幕間:策謀ともふもふ色の夢想

時系列:『ザ・ワン様お迎えプロジェクト』始動直後、セバスチャンから情報入手後



 伝説の魔獣『ザ・ワン』の存在を知り、その『お迎えプロジェクト』を内心で静かに始動させた万里小路聖歌。しかし、彼女の日常は、聖アストライア女学園という完璧な箱庭の中で、依然として優雅に、そして何事もなかったかのように続いていた。

 彼女の頭の中が、来るべき至高のもふもふ様とのティーパーティーのことで占められているなどとは、教師も友人も、そしておそらくは忠実なる執事セバスチャンでさえ、その全貌を正確には把握していなかっただろう。


 数日後、聖アストライア女学園の図書館、その中でも特別な許可がなければ立ち入れない稀覯書室の奥にある個人閲覧室。聖歌は、セバスチャンが「お嬢様の防災意識の高さに感銘を受けました旧知の者が、ぜひお役立てくださいと」という名目で極秘裏に入手した、『ガーディアンズ』に関するいくつかの公開資料と、それに巧妙に紛れ込ませた非公開情報の一部を抜粋・再編集したものに目を通していた。


 もちろん、聖歌が注目しているのは、組織の構造や防衛戦略といった部分ではない。彼女の指先が熱心に追っているのは、「保護対象大型生物の飼育マニュアル(仮称)」や、「特殊環境下における生物のストレス軽減に関する研究報告」といった項目であった。


「まあ、この『ガーディアンズ』という組織、意外と動物福祉にも配慮があるようですわね。飼育エリアの推奨温度や湿度、それに寝床の素材に関する記述まで……。ふむふむ、なるほど、やはり大型の生物には、体圧を分散させる低反発素材と、通気性の良い天然獣毛を組み合わせた寝床が最適、と。参考になりますわ」


 聖歌は、真剣な表情でメモを取りながら呟いた。そのメモには、『ザ・ワン様お迎え時のお寝床に関する考察:素材候補①アンゴラ山羊の最高級アンダーコート、②北極狐の尾の毛を贅沢に使用したクッション、③万里小路家秘蔵の千年もののシルク綿……』などと、常人には理解不能な項目が並んでいた。


 時折、彼女は窓の外に広がる学園の美しい庭園に目をやり、小さくため息をつく。


(ザ・ワン様は、きっとこの聖アストライアの薔薇の香りもお気に召すでしょうね。お迎えの際には、サンルームだけでなく、この庭園も自由に散策できるようにして差し上げなくては。もちろん、その素晴らしい毛並みを汚さぬよう、お付きの者が常に最高級のベルベットの絨毯を敷いて差し上げるのですけれど)


 そんな壮大かついささか現実離れした計画を夢想する聖歌の横顔は、どこまでも真剣で、そして幸せそうであった。







 午後の美術の授業。今日のテーマは『私の理想郷アヴァロン』。生徒たちは、思い思いの『理想郷アヴァロン』を画用紙に描き出していた。ある者は平和な自然風景を、ある者は芸術に満ちた都市を、またある者は愛する家族と過ごす温かな家庭を描いた。

 聖歌の描く『理想郷アヴァロン』は、他の誰のものとも異なっていた。


 彼女の画用紙の中央には、巨大で、しかしどこか愛らしい、夜空のような毛並みを持つ幻想的な獣が優雅に寝そべっている。その周りには、大小様々な、ありとあらゆる種類のもふもふした生き物たち――翼を持つ猫、角の生えた兎、宝石のような鱗を持つ龍、そしてもちろん、もふアン――が集い、皆一様に幸せそうな表情でティーカップを手にしている。背景には、お菓子でできた城や、綿あめのような雲が浮かび、虹色の川が流れている。それはまさしく、『至高のもふもふティーパーティー』の光景であった。初代魔法少女たちが見たら倒れそうな構図である。

 アルベール先生は、聖歌の作品を覗き込み、しばし言葉を失った後、感嘆と困惑が入り混じった表情で言った。


「マドモアゼル・マリーゴールド……。君のイマジネーションは、いつも我々の予想を遥かに超えてくるね。この、圧倒的なまでの多幸感と、ディテールへの狂気的なこだわり……。特に、この獣たちの毛並みの表現は、もはや神業の域だ。君は、本当に毛を描くことにかけては天才的だよ」

