第9話「アストライア祭」
月影狼――改め「ルナール」こと『ルナティック・シルバーファング・オブ・ムーンライト・エンペラー・ザ・グレートウルフ・ゴッド』を万里小路家の新たな家族に加えてから数週間。
聖アストライア女学園は、年に一度の大学園祭「アストライア祭」の熱気に包まれていた。
聖歌は、ルナールという新たな銀色の秘密を胸に抱きつつも、学園ではいつもと変わらぬ完璧な令嬢を演じ、そしてクラスの出し物である『星詠のもふり神・アルテミシアちゃん』の最終仕上げに情熱を注いでいた。もちろん、アルテミシアちゃんのふさふさとした藍色の毛並みは、聖歌自らが選定した最高級の特注フェイクファーであり、その手触りは「本物の幻獣にも劣らない」と彼女が太鼓判を押すほどの出来栄えであった。
アストライア祭当日。秋晴れの空の下、美しく飾り付けられた学園の門には、朝から多くの来場者が詰めかけていた。保護者やOG、そして厳選された招待客たちだ。
その中には、明らかに一般客とは異なる鋭い視線を周囲に配る、数名の一団――『ガーディアンズ』の特別対策チームの監視員たち――の姿も紛れ込んでいたが、祭りの賑わいの中で彼らの存在に気づく者はいなかった。彼らの目的はただ一つ、「エンプレス・モフ」こと万里小路聖歌の動向監視、そしてあわよくば彼女の「計画」の尻尾を掴むことであった。
高等部二年星組の教室は、「アルテミシアちゃんと星空のもふもふティーパーティー」と題された、メルヘンチックで、しかしどこか荘厳な雰囲気に満ちた展示会場と化していた。
教室の中央には、全長2メートルを超える巨大な「アルテミシアちゃん」のぬいぐるみが鎮座し、その周囲には星や月を模した装飾と、生徒たちが手作りした可愛らしいお菓子の模型が並べられている。
「聖歌様! アルテミシアちゃん、すごい人気ですわ! もう何度も『一緒に写真を撮らせてください』ってお願いされましたのよ!」
クラスメイトの一人が、興奮した様子で聖歌に報告した。聖歌は、この日のために
「まあ、嬉しいですわね。アルテミシアちゃんのこの素晴らしい『もふもふ感』が、皆様に伝わっている証拠ですわ。さあ、皆様、どうぞ遠慮なさらずに、アルテミシアちゃんのこの神々しいまでの毛並みを、心ゆくまでご堪能くださいまし。正しい『もふもふ』の作法は、まず優しく毛の流れに沿って撫で、そして時には顔をうずめてその温もりと香りを……」
聖歌が、来場した小さな子供連れの母親に、熱心に「もふもふの極意」を説いていると、友人たちがやってきた。
「聖歌様、すごいですね! このアルテミシアちゃん、本物みたいにフワッフワ! さっき、うちの母も『あれは一体何の動物なの? 幻の生き物?』って驚いてましたわ!」
彩子が、目を輝かせながらアルテミシアちゃんを撫でている。響子も、その大きな体に抱きつかんばかりの勢いだ。
「いやー、マジでデカいし、触り心地サイコーだな! これ、中に誰か入ってんのか? ってくらいリアルだぜ!」
リリィは、アルテミシアちゃんの大きな黄金色の瞳をじっと見つめながら、「なんだか、本当に生きているみたい……優しい目をしていますわ」と呟いた。
玲奈は、腕を組みながら、その異様な完成度のマスコットと、それを恍惚とした表情で見つめる聖歌を交互に見ていた。
