最終章「もふもふヘブン」
第13話「秋は深まり冬の足音が近づく中」
秋の深まりを肌で感じるこの頃。残暑も消え冬の足音が近づいてきた。
聖歌は、彩子、響子、玲奈と共に、美しく色づいた学園の広大な庭園を散策していた。カサカサと小気味よい音を立てる落ち葉の絨毯を、その特注の革靴で優雅に踏みしめながら、彩子が感嘆の声を上げる。
「まあ、聖歌様。今年の紅葉は一段と見事でございますわね。特にあちらの、夕日に照らされて黄金色に輝くイチョウの葉は、まるで天から降り注いだ金貨のよう……。そして、こちらの楓の燃えるような深紅……。見ているだけで心が洗われ、そして何よりも、この色彩のグラデーションは、最高級のシルクベルベットのドレープを彷彿とさせますわ」
「ええ、彩子様。自然の織りなす色彩の妙、そしてその質感の豊かさには、いつも新鮮な感動とインスピレーションを与えられますわね。この落ち葉の感触もまた、格別の一興ですわ。適度な乾燥具合で、踏みしめるとパリパリと、しかしどこか優しく砕ける心地よい音がして……まるで、最高級のミルフィーユのあの香ばしいパイ生地を、そっと踏みしめているかのようですわ。この感覚、どこか懐かしく、そして心が躍りますの」
聖歌の、またしても独特で、そしてやはり食べ物に例えられる比喩に、響子が「ミルフィーユのパイ生地!? 聖歌様、それ、どう考えても食べ物じゃないっすか! しかも、踏むって! バチ当たりな!」と、いつものように元気よく、しかし的確なツッコミを笑顔で入れた。聖歌は、きょとんとした、まるで「あら、何かおかしなことを申しましたかしら?」とでも言いたげな表情で、小首を可愛らしく傾げる。
「あら、響子様。食感の素晴らしさと、足触りの心地よさは本質的には同じ『魂を揺さぶる快感』に繋がるものではなくて? 例えば、この、黄金色と深紅の落ち葉が織りなす天然の絨毯を、かの『ザ・ワン』様がお散歩なさる専用の遊歩道に、丁寧に敷き詰めたといたしましょう。もちろん、その下には万里小路家が誇る最新技術の粋を集めた、体圧を完璧に分散し、まるで無重力空間を歩いているかのような感覚を提供する、低反発アクティブクッション材を何層にも重ねて……。きっと、雲の上を歩くよりもさらに心地よい、至高の、そして神聖なる踏み心地をご提供できますわ。そしてその上を、ザ・ワン様のあの、おそらくはダイヤモンドよりも硬く、しかしベルベットよりも柔らかな肉球が、優雅に歩を進められるのです……。ああ、想像するだけで、わたくし、身もだえするほどに幸せな気持ちになりますわ!」
聖歌は、うっとりとした表情で、そしてどこか恍惚とした瞳で夢想する。その脳裏には、巨大な、しかしどこまでも気高く美しい『ザ・ワン』が、ふかふかの、そしてキラキラと輝く落ち葉の道を、まるでファッションショーのランウェイでも歩くかのように優雅に、そして満足げに闊歩する姿が、極めて鮮明に描かれていた。
玲奈は、そのあまりにも突飛で、そして常人の理解を遥かに超越した発想に、もはや何も言うまい、何も考えてはいけない、と固く心に決め、代わりに別の、もっと現実的な話題を振った。ザ・ワン様という象だか何だか分からない生物についてはこの際考えないことにする。
「そういえば聖歌、最近あなたは図書館で、妙に専門的な、それも絶滅した古代生物の生態に関する博物誌や、世界各地の古代遺跡の環境、特に神殿建築における聖なる空間の設えに関する資料ばかりを、熱心に読んでいるそうじゃないの。美術史をご担当のアルベール先生が、『マドモアゼル・マリーゴールドの知的好奇心のベクトルは、もはや我々凡人の理解を超越し、独自の宇宙を形成しつつあるようだ』と感心していらしたわよ」
「まあ、玲奈様。アルベール先生にそのように仰っていただけるなんて、大変光栄なことですわ。ええ、玲奈様のお察しの通り、実は近頃、とても、とても大きくて、そして悠久の歴史の重みと、何よりも宇宙の真理そのものをその身に宿したかのような『新たなるお友達』を、わたくしの『もふもふサンクチュアリ』へ丁重にお迎えするための、最終準備の段階に入っておりましてよ。その、あまりにも気高く、そしておそらくは極めてデリケートな感性をお持ちのお方が、心からお好みになるかもしれない調度品や、精神的にも肉体的にも、そして何よりも『もふもふ的』にも、この上なく快適にお過ごしいただける空間の設えについて、日夜、研究と試行錯誤を重ねているのですわ。例えば、古代エジプトの偉大なるファラオが、その寵愛する聖なる猫のためにお作りになったという黄金の寝台は、パピルスと亜麻布を何百層にも重ね、ナイル川のほとりで月の光を浴びて育ったという、特別な芳香植物の香りを丁寧に焚きしめていたとか……。その、いにしえの王族の『もふもふ愛』の精神と、失われた技術を現代に再現し、さらに進化させることができれば、きっと、かの『ザ・ワン』様も、わたくしのささやかなおもてなしに、大変お喜びになってくださるに違いありませんわ」
聖歌は、その大きな蒼い瞳を、遠い古代への憧憬と、まだ見ぬ「ザ・ワン」様への熱烈な想いでキラキラと輝かせながら語った。