「まあ、先生にそう仰っていただけるなんて光栄ですわ。わたくし、この理想郷アヴァロンでは、全ての生きとし生ける『もふもふ』たちが、身分や種族を超えて、ただひたすらにその素晴らしい手触りを称え合い、心ゆくまでブラッシングし合える、そんな平和で幸福な世界を表現したつもりですの」


 聖歌は、うっとりとした表情で自らの絵を見つめながら語った。アルベール先生は、「うん、その平和への強い願いは伝わってくるよ……伝わってくる、うん」と、何とか言葉を絞り出した。周囲の生徒たちは、聖歌の描く異様な、しかしどこか楽しげな『理想郷アヴァロン』を遠巻きに眺め、(聖歌様の世界観って、やっぱりすごいわね……)と、改めて彼女の特異性を認識するのであった。



 数日後、聖アストライア女学園では、初夏の一大イベントである『メイ・フェスティバル』の準備が大詰めを迎えていた。生徒会役員の如月きさらぎ玲奈れいなは、連日その準備に追われ、少々疲れた様子で中庭のカフェテラス『セレスティン』で休憩を取っていた。そこへ、優雅な足取りで聖歌が現れた。思わず眉間にしわを寄せた。


「玲奈様、お疲れ様ですわ。フェスティバルの準備、順調に進んでいらっしゃるようで何よりです」

「聖歌……。ええ、まあ、何とかね。あなたは今年も主賓としてスピーチをお願いすることになっているけれど、原稿はもうまとまったかしら?」

「もちろんですわ。皆様を、わたくしの愛する『もふもふの世界』の素晴らしさへとお誘いする、感動的なスピーチを準備しておりますの。きっと、フェスティバルに参加された全ての方が、その日から人生における手触りの重要性に目覚めることでしょう」


 聖歌は、自信に満ちた笑顔で言った。玲奈は、その言葉に一抹の不安を覚えたが、もはや聖歌のもふもふ布教を止めることは不可能だと悟っていた。


「……そう。楽しみにしているわ。ただ、あまり過激な表現は控えてちょうだいね? 来賓には、各界の重鎮の方々もいらっしゃるのだから……ほんと、頼むわよ……?」

「ご心配には及びませんわ、玲奈様。わたくしのスピーチは、常にエレガントで、そして心温まるものですもの。ところで、玲奈様。最近、とても大きな……そう、まるで小さな山のような動物にご執心なのですけれど、そのような大きな動物をお迎えする際の注意点など、何かご存知ありませんこと?」


 聖歌が、ふと真剣な表情で尋ねた。玲奈は、その唐突な質問に面食らった。


「小さな山のような動物……? 聖歌、それは一体……象とか、そういうこと?」

「まあ、象も素敵ですけれど、もっと……こう、毛並みが宇宙のように深遠で、瞳が星のように輝いているような……」


 聖歌はそこまで言って、はっと我に返ったかのように口元を押さえた。


「あ、いえ、何でもありませんの! そうですわ、きっと学園で飼育されているポニーの流星スターダスト号のことかしら、なんて。少し体が大きいですものね。わたくしとしたことが、失礼いたしましたわ」


 聖歌は慌てて取り繕ったが、その瞳の奥には、隠しきれない熱い想いが揺らめいていた。玲奈は、その様子を訝しげに見つめながらも、深く追求することは避けた。


(やはり、何か大きな秘密を抱えているようね、この子は……。それが何なのかは分からないけれど、とてつもなく面倒なことになる予感だけはするわ……今から頭痛が痛い……)


 聖アストライア女学園の麗らかな初夏の陽光の下、万里小路聖歌の壮大なる『ザ・ワン様お迎えプロジェクト』は、周囲に奇妙な波紋を広げつつ、着実に進行していた。その先に待ち受ける大騒動など、今の彼女の胸には、来るべき至高のもふもふとの出会いへの期待しか存在しなかったのである。



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