強化され、その瞳に忠誠と献身の光を宿す、百を超える新生聖獣軍団であった。


「グルルルルルルルォォォォォォッッ!!」「ザリ……ザリ……ザリガニッ!」「ワフゥゥゥゥゥゥンンンンンン!!」


 三体の巨大聖獣は、それぞれの属性と特性に応じた、しかしどこか聖歌の美意識を反映したかのような優雅さを伴った戦闘態勢を取り、魔法少女たちと、そして天から降り注ぐ星の仔らを睨みつけていた。

 その全ての中心、まるで嵐の目の中にいるかのように、ただ一人、優雅に、そしてどこまでもマイペースに佇んでいるのが、万里小路聖歌その人であった。

 彼女は、セバスチャンがいつの間にか用意していた、アンティークの美しいガーデンテーブルと椅子に腰掛け、目の前で繰り広げられる、まさに天地鳴動、空前絶後の三つ巴の大乱戦を、まるで特等席でオペラのスペクタクルシーンでも鑑賞するかのように、目をキラキラと輝かせながら、そして時折、銀のポットから自ら最高級ダージリン・ファーストフラッシュをティーカップに注ぎ、その芳醇な香りと味わいを堪能しながら、観戦していた。


「まあ! なんて素晴らしいのでしょう! なんてエキサイティングで、そしてなんて心躍る、歓迎のセレモニーなのかしら! ご覧になって、もふアン、カイ様、ルナール! そしてそこにいる可愛らしい聖獣の皆様も! あの空に浮かんでいらっしゃる、おそらくは『ザ・ワン』様ご本人と、そしてそのお付きの、まるで流れ星のようなお友達の方々が、わたくしたちのために、こんなにも盛大で、こんなにも華やかで、そしてこんなにも『心臓がドキドキするような』魔法のイルミネーションショーと、そして可愛らしいモンスターさんたちによるアクロバティックなダンスパフォーマンスまでご用意してくださるなんて! なんというお心遣い! なんというサプライズ! わたくし、感動で胸がいっぱいですわ! これはもう、最高のティーパーティーになること間違いなしですわね!」


 聖歌のそんな言葉が響く中、魔法少女たちの決死の応戦が続いていた。

 そんな中、応援要請に参加して只今決死真っ最中の一人の魔法少女が、聖歌を見て顔を顰める。


「ええ……聖歌様何やってんの……?」


 橘美琴の産んだ一番下の娘にして、魔法少女としての意志を継ぎ妖精コンと契約した魔法少女――橘響子である。

 聖歌の取り巻きの一人である彼女は、『エンプレス・モフ』が『アウター・ワン』を復活させようとしている、という噂は耳にしていたが、それが聖歌のことであり、聖歌が良く口にしているザ・ワンの事だとは思いもしなかったのである。

 妖精であるコンも学園生活中の響子に干渉していなかったこともあり、事実に気付くのが致命的に遅れてしまっていた。


『わたしさまがもっとしっかりついていればよかった……』


 故郷であるルナリアに思いを馳せ、コンは聖歌を睨みつける。

 元凶は間違いなく響子の友人だというあの子だろう。このままいけば、あの子はこの世界を滅びさせることに気付いているのだろうか? 或いは、過去の自分のように精神攻撃を受けている……?


 コンことコンスタンツィア・ルナ・ヴァイスの故郷、月影の都「ルナリア」は高度な精神文明を築いた世界であった。住民は思索を好み、静寂の中でプシュケーを高め、月の満ち欠けに合わせた祭祀を行っていた。その世界を滅ぼしたのが、魔獣である“星影郷”モルフェウスである。

 彼の魔獣の一派はルナリアの民の「深い思索から生まれるプシュケー」や「星への畏敬の念」、「静謐な絶望」といった複雑で質の高い感情エネルギーを好み、幻覚や悪夢を見せる精神攻撃で住民の心を内側から崩壊させ、ゆっくりと時間をかけてエネルギーを吸い尽くした。

 聖歌がしようとしているのは、まるで幻に心を狂わされ、世界を破滅に導こうとする者のようで、背後に別の魔獣がいる可能性を考えさせる。

 そうして気付いた時には世界は滅び、それを悔いることになるのだ。

 妖精とは即ち、魔獣により滅ぼされた世界その者。残された可能性の欠片イデアが、その世界の中核を為した存在と共に旅立った姿。このままいけば、聖歌は世界を滅ぼし、新たな妖精になることだろう。


