幕間:聖歌のかくしごと

時系列:もふアン加入後



 スノーフレーク・アンサンブル・もふもふ・ザ・ファースト、愛称もふアンを万里小路家に迎えてから数日。

 聖歌の学園生活は、表向きは以前と何ら変わらぬ優雅さと完璧さを保っていたが、その内面はかつてないほどの充実感と、新たな秘密の温もりで満たされていた。


 もちろん、もふアンの存在を学園に公にすることはできない。名門万里小路家の令嬢が、得体の知れないと世間一般では見なされるであろう生物を拾ってきて溺愛しているなどと知られれば、どのような騒ぎになるか分からないからだ。聖歌自身は、もふアンの愛らしさと毛並みの素晴らしさを全世界に発信したいくらいだったが、そこはそれ、彼女なりに周囲への配慮というものを心得ていたつもりであった。

 そのため、もふアンは普段、万里小路邸の聖歌の私室に隣接するサンルームで、厳重な管理という名の愛情溢れるお世話のもと、秘密裏に育てられていた。


 ある日の昼休み。聖歌は、いつものように玲奈れいな彩子あやこたちと大食堂ルミエールでランチを共にしていた。今日の話題は、来週末に開催される学年別のお茶会についてだった。

 お茶会ばかりしている気もするが春霞のお茶会やメイ・フェスティバル、そして来週末開催のお茶会はまた別のお茶会である。お茶会と言っても色々あるのだ。お茶会と書いてイベントと読めばわかりやすいかもしれない。


「聖歌様、今年のお茶会のテーマは『花と詩』だそうですわね。聖歌様は、どのようなお着物をお召しになるのですか? きっと、また素晴らしいお見立てなのでしょうね」


 彩子が、期待に満ちた眼差しで尋ねる。聖アストライア女学園のお茶会は、生徒たちが和装の嗜みや礼法を学ぶ重要な機会であり、特に聖歌の装いは毎年注目の的だった。


「ええ、彩子様。今年は、淡い藤色の地に、雪輪模様があしらわれた訪問着を考えておりますの。その雪輪の縁取りが、まるで生まれたばかりの子猫の柔らかな毛のように、ほんのりと白くぼかされていて……とても愛らしいのです。帯は、白銀の地に細やかな花の刺繍が施されたものを選びました。陽の光に当たると、キラキラと輝いて、まるで……そう、小さな星屑を散りばめたかのようですわ」


 聖歌は、うっとりとした表情で語った。その脳裏には、間違いなくもふアンの白銀に輝く毛並みと、そのつぶらな瞳が思い浮かんでいた。

 玲奈は、聖歌の言葉に微かに眉を動かした。


「子猫の毛のような雪輪……星屑のような帯……。聖歌、あなたのその独特の表現は相変わらずね。でも、確かに素敵な組み合わせだわ。きっとあなたによく似合うでしょう」

(最近の聖歌、何だか以前にも増して動物の比喩が多い気がするわね……。まさか、本当に何か飼い始めたのかしら? 万里小路家のことだから、ライオンや孔雀を庭で放し飼いにしていても驚かないけれど)


 玲奈は内心でそんなことを考えたが、口には出さなかった。聖歌のプライベートに深入りするのは、たとえ幼馴染であっても容易なことではない。

 響子が、目を輝かせて口を挟んだ。


「へえ、聖歌様のお着物、超見たいですわあ! 俺もさ、お茶会でビシッと紋付袴もんつきはかまとか着てみてえんだけどなー。うちの家じゃ、そういうの全然興味ねえですわから」

「響子様、お言葉が崩れて変になってますわよ? でしたら、きっと凛々しいお姿になるでしょうね。もしよろしければ、わたくしの家の者に見立てさせましょうか? きっと、響子様の快活な魅力にぴったりの装いを見つけてくれますわ」


 聖歌の申し出に、響子は「マジで!? やったー!」と子供のようにはしゃいだ。

 リリィは、そんな聖歌たちのやり取りを微笑ましそうに眺めながら、小さな声で言った。


「聖歌様のお選びになる詩も、きっと素敵なのでしょうね。『花と詩』がテーマですものね」

「詩は、まだ選んでいる最中ですの。でも、そうですね……何か、小さくても懸命に生きるものの愛らしさや、その柔らかな温もりを表現したような歌を選びたいと思っておりますわ。例えば、そう……雪間から顔を出す福寿草のような、健気な美しさを詠んだものとか」


 聖歌の言葉に、友人たちはそれぞれ頷き、お茶会の当日が待ち遠しいといった表情を浮かべた。

 誰も、聖歌の言う小さくても懸命に生きるものが、具体的に何を指しているのかには気づいていなかった。


 午後の授業が終わり、放課後になると、聖歌は足早に教室を後にした。いつもならば、図書室の稀覯書コーナーに立ち寄ったり、時にはアンリエット様の元へご機嫌伺いに向かったりするのだが、ここ数日の彼女は、一刻も早く家に帰りたいという気持ちでいっぱいだった。


(もふアン、良い子でお留守番できているかしら? 今日は新しい獣毛ブラシを買ってきたから、それで全身を丁寧にブラッシングしてあげなくては。きっと、うっとりとした表情で喉を鳴らしてくれるに違いないわ……うふふふふふふふふふふふふ……)


 そんなことを考えながらハイヤーに乗り込む聖歌の横顔は、いつになく優しく、そしてどこかそわそわとした期待に輝いていた。その変化に、長年彼女に仕える運転手の田中や侍女の松本は薄々気づいていたが、賢明にも何も言わずに、ただ穏やかな微笑みで見守るのであった。

 万里小路聖歌の心の中には、聖アストライア女学園という完璧な箱庭の日常と、もふアンという新たな秘密の宝物がもたらす温かな幸福感が、不思議なバランスで共存し始めていた。

 そして、その温もりは、彼女の奥底に眠るもふもふへの渇望を、さらに深く、そして静かに育んでいくのだった。

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