第2話「星渡りの獣の譚」
まだ見ぬもふもふ探求の念に、文字通り身も心も焦がされるようになった聖歌が、次なる情報源として目を付けたのは、聖アストライア女学園の格式高い図書館……ではなかった。
あそこの
彼女が求めるのは、もっと常識の枠を超えた、異端とされる情報であった。
彼女が真に信頼を置き、もふもふセンサーが強く反応する場所――それは、万里小路家の誇る、国立国会図書館の全蔵書数に匹敵するとも、あるいはそれを凌駕するとも噂される、広大無辺にして深淵なる私設書庫であった。
そこには、世界のあらゆる知識が、それこそ公に認められた正史や学術書から、異端の説、民間伝承、未確認生物の目撃記録、果ては錬金術の秘伝書や、黒魔術の儀式書紛いの禁書に至るまで、整然と、しかし圧倒的な物量で収蔵されている。
温度と湿度が完璧に管理されたその書庫は、何世代にもわたる万里小路家の当主たちが、その財力と権力と、何よりも旺盛すぎる知的好奇心と蒐集癖の赴くままに世界中から集めた、知の結晶であり、同時に禁断のパンドラの箱でもあった。
普段は父である万里小路家当主の書斎として使われ、厳重なセキュリティで守られているその一角――特に「奇譚・秘史・異聞」と分類された書架群――に、聖歌は目当ての分野を見出した。
父は現在、数ヶ月に及ぶ予定の長期海外出張中であり、書斎は静まり返り、彼女の探求を邪魔するものは誰もいない。好都合であった。
革張りの重厚なアームチェアに優雅に腰かけ、傍らにはセバスチャンが淹れた最高級のダージリンティーと、もふアンのためのおやつを置き、彼女は書物の探索を開始した。
「これではありませんね……こちらでも……それとこちらも違う。これも今は必要ありませんわね。で、あるならば」
聖歌は、膨大な蔵書の中から、特に古びて、そして何やら曰くありげなオーラを放つ革装丁の本や、羊皮紙に手書きで記された巻物などを、まるで宝探しでもするかのように次々と選び出していく。
その選択基準は、もちろん内容の学術的な価値などではなく、ひとえに表紙の手触り、紙の匂い、そして何よりもそこに描かれているかもしれない未知なる『もふもふ』への期待感であった。
数時間を費やし、選び抜かれた数冊の古文書を、彼女はもふアンと共にサンルームの自席へと持ち帰った。ページを捲るたびに、古いインクと羊皮紙、そして微かにカビの混じった、しかし聖歌にとっては蠱惑的な甘い香りがふわりと漂う。それは彼女にとって、どんな高級香水よりも心を落ち着かせ、そして探究心を刺激する香りだった。
そして、その中の一冊。
表紙は見たこともない滑らかな黒い石板のような素材でできており、文字らしきものは一切なく、ただ中央に、オーロラのように色彩を変化させる奇妙な紋章が一つだけ刻まれている、異様に古びた書物。それは、万里小路家の記録によれば、「数代前の当主が、
中身は、未知の言語で書かれており、長年万里小路家の学者たちが解読を試みてきたが、ごく一部しか判明していなかった。
しかし、聖歌の父が、最近になって世界的な言語学者とAI技術を組み合わせた極秘プロジェクトで、その大半の解読に成功し、その翻訳写本が書庫に収められたばかりだったのである。
聖歌は、その翻訳写本――タイトルは便宜上『
そこには、我々の宇宙とは異なる理で成り立つ、遠い異世界の神話や伝説が、美しい挿絵と共に綴られていた。
翼を持つ水晶の狐、歌う宝石の島、七色の尾を持つ流星の蛇……聖歌は、その一つ一つの記述に心を躍らせ、そこに登場する幻想的な生き物たちのもふもふポイントを想像しては、うっとりとしたため息をついた。
そして、その物語の最後に、まるで世界の終末を予言するかのような、不吉で、しかし聖歌にとっては強烈なまでに魅惑的な一節があった。
「――かくて、星々の海を渡り、幾多の世界に祝福と、あるいは破滅をもたらすと言い伝えられる『原初の巨獣』。かの地では『ヴォイド・テンペスト』、またある世界では『アニマ・ムンディの影』とも呼ばれし存在。その真の姿、その真の目的を知る者はなし。ただ、古き星詠みの歌によれば、その巨躯は夜空の闇そのものを凝縮したるもので、纏う毛皮は、触れること能わず、ただ極光の如き霊的なる輝きを放ち、見る者の魂を震わせるという。その毛の一筋は、銀河を紡ぐ星々の糸であり、その吐息は、新たな宇宙を創造し、また終焉させる力を持つと……」
聖歌の大きな蒼い瞳が、その一文に釘付けになった。周囲の音も、時間も、そして膝の上で丸くなっていたもふアンの温もりすらも、一瞬にして彼女の意識から消え去った。
夜空の闇を凝縮したる巨躯。極光の如き霊的なる輝きを放つ毛皮。銀河を紡ぐ星々の糸なる毛の一筋。
「……まあ……っ!!」
彼女の桜色の唇から、熱っぽく、そして絞り出すような、深い深い感嘆の吐息が漏れた。
頬はみるみるうちに紅潮し、その美しい蒼い瞳は、夢見るように、あるいは神の啓示でも受けたかのように潤み、焦点が合っていない。正直怖い。
「これですわ……! これこそが……! わたくしが、この万里小路聖歌が、この世に生を受けて以来、魂の奥底から渇望し続けてきた、究極の、至高の、そして筆舌に尽くしがたいほどに素晴らしく、そして宇宙的なまでのスケールを誇る『もふもふ』の頂点に君臨する、唯一無二にして絶対なるお方に違いありませんわっ!! この方こそが、わたくしの『ザ・ワン』! わたくしだけの、運命の『もふもふ』様なのですわ!」
がたりと立ち上がった聖歌は、今にもイェエエイと叫び出しそうなのを堪えつつも、その翻訳写本を胸にきつく抱きしめ、感極まって打ち震えた。
それは、長年探し求めていた運命の赤い糸の相手についに出会えた乙女のようでもあり、あるいは、人類の叡智の限界を超えた宇宙の真理の一端を垣間見てしまった哲学者のようでもあった。
見る者によっては正気を失いそうな内容。それを読んで尚、正気を保っているのは聖歌が特別だからなのか、それとも最初から正気度がゼロだからだろうか?
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