Record05「鼓動」

 ザ・ワンはゆっくりと次の目標都市へと移動を開始していた。

 その巨躯が放つ異様なプレッシャーは、数キロメートル離れた場所からでも感じられ、空は鉛色に淀み、鳥の鳴き声一つ聞こえない不気味な静寂が支配していた。

 作戦ポイントに潜んでいた五人の魔法少女たちは、互いに頷き合うと、一斉に飛び出した。


「行くよ、みんな! うちら力ば、あん化け物に見せちゃろう!」


 翠の叫びを合図に、戦闘が開始された。


 翠の放つ真空の刃と、萌の灼熱の炎弾が、ザ・ワンの巨体に次々と叩き込まれる。それは、巨象に対する蟻の一噛みにも等しいかもしれないが、確かにザ・ワンの注意を引き付けた。あらゆる兵器を無力化するザ・ワンの体も、似た力を前に完全に防ぐことはできなかったようで、その違和感を覚えたザ・ワンの黄金の単眼が、ゆっくりと五人の少女たちに向けられる。


「美琴! 今だァ!」

「はぁっ! アイスコフィン!」


 美琴が地面に手を叩きつけると、彼女を中心に広範囲の地面が瞬時に凍結し、ザ・ワンの足元の動きを僅かに、しかし確実に鈍らせた。


「雫さん、お願い!」

「ええ! アフェクション!」


 雫が祈りを込めて杖を振るうと、周囲に水のドーム状の結界が展開され、ザ・ワンから放たれる精神的な圧迫感が和らぐのを感じた。


「結ちゃん、今よ!」


 美琴が叫ぶ。

 結は、目を閉じ、両手を地面につけた。彼女の小さな体から、信じられないほどの魔力が溢れ出し、大地そのものが脈動し始める。それは地の底、海の底、その先にあるマントルのさらにその先、地球の核へとたどり着く。


地球ガイアの……怒りを……受けて……! ガイア……インパクトぉッ!」


 大地の底から、その進路を塞ぐように巨大な岩壁が轟音と共に勃起した。

 それは、まるで地球自身が、この異質な侵略者に抵抗しているかのようだった。


 ザ・ワンは、初めてその足を止め、目の前に出現した巨大な岩壁を、その黄金の単眼で見つめていた。

 その瞳に、僅かながら驚きや不快感のようなものが浮かんだように見えたのは、少女たちの気のせいだっただろうか?

 初めての連携攻撃は、確かにザ・ワンの足を止めた。しかし、それは、本当の戦いの始まりに過ぎなかった。




 ザ・ワンが、その水晶の角から不可視のエネルギー波を放った。

 それは物理的な衝撃ではなく、少女たちの精神に直接作用し、恐怖や絶望の幻影を見せる精神攻撃だった。


「きゃあああっ!」


 萌が、突然頭を抱えて叫び出した。


「炎が……熱い、ああつい……からだが燃える……死ぬ……? いやだ、死にたくないっ!?」

「しっかりするのだ、萌! それは幻だ!」


 イヤハトーズが叫ぶが、萌はパニックに陥っている。

 美琴もまた、凍てつく氷の中に閉じ込められる幻影に襲われ、体が動かなくなっていた。雫の水の結界も、その精神攻撃の前には効果が薄い。


「アウター・ワンの力が……恐怖を見せている……? ウヴォアー……どうすればいい……?」


 結が、恐怖に震えながら呟いた。

 妖精たちが、必死にパートナーに呼びかけ、正気を取り戻させようとする。


「美琴、しっかりするのです……!  そんな幻影に、負けて良いのですか!」

「萌、おぬしの炎は希望の炎! 絶望なんかに負けるでないわバカモノ!」


 コンが励まし、イヤハトーズが叱咤しったする。


 その時、神代教授から支給された試作型の魔力増幅装置が、彼女たちの胸元で微かな光を放ち始めた。それは、仲間の危機を感知し、互いの魔力を共鳴させる機能を持っていた。


「……みんなの声が……聞こえる……」


 美琴が、薄っすらと目を開けた。


「……一人じゃない……私たちは、一人じゃないんだ……! うオーーー!」


 萌が、歯を食いしばって立ち上がった。心のうちから燃え上がった炎が、幻の炎を覆い尽くし、幻を打ち砕く。


 五人の魔法少女の心が、再び一つになろうとしていた。彼女たちの胸に宿る、この星を守りたいという純粋な想い。仲間を信じる強い絆。それが、絶望を打ち破る唯一の力となることを、彼女たちはまだ知り始めていなかった。

 そして、その戦いを、街の片隅から、固唾を飲んで見守る民の姿があった。

 彼らは、何もできずにただ祈ることしかできなかったが、その無数の小さな祈りが、やがて大きな奇跡の波紋を広げていくことになるのを、まだ誰も予測していなかった。


 ザ・ワンの精神攻撃によって一時的に混乱に陥った魔法少女たちだったが、仲間の危機を感知した魔力増幅装置の共鳴と、それぞれのパートナー妖精の必死の呼びかけによって、かろうじて正気を取り戻しつつあった。


「げほ……ごほ…………みんな……大丈夫……?」


 最初に意識をはっきりさせたのは、雫だった。彼女自身の持つ魔法の特性が、精神的ダメージを緩和させるのに役立ったのだろう。その傍らではバハムートが、小さな水球の中で心配そうに彼女を見つめている。