「総員、攻撃開始! 目標、エンプレス・モフ及びアウター・ワン! 絶対に近づけるな!」


 凛子の鋭い号令と共に、魔法少女たちの怒濤の攻撃が始まった。

 色とりどりの魔力の光弾、鋭い氷の刃、灼熱の炎の渦、そして大地を揺るがす岩の槍が、『ザ・ワン』と、そしてその手前に位置する聖歌と聖獣たちに向けて一斉に放たれる。


「まあ! なんて美しいのかしら! まるで、夜空に打ち上げられた花火のようですわね! 皆様、もっともっと、わたくしを楽しませてくださいまし!」


 聖歌が、ティーカップを片手に優雅にそう叫んだ瞬間、彼女を守護する聖獣たちが、その言葉を「お嬢様の期待に応えよ! そして、お嬢様のティータイムを邪魔する無粋な花火は、もっと美しく打ち返して差し上げよ!」という、絶対的な命令と解釈した。


 巨大な聖獣と化したもふアンが、天に向かって清浄な咆哮を上げると、その純白の体から聖なる光の波動が放たれ、降り注ぐ魔法少女たちの攻撃のいくつかを優しく霧散させた。その光は、魔法少女たちにダメージを与えることはないが、その魔力を一時的に中和し、攻撃の威力を大幅に減衰させる。


「なっ……私たちの魔法が……!?」

 

 日向みらいが驚きの声を上げる。

 カイザーは、そのダイヤモンドよりも硬い甲殻で聖歌の前方に立ちはだかり、物理的な攻撃や、一部の強力なエネルギー弾を、まるで鏡のように反射させ、あらぬ方向へと弾き飛ばす。その際、甲殻が擦れ合う音が、なぜか美しいチャイムのような音色を奏で、聖歌は「まあ、カイ様、素晴らしい歓迎の音楽ですわ!」と拍手喝采。


 そしてルナールは、その神々しい銀狼の姿で戦場を疾風のように駆け巡り、魔法少女たちの連携を巧みに分断し、あるいはその鋭い爪と牙で彼女たちの動きを牽制する。その口からは、絶対零度の冷気が放たれ、一部の星の仔らを凍結させたり、魔法少女たちの足元を滑りやすくして転倒させたりといった、絶妙なサポートを行っていた。

 他の新生聖獣たちもまた、聖歌の「楽しみましょう!」という言葉を文字通りに受け取り、あるいは本能的に彼女を守ろうとし、それぞれの特殊能力で、戦場をさらにカオスな状況へと導いていく。

 炎を吐くはずが何故か大量の綿あめを吹き出す者、毒の霧を撒き散らすはずが甘い花の香りのアロマミストを噴霧する者、鋭い爪で切り裂くはずが肉球で優しくタッチして相手をくすぐり笑わせてしまう者……。

 それは、もはや戦」というよりは、聖歌様主催の、非常にシュールで、そして極めて危険な歓迎アトラクションとでも言うべき様相を呈していた。


 一方、『ザ・ワン』から生み出された無数の星の仔らは、そのようなお遊戯には全く興味を示さず、ただひたすらに、地上にあるあらゆる「感情エネルギー」を求めて、無差別に襲いかかってきていた。そのおぞましい姿と、魂を直接蝕むかのような負のオーラは、紛れもない脅威であった。


「みんな、気をつけて! あの黒いチビ共、数が多すぎるわ! しかも、触れられると気力を吸い取られる!」


 天野翼が、風の刃で数体の星の仔らを切り裂きながら叫ぶ。


「先輩方! こちらは任せて下さいよ! てか聖歌様はマジで何してるんだ?」


 響子が何でここに聖歌いるんだろうって疑問顔を続けたまま、氷の魔杖を構え叫ぶ。

 魔杖はやがて形状を変化させる。それはまるで騎手が振るう鞭のようにしなやかであり、それを巧みに操り星の仔らを翻弄する。


 戦場を退いたはずの魔法少女たちも参戦し、現役の魔法少女たちと背中合わせになり、かつての戦いを彷彿とさせる完璧な連携で、星の仔らに立ち向かう。その姿は、まさに伝説の勇者の再臨であった。

 神宮寺司令は、指令室でその光景を固唾を飲んで見守っていた。彼の目には魔法少女たちの健闘が、熱いものが込み上げてくるほどに眩しく映っていた。


(頼む……! どうか……! この星を……!)


