第2章 前半(神谷悠真サイド)



会場の喧騒と、レイヤーたちの華やかな衣装。

そこにいるだけで、日常とはかけ離れた世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

神谷悠真――ハンドルネーム「レイ=ミラージュ」は、今日もその幻想の中の一人として立っていた。


心臓はいつもより早く脈打っていた。

大きなミラーの前でウィッグを直しながら、彼は深く息を吐いた。


「よし……今日もレイ=ミラージュだ」


中二病全開のハンドルネームと、漆黒の軍服に身を包んだキャラクターの完成度には、すでに一定の評価がある。

前回の参加時、SNSに上げられた写真が少しだけ話題になり、それが今日の参加を後押ししてくれたのだ。


だが、悠真の目はある一人のレイヤーに向けられていた。


――みるる。


アイドル系魔法少女キャラの完璧な再現。

華やかなパステルカラーの衣装とふわふわのウィッグ。

クールな印象とは真逆の、愛くるしい笑顔と仕草。


彼女は、今回もその空間でひときわ輝いていた。


(やっぱり今日も……すごいな)


いつか、ちゃんと話してみたい。

でも、自分なんかが話しかけていい相手だろうか――

そう思うと、足は勝手に別の方向へと向いてしまう。


そんな時だった。


「すみません、レイ=ミラージュさん!」

突然声をかけられ、反射的に顔を向けると、一眼レフを構えたカメラマンが手招きしていた。


「よかったら、みるる。さんと並んでいただけませんか? すごく絵になりそうなんで」


一瞬、思考が止まる。 その名前に気づいた時、視線の先に立っていたのは、SNSで何度も見かけたあの少女だった。


「あ……えっと、はい……」


戸惑いながらも頷いて、俺は言われるまま彼女の隣へと歩いていった。


彼女も少し驚いたように目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。


「あ、はい。わたしでよければ……」


(やばい……しゃべった……)


レイヤーとしての立ち振る舞いは慣れているつもりでも、相手が“みるる。”となれば話は別だ。

ましてや、目の前で会話を交わすのは初めてだった。


「じゃあ、お二人、キャラ設定的にこういうポーズ、どうですか?」


カメラマンが指示するのは、戦う構図の中に微妙な対称性を持ったポージング。

互いの武器を交差させながら、軽く見つめ合う――という、距離の近いシーンだった。


悠真の喉が鳴る。


「だ、大丈夫……ですか?」


彼の問いかけに、彼女は小さく笑って言った。


「はい、やってみましょう。お手柔らかにお願いしますね、レイ=ミラージュさん」


その名前を、彼女が口にしたことに驚く。


「知って……くれてるんですか?」


「この前、写真がすごく話題になってたから。ポージングも衣装も完璧でしたよ」


彼女の言葉に、思わず顔が熱くなる。

キャラになりきっている今でさえ、動揺を隠すのが精一杯だった。


シャッター音が何度も鳴る中、2人は数分間、さまざまな構図で撮影に応じた。


ポージングの合間に軽く視線を交わすたび、胸の奥がくすぐったくなる。


「ありがとうございました!」


カメラマンが満足そうに頭を下げて去っていくと、2人の間にふわっと静けさが戻った。


「さっきは……ありがとう。急だったけど、助かりました」


「こちらこそ。あの……初めてお話しできて、ちょっと嬉しかったです」


みるる――いや、佐倉美咲は、ほんの一瞬照れたように視線を逸らした。

それを見て、悠真の心が跳ねる。


「あの……」


何か言おうとしたその時、別のカメラマンが彼女に声をかけた。


「すみませーん、次、ソロで何枚かお願いできますか?」


「あ、はい!」


彼女が軽く頭を下げ、悠真の方へ目を戻した。


「また、どこかでお会いできたら」


「……うん」


ほんの一瞬だったけれど、確かな“会話”があった。

それだけで、胸の奥があたたかくなった。


彼女が去ったあと、悠真は一人、少し離れた壁際に腰を下ろした。


さっきの会話。ポーズ。笑顔。


忘れられない。

次に会ったとき、今度は自分から声をかけられるだろうか――


彼の中で、何かが静かに動き始めていた。



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