その口からスラスラと、しかしどこか楽しげに出てくる古代文明のペット事情に関する、あまりにもマニアックで、そして所々致命的に間違っている知識に、友人たちはただただ圧倒されるばかりだ。
尚、聖歌が熱心に参考にしているのは、セバスチャンが『ガーディアンズ』の極秘データベースから入手した、『ザ・ワン』の生態と過去の封印環境に関する膨大なデータを、彼女なりに極めてポジティブに、そして徹底的に「もふもふ的解釈」を加えた結果の産物である。
音楽の授業では、今日はリストの超絶技巧練習曲「愛の夢 第3番 変イ長調」が取り上げられていた。
ピアノ教師のクラフィーナ・シューディニー先生が奏でる、甘美で、情熱的で、そしてどこか切ない旋律に、教室の生徒たちはうっとりと聴き入っている。
大体2分35秒くらいで感嘆の声が一斉に漏れる。動画で言えばリプレイが一番多いところってやつだ。
授業後、聖歌は、その感動を胸に、シューディニー先生の元へ駆け寄り、いつものように丁寧な、しかしその内容はやはり常軌を逸した質問を熱心にした。
「シューディニー先生! 本日の『愛の夢』、あまりにも、あまりにも素晴らしかったですわ! わたくし、感動で胸が張り裂けそうになりました! 特に、あの、中間部で現れる、まるで天から降り注ぐ星屑のような、キラキラとしたトリルの連続する箇所……。あれは、例えば、そう、わたくしがいつかお迎えする『ザ・ワン』様の、その神々しいまでのオーラが、目に見える形となって周囲に拡散し、触れるもの全てを浄化し、そして至福の『もふもふ空間』へと変容させていく様を、音楽的に表現なさっているのでしょうか? それとも、もっとこう、チンチラの、あの天国的なまでに密集した毛皮の上を、わたくしの指先が、まるで絹の上を滑るように、官能的に、そして永遠に彷徨い続けるかのような、抗いがたい恍惚のイメージなのでしょうか? あるいは、その両方、いえ、それ以上の、もっと深遠な『もふもふの真理』が隠されているのでしょうか!? 教えてくださいまし、先生!」
シューディニー先生は、その聖歌の、あまりにも独特で、そしてやはり「もふもふ」という名の異次元フィルターを通して解釈された音楽論に、一瞬、その美しい顔から表情が消え、遠い目をして何かを諦観したかのような雰囲気になったが、そこは数々の個性的な生徒たちを指導してきたプロの教育者。すぐに気を取り直し、にこやかにどこか悟りを開いたかのような穏やかな表情で答えた。
「うふふ、マドモアゼル・セイカ。あなたのその、あまりにも独創的な主観で音楽で感じ取ろうとする豊かな感性には、わたくしもいつも驚かされ、そして新たなインスピレーションをいただいておりますわ。フランツ・リストが、この曲を作曲した際に、具体的にどのような情景や感情を思い描いていたかは、今となっては定かではありませんけれど、音楽とは、まさにあなたが今なさったように、聴く人それぞれが、その心と魂で自由にイメージを広げ、そして自分だけの物語を紡ぎ出すものなのですよ。あなたのその、まるで実際に『もふもふ』に触れているかのような、具体的で、そして情熱的な表現力は、きっとあなたのハープの演奏にも、他の誰にも真似のできない、素晴らしい深みと輝きを与えてくれることでしょう。その感性を、これからも大切になさいね」
シューディニー先生は、聖歌の突飛な、そして時に常人の理解を超越した発想の中に、時折、紛れもない天才のきらめきと、そして何よりも純粋で曇りのない「美しいもの」への強い憧憬を見出すことがあった。
そして、その才能を、できる限り型にはめることなく、自由に伸ばしてあげたいと、密かに願っていたのである。
ただし、その結果として、聖歌のハープの演奏会が、時折「もふもふ交響曲」とでも言うべき、聴く者を不思議な恍惚感へと誘う、前衛的すぎるものになることまでは、さすがのシューディニー先生も予測できていなかったが。
聖アストライア女学園の学園猫のアンリエット様は、最近ますます聖歌に懐き、時には授業中の聖歌の膝の上で、まるでそこが世界で一番安全で心地よい場所であるかのように、安心しきった表情で丸くなって眠っていることさえあった。
教師たちも、万里小路家の令嬢である聖歌と、学園の絶対的権力者である学園長が、まるで我が子のように溺愛するアンリエット様のそのあまりにも平和で、そしてどこか現実離れした光景を、微笑ましく、そして半ば諦め顔で、しかし決して文句は言えないという複雑な表情で黙認していた。
聖歌は、アンリエット様の、ビロードのように滑らかで、そして太陽の匂いがする柔らかな喉を優しく撫でながら、ふと窓の外に目をやった。
そこには、ここ数日、頻繁に見かけるようになった、見慣れない黒塗りの高級車が、学園の正門から少し離れた場所に、まるで獲物を狙う黒豹のように静かに停まっているのが見えた。
中には、鋭い目つきの、いかにも屈強そうな男性が数人乗っているようだ。
それは『ガーディアンズ』を含め、異なる組織からも伸ばされた監視の目であったのだが、そんなことお構いなしにいつものように『もふもふ啓蒙活動』の輝かしい成果に深い関心を持った新たなファン、と思い込むのだった。
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