 ドクター・アリスは、そんな司令の感傷など全く意に介さず、興奮のあまり鼻血を出しながら、新たなレポートのタイトルをタブレットに打ち込んでいた。


「速報! エンプレス・モフ様、ついに『ザ・ワン』様を召喚し、その歓迎の儀として、配下の聖獣軍団と『ガーディアンズ』魔法少女連合による、空前絶後の『模擬神々の黄昏もふもふ・ラグナロク』を開始! これは、新たなる宇宙の秩序と、『もふもふ』による支配を決定づける、最終聖戦ティーパーティーの始まりに他なりませんわ! ああ、この歴史的瞬間を、わたくしは今、目撃しているのです! なんという僥倖! なんという至福! もはや、論文の一本や二本では、この感動は書ききれませんわ!」


 そして、その全ての喧騒と混沌と、そして熱狂の中心で、聖歌は、ふと、ティーカップを置くと、静かに立ち上がった。彼女の蒼い瞳は、天空に君臨する『ザ・ワン』の、あの巨大な黄金の単眼を、まっすぐに見つめている。


「ザ・ワン様……。素晴らしい歓迎の宴、誠にありがとうございます。わたくし、心から感動いたしましたわ。……でも、そろそろ、あなた様のその素晴らしい『もふもふ』を、この手で直接確かめさせていただいても、よろしくて?」


 彼女のその、あまりにも純粋で、そしてあまりにも場違いな言葉が、戦場に響き渡った瞬間、全ての動きが、まるで時が止まったかのように、一瞬だけ静止したように見えた。

 『ザ・ワン』の黄金の単眼が、ほんの僅かに、しかし確かに、万里小路聖歌に向けられたような気がした。そして、その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、激しい怒りでも、冷たい虚無でもない、何か……それは、深い悲しみか、あるいは焦がれるような思慕か、それとも、遠い過去の温かい記憶の残滓のような、複雑な光が宿ったのを、聖歌だけは、確かに感じ取った。


 聖歌の言葉に応えるかのように、『ザ・ワン』が、その山のような巨躯を、ほんの僅かに、しかし確かに震わせた。そして、次の瞬間、その黄金の単眼から、これまでとは比較にならないほど強大で、そして純粋な破壊の意志を凝縮したかのような、漆黒のエネルギー波が、一直線に聖歌へと向かって放たれた!


「エンプレス・モフ!」

「聖歌様っ!!」


 凛子と響子が、同時に絶叫した。他の魔法少女たちも、そのあまりにも絶望的な光景に息を飲む。もはや、誰も間に合わない。

 しかし、聖歌は、その終末の光線を前にしても、微動だにせず、ただ穏やかな微笑みを浮かべていた。


「まあ、ザ・ワン様。そんなに情熱的に、わたくしを求めてくださるなんて……。わたくし、感激ですわ」


 そして、信じられないことが起こった。

 漆黒の破壊エネルギーは、聖歌の数メートル手前で、まるで目に見えない、しかし絶対的な壁にでも衝突したかのように、何の音もなく霧散し、その代わりに、聖歌の全身から、あの花園を創り出した時以上の、温かく、清浄で、そしてどこまでも優しい黄金色のオーラが、まるで太陽が昇るかのように、迸ったのだ!