(このアルテミシアとかいうの……聖歌が最近話していた「小さな山のような動物」のイメージと重なる気がするわね。まさか、本当にこんな生物をどこかで見つけてきて、それをモデルにしたとか……? いや、そんなはずは……)
玲奈の疑念は深まるばかりだったが、聖歌はそんなことには全く気づいていない。
「皆様、お褒めにあずかり光栄ですわ。このアルテミシアちゃんは、わたくしの長年の夢と理想の結晶……いつかお迎えする、もっともっと大きくて、そして神々しい『あの方』の、ほんの小さな、小さな模型のようなものですのよ」
聖歌は、遠い目をしてそう語った。その「あの方」が『ザ・ワン』を指していることなど、友人たちは知る由もない。ただ、聖歌のその言葉に、何か途方もないスケールの話が隠されているような予感だけを感じ取るのだった。
昼過ぎには、中庭の特設ステージで、各クラスの出し物の発表会が行われた。星組の番になると、聖歌はアルテミシアちゃんと共にステージに上がり、マスコットの紹介と、自作の「もふもふ賛歌」を朗読した。その内容は、「おお、聖なる毛玉よ、汝の温もりは宇宙の愛、その手触りは星々の囁き……」といった、壮大かつ難解なものであったが、聖歌の真摯で美しい声と、アルテミシアちゃんの圧倒的な存在感と可愛らしさによって、会場は不思議な感動に包まれた。
その様子を見ていた玲奈が「あれどうやって壇上に上がったの……?」と自立駆動しているとしか思えないアルテミシアちゃんの挙動に困惑している。
ステージの隅で、一般客に紛れてその様子を監視していた『ガーディアンズ』の監視員の一人が、本部に震える声で報告を入れる。
「こちら監視班デルタ。対象エンプレス・モフ、現在、学園祭ステージにて、巨大なキメラ型聖獣と共に、何らかの呪文か祝詞のようなものを朗誦中。会場の聴衆は、完全に彼女のカリスマに魅了されている模様。これは……大規模な集団精神感応、あるいは洗脳の儀式である可能性も……」
その報告を受けた神宮寺司令は、頭痛薬の量をさらに増やすことを決意した。ドクター・アリスは、「素晴らしい! エンプレス・モフは、ついに大衆へのソフトなプロパガンダを開始したのですわ! あのマスコットは、彼女の思想を具現化した偶像崇拝の対象!」と、新たなレポートの執筆に没頭していた。
アストライア祭の喧騒が最高潮に達する中、聖歌はふと、空を見上げた。秋の高い空には、うろこ雲が美しく広がっている。その一つ一つが、まるで巨大な羊の群れの背中のようにも見え、彼女の心はしばし天空の「もふもふ」へと誘われた。
(ルナールも、このお祭りに連れてきてあげたかったけれど、あの子はまだ少々人見知りをなさるし、この喧騒は刺激が強すぎるかもしれませんわね……。それに、あの神々しいまでの銀色の毛並み、あまり人目に晒すのは、防犯上もよろしくないでしょうし。でも、いつか、そう、わたくしがお迎えするザ・ワン様と、そしてもちろん、もふアンやカイ様、エンジェル・コットンズの皆様、ナイトスフィア・カルテットちゃんたち、そしてルナール……わたくしの大切な『もふもふファミリー』全員と一緒に、こんな楽しいお祭りを、それも万里小路家のプライベートアイランドあたりを貸し切って、盛大に開催したいものですわね。世界中から、いえ、全宇宙から、選りすぐりの『もふもふ』さんたちをお招きして……。ああ、想像するだけで、身もだえするほど幸せですわ!)
