第1章 前半(神谷悠真サイド)
昼下がりの教室は、ざわついた昼休み特有の空気に包まれていた。
神谷悠真は、教室の隅の席──黒板から最も遠い最後列の窓際で、コンビニのサンドイッチをもそもそと口に運びながら、周囲の喧騒に耳を傾けていた。
昼休み。多くのクラスメイトが賑やかに話す中で、彼の周りにはぽっかりと静寂が生まれている。けれど、それを気にする様子はない。彼にとって、クラスでのこの距離感は「いつものこと」だった。
神谷悠真──高校2年。成績は中の上。運動神経は並以下。趣味はアニメ、漫画、ゲームに加えて、最近ではコスプレ活動にも積極的だ。
もちろん、それを学校で明かしたことは一度もない。オタク趣味を周囲に知られたくないというよりも、単純に「面倒なことになりたくない」というのが理由だった。
実際、こうして空気のように過ごしていれば誰も干渉してこないし、彼もまた誰にも干渉しない。そんな毎日が、悠真にとっての“日常”だった。
だが、彼にはもう一つの“顔”がある。
──休日の自分。
『レイ=ミラージュ』という名で活動するコスプレイヤー。 中二病的な名前は、昔好きだったゲームの登場キャラクターから取ったものだ。最初は恥ずかしかったが、活動するうちにその名前にも慣れた。
最近は撮影技術も向上し、衣装のクオリティも自信が持てるレベルに近づいてきた。 休日の自分は、堂々としている。キャラになりきって、写真を撮られることにも躊躇しない。 イベントで「レイ=ミラージュさんですよね?」と声をかけられることすらある。
学校の自分とは、まるで別人。
まさに“鏡の中のふたり”──それが今の彼を表す言葉だった。
彼は、ふとカバンの中にしまってあった次回のイベント参加要項を取り出し、誰にも気づかれないように目を通した。場所は市内の文化ホール。撮影スペースも広く、参加者数も多め。もちろん、参加予定だ。
前回のイベントが、少し特別だったから。
──そう、『みるる。』さん。
ふわふわの髪に、甘い配色の魔法少女衣装。可憐なポーズに、キャラになりきった愛らしい笑顔。
まるで本物のアニメキャラが現れたような完成度。
撮影待ちの列の後ろで見ていただけだったが、彼女の存在は妙に心に残っている。
もちろん、現実の学校にはそんな子はいない。
……はずだった。
「なあ神谷、お前明日の提出物持ってきた?」 「え、あ……あぁ……うん、たぶん……」
隣の席──佐倉美咲(さくら みさき)がふとこちらを見て問いかけてきた。
思わず手元が震える。
「ふーん、じゃあ忘れないようにしときなよ」
そう言って、彼女はすぐに視線を前に戻した。 それだけのやり取り。
佐倉美咲。
クラスの誰もが一目置く、成績優秀で容姿端麗、しかも人に対しても礼儀正しい。生徒会の仕事をこなしている姿もよく見る。彼女が教室の中心で目立つ存在なら、悠真はその影で静かに息を潜めるだけの存在。
もちろん、話したことなんて数えるほどしかない。 隣の席なのに、会話らしい会話はほとんどしていない。目も合わせないことの方が多い。
(まぁ、こんなもんだよな……)
そんな中で、ふと思い出す。
──あの『みるる。』さん、もしや、彼女に似ていたような……?
……いや、そんなわけないか。
軽く頭を振って思考を打ち消した。 あんなに明るく、愛らしいキャラを完璧に演じていた人が、クールで無表情な佐倉美咲のわけがない。
それに、もしそうだったら……彼女だって、自分に気づいていただろう。
『レイ=ミラージュ』と『みるる。』
互いに正体など知らない、まったくの赤の他人。 そういう関係だからこそ、イベントの場では素直になれるのかもしれない。
(次のイベント、また来てくれるかな……)
そんな期待を胸に秘めつつ、彼は次回の衣装パーツ構成を思い浮かべながら、窓の外をぼんやりと眺めた。
まるで、現実ともう一人の自分との境界線を見つめるように。
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