 そのオーラは、瞬く間に戦場全体を包み込み、魔法少女たちの傷を癒やし、恐怖を和らげ、そして何よりも、『ザ・ワン』から放たれる絶望的なプレッシャーを、まるで春風が冬の寒さを溶かすかのように、優しく中和していった。


「こ、これは……!?」


 神宮寺司令は、指令室のモニターに映し出される、信じ難い光景に言葉を失う。

 ドクター・アリスは、その現象を食い入るように見つめ、そして狂喜の声を上げた。


「素晴らしい! なんて素晴らしいの! エンプレス・モフ様の『絶対もふもふフィールド』! あらゆる負のエネルギーを無効化し、万物を愛と癒やしで包み込む、究極の防御にして究極の愛の結界! まさに女神の御業! わたくしの仮説を、彼女はまたしても遥かに超えていきましたわ!」


 『ザ・ワン』は、自らの攻撃が全く通用しなかったことに、初めて明確な戸惑いのようなものを見せた。その黄金の単眼が、激しく明滅し、周囲の空間がさらに不安定に歪み始める。そして、その巨体から、さらに多くの、そしてより凶暴な星の仔らが、まるで最後の抵抗とでも言うかのように、聖歌へと殺到した!


「グルゥァアアン!!」


 もふアンが、聖なる咆哮と共に黄金の角から浄化の光線を放ち、無数の星の仔らを薙ぎ払う。


「スタンディンバイ……」


 カイザーが、その巨大なハサミで星の仔らを次々と粉砕し、ダイヤモンドダストのような輝きを放つ甲殻で聖歌を完璧にガードする。


「イヌヌワン!」


 ルナールが、その漆黒の翼で戦場を舞い、銀色の爪と牙、そして絶対零度の冷気で星の仔らを殲滅していく。


 他の聖獣たちも、そして第一世代、Aチーム、Bチームの魔法少女たちも、聖歌を守るために、そしてこの世界の最後の希望を守るために、再び勇気を振り絞り、殺到する星の仔の群れへと立ち向かっていった。

 戦場は、再び光と闇、絶望と希望が入り乱れる、壮絶な様相を呈した。


 しかし、聖歌は、そんな周囲の激しい戦闘など全く意に介さず、ただひたすらに、その大きな蒼い瞳で、『ザ・ワン』の黄金の単眼を見つめ続けていた。そして、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、『ザ・ワン』へと歩み寄っていく。


「ザ・ワン様……。あなたは、本当は、そんなに怒ってなどいらっしゃらないのでしょう? 本当は、ただ……寂しかったのではありませんこと? 長い、長い間、誰にも理解されず、誰にもその素晴らしい『もふもふ』を撫でてもらうこともなく……。たったお一人で、この広大な宇宙を彷徨い続けて……。そして、ようやく見つけたこの星で、やっと安らげると思ったのに、またしても誤解され、封印され……。お可哀想に……。でも、もう大丈夫ですわ。わたくしが、この万里小路聖歌が、あなたのその深い孤独と、そのお心の渇きを、この『もふもふ』への無限の愛で、全て癒やして差し上げますから」


 聖歌のその言葉は、まるで子守唄のように優しく、そしてどこまでも温かく、『ザ・ワン』の魂の奥底へと、ゆっくりと染み込んでいくようだった。

 『ザ・ワン』の黄金の単眼が、再び激しく明滅した。その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、かつて、まだ自分が■■■■と呼ばれていた頃の、小さくて、温かくて、そして何よりも■■の優しい笑顔に満ち溢れていた日々の記憶が、走馬灯のように蘇ったような気がした。■■の笑顔、■■の優しい手――しかし、その記憶は、あまりにも永い時の流れと、蓄積された負の感情エネルギー、そして何よりも悲願を達成する為の願いが生み出した力の暴走によって、歪み、捻じ曲げられ、本来の姿を失っていた。


「ガ……アアア………■■……■……?」


 初めて、『ザ・ワン』が、言葉にならない、しかし確かに■■という響きを含んだ、悲痛な、そしてどこか懐かしいような声を漏らした。

 その声を聞いた聖歌は、その美しい蒼い瞳から、一筋の涙を静かに流した。それは、悲しみの涙ではなかった。それは、ついに運命の相手と心を通わせることができた、深い感動と、そして限りない愛情の涙だった。


「ええ、ザ・ワン様。わたくしですわ、聖歌ですわよ。もう、お一人ではございません。さあ、わたくしの元へ……。わたくしのこの腕の中で、思う存分、その素晴らしい『もふもふ』を堪能させてくださいまし……!」

 

 聖歌は、その細い両手を大きく広げ、『ザ・ワン』を優しく招き入れた。

 その瞬間、『ザ・ワン』の巨体から放たれていた漆黒のオーラが、まるで陽光に溶ける雪のように急速に消え失せ、代わりに、内側から、あの聖歌が放つ黄金色のオーラと同じ、温かく、清浄で、そしてどこまでも優しい光が溢れ出し始めた。