そんな壮大かつ相変わらずズレている夢想に耽っていた聖歌の元へ、セバスチャンが恭しく近づいてきた。彼は、今日の聖歌の「お祭りスタイル」に合わせて、いつもの執事服ではなく、少しだけカジュアルダウンした(それでも最高級の仕立てであることに変わりはないが)ダークグレーのスーツに、銀色のネクタイピンといういでたちだった。
「お嬢様、少々お耳に入れておきたいことがございまして」
「あら、セバスチャン。どうかなさいましたの? もしかして、アルテミシアちゃんの『もふもふ度』について、何か新たなご意見でも?」
「いえ、お嬢様。そちらのアルテミシアちゃんの素晴らしさにつきましては、もはやわたくしなどが申し上げるまでもないかと。実は、先程、学園の正門付近で、少々……いえ、かなり『熱心な』方々をお見かけいたしまして」
「熱心な方々?」
聖歌は小首を傾げた。
「はい。どうやら、お嬢様の今日のステージでの素晴らしい『もふもふ賛歌』と、アルテミシアちゃんの圧倒的なカリスマ性に感銘を受けられた、学外の一般のお客様方のようでございますが……。その方々が、口々に『エンプレス・モフ様、万歳!』『我々をもふもふの楽園へお導きください!』などと叫びながら、学園の敷地内に乱入しようとして、警備の方々と少々揉み合いになっておいででしたので、わたくしの方で穏便に、そして丁重に『お引き取り』願いました」
セバスチャンは、顔色一つ変えずにそう報告した。その言葉の裏には、おそらく万里小路家秘伝の「穏便かつ丁重なる物理的排除術」が用いられたのであろうことが、容易に想像できた。
「まあ、それは大変でしたわね、セバスチャン。わたくしの『もふもふ』への愛が、ついに学外の方々の魂までも揺り動かすようになったとは、喜ばしい限りですけれど、あまりご迷惑をおかけするのもよろしくありませんわね。その方々には、後日、わたくし直筆の『もふもふ心得帖(初心者向け)』でもお送りして差し上げてくださいまし」
「かしこまりました、お嬢様。早速手配いたします」
聖歌のそのどこまでもポジティブな勘違いと、セバスチャンの完璧な対応は、今日もまた、万里小路家の日常を彩る一つの風景であった。
アストライア祭の喧騒もようやく落ち着き、夕闇が迫る頃。聖歌は、友人たちと共に、後夜祭の準備が始まった中庭の片隅で、少しだけ名残惜しそうに、しかし満足げな表情で、学園祭の一日を振り返っていた。
「聖歌様、今日の『もふもふ賛歌』、本当に素晴らしかったですわ! わたくし、感動で涙が止まりませんでしたもの!」
彩子が、未だ興奮冷めやらぬ様子で言った。
「うふふ、彩子様、ありがとうございます。わたくしの『もふもふ』への愛が、少しでも皆様に伝わったのなら嬉しいですわ」
「伝わるどころか、ビンビンに伝わってきたぜ、聖歌様! あの歌聞いてたら、なんか俺も無性にアルパカとか撫でたくなってきたし!」
響子が、豪快に笑う。
「アルパカさんも、素晴らしい『もふもふ』をお持ちですわよね。特に首周りの、あの密集したカーリーヘアの感触は、まさに至福の一言ですわ」
聖歌も嬉しそうだ。
リリィは、そっと聖歌に尋ねた。
「聖歌様……。あの、ステージで仰っていた『いつかお迎えする、もっともっと大きくて神々しいあの方』というのは……もしかして、都市伝説に謡われている月影狼様のことなのですか?」
聖歌は、リリィの純粋な瞳を見つめ、優しく微笑んだ。
「うふふ、リリィ様。そのお方も、もちろんわたくしにとってかけがえのない、ダイヤモンド級の『もふもふ』ですわ。でも、わたくしがお話ししたのは、もっと……そう、この宇宙の全ての『もふもふ』の頂点に君臨する、まさに『ザ・ワン』と呼ぶに相応しい、究極のお方のことなのです。そのお方をお迎えする日まで、わたくしの『もふもふ探求の道』に終わりはありませんのよ」
聖歌のその言葉に、友人たちは顔を見合わせた。
その瞳には、畏敬と、困惑と、そしてほんの少しの「やっぱり聖歌様はすごい(いろんな意味で)」という諦観にも似た感情が浮かんでいた。
玲奈だけが、遠い目で空を見上げながら、小さく呟いた。
「……ザ・ワン……。どこかで聞いたことがあるような……。気のせいかしら……。でも、聖歌がそこまで言うからには、きっととんでもない『もふもふ』なんでしょうね……。そして、その『お迎え』の日が来たら、世界は一体どうなってしまうのかしら……。考えただけで頭が痛いわ……」
秋の夜空には、美しい月が昇り始めていた。それは、まるで聖歌の次なる「もふもふハント」の成功を予祝するかのように、明るく、そして優しく輝いていた。
聖アストライア女学園の学園祭は聖歌という名の美しき嵐が残した、数々の伝説と、大量の「もふもふの残り香」、そして神宮寺司令の尽きることのない胃痛の種と共に、賑やかに、そしてどこかシュールに幕を閉じるのであった。
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