「みんな、無事……?」


 橘美琴が、凍り付いたような幻影から解放され、安堵の息をついた。


「私も……なんとか……あいつ、よりによってこっちの属性にあわせた恐怖を……!」


 赤城萌が、顔を歪めながら立ち上がる。

 翠は、無言で周囲を警戒し、結は、まだ少し顔面蒼白だったが、しっかりと大地を踏みしめていた。


「怖い……けど……負けない……そう、ウヴォアーも言っている……」


 結の小さな声には、しかし強い意志が宿っていた。


 その頃、この絶望的な戦いを、遠く離れた安全な場所からではなく、可能な限り近くで見守り、記録し、そして僅かながらも支援しようと奔走する者たちがいた。

 神代教授と、彼の信頼する数人の若き研究者たちだ。

 その中には、鋭い眼光と、年齢にそぐわぬ冷静さを併せ持つ、一人の青年がいた。

 名を、神宮寺じんぐうじまこと。彼は神代教授の元で超常現象物理学を学ぶ大学院生でありながら、その卓越した分析力と行動力を見込まれ、この極秘プロジェクトに参加していた。


「教授、現在のアウター・ワンのエネルギー放出パターン、及び精神干渉波の周期を分析しました。非常に不規則ですが、僅かな間隙かんげきが存在するようです。もし、あの少女たちの攻撃をその間隙に集中させることができれば……或るいは」


 誠は通信装置に向かい、神代教授に進言した。彼は、魔法少女たちの存在を、単なる特異能力者としてではなく、人類に残された最後の希望として捉え、彼女たちを最大限にサポートする方法を模索していた。


「うむ、誠君の言う通りかもしれん。だが、それをどうやって彼女たちに伝える? 我々はまだ、彼女たちとの通信手段ができていない」


 魔法少女たちの戦闘では一種の結界のような作用が働く。彼らが今持つ技術だけでは、戦闘中の魔法少女との通信ができなかった。


「僕が行きます」


 誠は、即座に答えた。


「危険は承知の上です。しかし、このままでは彼女たちも……ケイさんが開発した、指向性の高い魔力シールドの小型試作品があります。短時間なら、あいつの精神干渉もある程度防げるかもしれません。それを届け、作戦を伝えます」


 有栖川ケイは、少し心配そうな顔をしたが、「……神宮寺君なら、大丈夫でしょう。そのシールドの理論的限界稼働時間は約七分。それ以上は保証できませんが、彼の判断力なら……」と、どこか信頼を込めた目で彼を見送った。


 誠は急ぎ危険区域へと向かった。彼の胸には、この星の未来と、名も知らぬ少女たちへの、熱い想いが燃えていた。


 一方、戦場では、魔法少女たちが再び態勢を立て直そうとしていた。


「みんな、もいっぺんばい! あいつん精神攻撃は、うちらん心の弱さにつけ込んでくる! ばってん、うちらは一人やなか! 互いば信じりゃあ、きっと乗り越えられはずと!」


 翠が、力強く仲間たちを鼓舞する。


「そうだ! 私たちの絆パワー、見せてやろうぜ!」

 萌が、再び炎の勢いを取り戻す。

 彼女たちの魔力増幅装置が、再び共鳴し、その輝きを増した。それは、個々の魔力だけでなく、互いを思う心の力をも増幅しているかのようだった。


「美琴、あんたん氷で、奴ん動きば最大限に封じて! うちと萌で、奴ん注意ば引き付けたる! 雫しゃんな、うちら全員に防御と回復の支援ば! そして結ちゃん! あんたん力で、奴ん進路ば、あん山脈の方角へ!」

 翠の的確な指示のもと、五人の魔法少女は、再びザ・ワンへと立ち向かった。

 翠の疾風の如き動きと、萌の爆炎が、ザ・ワンの巨躯を翻弄する。その隙に、美琴が渾身の力を込めて放った魔法が、ザ・ワンの足元を分厚い氷の塊で覆い尽くした。それは完全な拘束には至らないまでも、確かにその進軍を遅らせていた。

 雫の水のヴェールが、仲間たちを包み込み、精神攻撃のダメージを和らげる。そして、結が再び大地に両手をつけた。


「ジ・アース・オブ……インパクトォッ!!」


 結の叫びと共に、地面が大きく隆起し、ザ・ワンの進行方向に対して、巨大な断層と崖が出現した。それは、まさに山脈へと続く道筋を、物理的に作り変えるかのような、壮大な大地の魔法だった。

 その時、神宮寺誠の乗ったジープが、土煙を上げて魔法少女たちの元へ到着した。


「みんな、無事か!」

「あなたは?」

「神代教授からの指示だ! 奴のエネルギー放出には、僅かな間隙がある! そのタイミングを狙って、最大火力を集中させろ! それで、奴の進行方向を完全に変えられるかもしれない!」


 誠は、息を切らしながら、試作型の魔力シールド発生装置を彼女たちに手渡した。


「これは……?」


 美琴が尋ねる。


「短時間だが、奴の精神干渉を防げるはずだ! ケイさんの……有栖川ケイさんの自信作だ!」


 少女たちは、互いに顔を見合わせ、そして力強く頷いた。新たな希望の光が見えたのだ。


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