 山のような巨躯は、みるみるうちに縮小していき、禍々しかった六対の翼は純白の一対の美しい翼へと変わり、水晶の角はより洗練されたフォルムとなり、そして何よりも、あの宇宙の深淵を覗き込むかのようだった巨大な黄金の単眼は、どこまでも優しく、そして子犬のように無垢な輝きを宿した、大きな二つの瞳へと変わっていった。


「まあ……! なんて、なんて愛らしく、そして神々しいお姿なのでしょう……! ザ・ワン様……いえ、こう名付けましょう! アルテミス・ルミナ・もふもふ・ザ・グレートワン……! アルワン様……! あなたこそ、わたくしが長年夢見てきた、究極にして至高の、そして永遠の『もふもふ』そのものですわ!」


 聖歌は、感涙にむせびながら、生まれ変わったアルワンの、その星空を纏ったかのような美しい漆黒の毛並みに、そっと顔をうずめた。その手触りは、想像を遥かに超え、宇宙の全ての愛と安らぎが凝縮されたかのような、まさに奇跡の感触だった。

 アルワンは、聖歌のその愛情に応えるかのように、大きな黄金の瞳を優しく細めると、彼女の頬にそっとそのベルベットのような鼻先を擦り寄せ、「きゅぅぅぅん……」と、どこまでも甘く、そして懐かしいような、子犬のような声を漏らした。それは、永い、永い時を超えた、魂の再会を祝福するかのようだった。

 その光景を目の当たりにした魔法少女たちは、そして『ガーディアンズ』の面々は、もはや何が起こったのかを理解することを完全に放棄し、ただただ、そのあまりにも美しく、そしてあまりにも神聖な「女神と聖神獣の抱擁」を、呆然と、しかしどこか浄化されたような気持ちで見つめるしかなかった。

 戦いは、終わった。いや、そもそも戦いではなかったのかもしれない。それは、ただ、一人の少女の、宇宙規模の「もふもふへの愛」が引き起こした、壮大にして奇跡的な、そして誰も予想だにしなかった「お迎え」の儀式だったのである。


 ドクター・アリスは、その一部始終を記録したデータディスクを胸に抱きしめ、恍惚とした表情で呟いた。


「素晴らしい……! なんて素晴らしい結末なのでしょう! エンプレス・モフ様は、ついに『ザ・ワン』様との完全なる『もふもふ的魂の再結合フォオルィイ・モフ・リユニオォン』を達成なされ、そして世界に新たなる『もふもふの秩序パックス・モフモフカーナ』をもたらされたのですわ! これで、わたくしの次なる論文のテーマは、『エンプレス・モフによる宇宙創成論~ビッグバンはもふもふから始まった~』に決定ですわね!」


 神宮寺司令は、その言葉を聞きながら、もはや胃薬すらも効かないであろう自分の胃をさすり、しかし、なぜかほんの少しだけ、心が軽くなっているのを感じていた。もしかしたら、本当に、この世界は、あの少女の「もふもふ」によって、救われたのかもしれない、と。

 万里小路聖歌の「ザ・ワン様お迎えプロジェクト」は、こうして、世界の誰もが、そしておそらくは聖歌自身すらも予想だにしなかった形で、完璧な大団円を迎えたのであった。

 そして、その日から、世界は少しだけ、いや、もしかしたら、かなり大きく、「もふもふ」で満たされ始めたのかもしれない。





 1986年、初冬。

 夜明け。「アウター・ワン・カタストロフ」の激戦地。

 地球の未来を賭けた、絶望的な誘導作戦が開始された。魔法少女たちは、神宮寺誠が示した封印地点――都市の地下深くに眠る、旧政府時代の巨大シェルターへと、変貌しさらに強大になった『ザ・ワン』を導かねばならなかった。それは、もはや戦いというよりも、巨大な嵐の中を、必死に道案内をするような、無謀な試みであった。


「美琴たちは、氷ん道で奴ん巨体ば滑らせて! 少しでも進行方向ば!」


 翠が叫ぶ。


「やってる! でも、奴のオーラだけで氷が蒸発しそうよ!」


 美琴を含めた氷系統の魔法が使える魔法少女たちが全身全霊で氷雪を巻き起こすが、『ザ・ワン』の周囲に漂う漆黒のオーラは、彼女たちの魔法を容易く減衰させていく。


「私たちの炎で、奴の視界を少しでも遮る! その隙に、結ちゃん、地面を!」

「ウォーーー! フェニックス! バーニィィイイング!」


 萌とサラたちが、渾身の火柱を放つ。


「交通整備をしろと、ウヴォアーも言っている……!」

「ん、アルラ、手伝う」

「ん。分かった。お前がやれ」


 結が、次々と岩壁を隆起させ、僅かながらに『ザ・ワン』の進路を限定していく。

 雫を中心とした治癒系の魔法が得意な者たちは、ボロボロになった仲間たちに、ありったけの魔法を注ぎ続けながら、涙を堪えていた。


「お願い……みんな、持ちこたえて……!」


 彼女たちのパートナー妖精たちもまた、最後の力を振り絞り、少女たちの魔力を増幅させ、或いは『ザ・ワン』の放つ絶望の波動を僅かでも和らげようと必死だった。


「美琴、心を強く持って! 今こそ絆ぱわーです!」

「絆パワー!」

「絆パワー?」

「絆パワー!!」


 魔法少女たちがコンの言葉に呼応し、魔力を高めていく。

 誠は、神代教授や有栖川ケイと連携を取りながら、少女たちに封印地点への正確なルートを指示し続けた。ただの人間である彼の顔には疲労の色が濃く浮かんでいたが、その瞳の奥の光は決して消えていなかった。


「あと少しだ……! あと少しで、封印ポイントに到達できる……!」

 何時間にも及ぶ、死闘と呼ぶにはあまりにも一方的な誘導作戦。魔法少女たちは、何度も吹き飛ばされ、傷つき、意識を失いかけた。しかし、そのたびに、仲間の声、妖精の励まし、そして遠くから聞こえてくる民たちの祈りの声が、彼女たちを再び立ち上がらせた。


 そして、ついに――。


 夜明けの最初の光が東の空を染め始めた頃、彼女たちは、『ザ・ワン』を、巨大な地下シェルターの最深部、地脈エネルギーが渦巻く封印の間へと追い詰める……或いは誘導することに成功した。そこには、神代教授とケイが率いる研究者チームが徹夜作業で設置した、巨大な魔法陣と、複雑なエネルギー集束装置が待ち構えていた。


「よくやった、諸君! あともう一歩だ!!」


 神代教授が、拡声器を通して叫んだ。

 しかし、『ザ・ワン』もまた、追い詰められたことを悟ったのか、これまで以上の、凄まじいまでの負のエネルギーを放出し始めた。封印の間全体が激しく振動し、壁や天井から亀裂が走る。


「まずい! 奴が、この空間ごと全てを破壊するつもりだ!」


 ケイが悲鳴に近い声を上げた。


「魔法少女たちよ! 今こそ、君たちの全ての力を、この封印術式に注ぎ込んでくれ! それしか、あれを止める術はない!」


 神代教授の悲痛な叫びが響く。

 魔法少女たちの膨大な魔力の奔流が、一つの魔法陣へと注がれていく。それでも尚、『ザ・ワン』の膨大なる負を打ち消すには至らない。一人、また一人と膝をつく中、この中で最年少の魔法少女が、一人封印の陣の中央へと降り立った。


「ウヴォアーが言っている。ここで死ぬ定命さだめではないと……」


 結が陣の上に手をつくと、封印の間を通し、幾つもの光の蔦が現れた。

 妖精エルゴレア――この地球の意思を介し、結には声がいつも届いていた。


『あなたが結さんですのね! まあ、なんてもふもふで可愛らしい髪形なのかしら!』

『希望? それならありましてよ! 例え一人で立ち向かうのが難しくとも、より多くの仲間となら、それを叶えることができましてよ! さあ、もふもふパワーです!』

『ふむ、このもふもふ波長、さらにもふもふ調律の感じ……やはりアルワン様は、もふアンと似ていますのね』

『もちろんできましてよ! アルワン様を導くのは、あなたにしかできませんのよ!』

『道を作りますのね! でしたらお力添えしますわ!』

『大丈夫ですわ。アルワン様、怖がることはございませんのよ!』

『ええ、あなたは負けませんわ! ここで勝利して頂かねば、わたくしがアルワン様と出会うことができなくなってしまいましてよ!』

『第二形態は定番でしてよ。さあ、まだ終わっていませんわ! 最後の仕上げを行ないませんと!』

『結さんはここで死ぬ運命さだめなどありませんわ! さあ、この戦いが終わったらその可愛らしいもふもふを堪能させてくださいまし!』


 結が魔法少女になってから、ずっと聞こえていた誰かの声。

 それを信じ、ずっとここまで戦ってきた結の両隣に、ソフィアと契約妖精であるアルラが降り立ち、手を重ねる。


「ん、独りぼっちは」「ん。寂しいもんな」

『グルオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 『ザ・ワン』が、地獄の底から響くような、怒りと絶望に満ちた咆哮を上げた。その巨体から放たれる漆黒のオーラが、魔法陣の光と激しく衝突し、空間そのものが引き裂かれんばかりのエネルギーの嵐が吹き荒れる。

 魔法少女たちの顔からは血の気が失せ、その体は限界を超えて魔力を放出し続けていた。


「くっ……! 押される……!」


 美琴が苦悶の声を上げる。


「ダメだ……このままじゃ……!」


 萌の炎が、消えかかっていた。

 封印術式が、ギシギシと悲鳴を上げ、その輝きが弱まり始めた。万事休すかと思われた、その瞬間――。


『可哀想なアルワン様……。そして、あの方を助けようと、必死に戦っていらっしゃる、健気な魔法少女さんたち……。なんてことでしょう、あのままでは、皆、悲しい結末を迎えてしまうわ……。わたくしの愛するアルワン様が、あんなにも苦しんでいたなんて……。そして、あの勇気ある少女たちが、絶望してしまうなんて、わたくし、絶対に許せません!』


 結の魔法を通じ、未来で繋がっていた聖歌の心に、強い、強い想いが込み上げてきた。それは、悲しみでも、怒りでもない。ただ、純粋な、そしてどこまでも深い「愛情」と、「もふもふして差し上げたい」という、彼女にとっての絶対的な「善意」であった。


『わたくし、あのお方に『あなたは決して一人ではないのですよ』と、そして『世界はこんなにも、もふもふで満ちているのですよ』と伝えなくては!』


 聖歌はそう言うや、ハープを持ち出し、さらに歌を紡ぎ始める。

 聖歌の全身から溢れ出す、温かく、清浄で、そしてどこまでも優しい黄金色のオーラと、彼女の愛するハーブティーの香り、そしてお気に入りのハープの音色が、エンジェル・コットンズたちの清らかなさえずりと共に、時空の壁を越え、ほんの一筋の「小さな光」となって、四十年前の、あの絶望的な封印の間に、そっと差し込んだのである。


 どこからともなく、ほんの一筋の、しかしありえないほど温かく、そして清浄な光が、封印の間に差し込んできた。それはどこかで記憶しているような、それでいて、忘れ去ってしまったかのような、優しく、そして懐かしい光だった。その光は、特定の形を持たず、ただ、そこに在るだけで、周囲の絶望的な空気を和らげ、傷ついた魔法少女たちの心に、不思議な安らぎと勇気を与えた。

 そして、その光は、ゆっくりと『ザ・ワン』へと近づいていった。

 漆黒のオーラを放ち、世界を否定するかのように咆哮していた『ザ・ワン』が、光の出現に、ほんの一瞬だけ、動きを止めた。その虚無を映していたはずの黄金の単眼が、まるで何かを認識したかのように、その光を見つめている。その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、遠い未来の、温かいサンルームの記憶が過った。



 ザ・ワン……否。アルワン……それも否。彼の真名は『スノーフレーク・アンサンブル・もふもふ・ザ・ファースト』。

 大好きな聖歌に名付けられた、最初の聖獣たる名。

 彼は聖歌に付き従い、伴侶のように共にいた。しかし、ある日聖歌は死を迎えてしまう。

 その死を受け入れられなかったもふアンは反転し、魔獣としての自分が持つ権能を使い、過去へ遡る。全てをやり直す為に。

 しかし、そこに聖歌はおらず、世界すら生まれていなかった。

 深い孤独と永遠とも言える時間の中、彼は全ての記憶を失い、自らの深い、深い絶望の感情を喰らい生き永らえて、唯一にして絶対、最初の魔獣と成り果てた。

 その目的は、再会。

 どこかで出会えるであろう、■■を追い求めて、彼はただ、世界を揺蕩う存在と成り果てた。

 そうして今、この瞬間、自らに注ぐ力が追い求めていた■■のもののように感じられて、彼は動きを一瞬、止めた。


 その刹那の静寂。魔法少女たちは、本能的に感じ取った。今しかない、と。


「い……ま……!!」


 翠が、最後の力を振り絞って叫んだ。

 魔法少女たちの魔力が、再び、そしてこれまで以上に強く輝き、封印術式へと注ぎ込まれる。民たちの祈り、妖精たちの願い、そして、未来から到来した聖歌の祈り。その全てが一つとなり、ついに封印術式は完全な輝きを取り戻した。その膨大過ぎる光を、結とソフィア、そしてアルラが制御する。

 眩い光の柱は天を貫き、『ザ・ワン』の巨体を包み込む。


「ア―――ッ」


 断末魔とも、あるいは安堵のため息ともつかぬ、最後の咆哮を残して、『ザ・ワン』の姿は、光の中へとゆっくりと沈んでいき、絶望に囚われた憐れな魔獣はやがて完全に消滅した――いや、永劫の眠りへとついたのだ。次に目を覚ました時、彼はきっと再会を喜ぶことになるだろう。


 光が収まった後、聖歌は目の前のもふもふを堪能していた。


「うふふふふ、やはり素晴らしいもふもふポテンシャルを秘めていますわね!」

「ウヴォアー……ここは……どこ……?」

「ここは観月庵もふもふサンクチュアリですわ! 大丈夫、もう怖い人はおりませんよ」

「……帰らなくて、いい?」

「ええ、ええ、いいえ! 今日からここが、あなたのおうちですわ!」


 十にも満たない少女だった結は、母親の友人だという男たちに色々な場所を点検・・され、様々なものを失ってきた。

 父親だった男からつけられた煙草の痕が、背中に痛々しく残っている。

 あの家に、結の居場所はなかった。

 

「ん、随分可愛くなった」

「ん。そっちの方が好き」


 その両隣に、一緒に未来に来てしまったらしいソフィアとアルラの姿もある。

 二人は可愛らしい姿になった『ザ・ワン』を囲むと、その「もふもふ」を堪能する。


 聖歌は、くすりと微笑むと、結を連れてアルワンの大きな頭を優しく撫でた。アルワン様は、まるで全てを理解しているかのように、その大きな黄金の瞳を細め、聖歌の手に心地よさそうに頬を擦り寄せた。その瞳の奥には、以前よりもさらに深い、穏やかで、そしてどこまでも優しい愛の光が宿っているように見えた。


「さあ、アルワン様、そしてもふアン、ルナール、カイ様、エンジェル・コットンズの皆様、ナイトスフィア・カルテットちゃんたち、そして新入りの皆さんも! 今日も素晴らしいお天気ですわ! わたくしたちの、愛ともふもふに満ちた、永遠のティーパーティーを始めましょう! 次なる『至高のもふもふ』を夢見ながら!」


 万里小路聖歌の、そして世界中の、あるいは時空を超えた全てのもふもふたちの物語は、どうやらまだまだ、そしておそらくは永遠に、この美しくも不思議な、そしてどこまでも「もふもふ」な世界で続いていくのである。

 

 その様子を、遠くから見ていた聖歌の契約妖精・・・・アンリエット様が、やれやれと言った顔で呟いた。


『まったく、わたくしの浄化の魔法を随分と面白おかしく使いますこと。だからこそ、見ていて飽きないわ。万里小路聖歌。次はどんな面白いことを起こしてくれるのかしら?』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法少女絶対正義の世界で、わたくしだけが知ってる魔獣の可愛さ~もふもふパラダイスを作るため、ザ・ワン様お迎え作戦を開始します!~ 雪白紅葉 @mirianyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