吉田麻衣子(4)
吉田麻衣子の、村と名乗るべき生まれ故郷から一時間車を飛ばしたところに、それはある。一人暮らしのアパートの最寄駅から十五分ほど揺れて、五分ぐらい歩いたところに、それはある。銀河通りと命名されたその通りは、居酒屋やカラオケ屋等々が建ち並ぶ雑多な町だ。
週末、昼過ぎ。地図アプリと周囲の景色を見比べながら進んでいくと、五階建てビルを横にしたところでアプリが到着を知らせた。
案内板を確認すると、一階にネイルサロン、二階に居酒屋、三階に焼き肉店が入っており、四階は空き部屋、五階に目的の店舗があった。
いつ止まってもおかしくないエレベーターに乗り込む。ドアがガタガタと開くと、目の前に『何でも屋マカベ』の看板がかかってあった。ネームプリンターで作ったものを木の表札に貼りつけただけの、手の抜いたものだった。
「失礼します」
ドアを開くと、まず飛び込んできたのはふかしたての紫煙のにおいだった。麻衣子は顔をゆがめることなく、デスクで書類整理に勤しむ眼鏡の青年に話しかけた。
「昨日電話した吉田です」
「ああ、ちょっとお待ちを」
青年は急いで紙の束を置くと、応接テーブルのソファに麻衣子を誘導する。
「コーヒーと紅茶とお茶、どれがいいですか」
「コーヒーで」
三分後、二人はコーヒーをはさんで向かい合った。
「こういうものです」
まず青年が名刺を渡す。白を基調としたシンプルなデザインに『何でも屋マカベ 店長 真壁嵐』と書いてある。
「アラシさん……?」
「『ラン』です。アニメみたいでしょう?」
青年は少し恥ずかしそうに頬をかいた。笑うとエクボがかわいらしいし、黙っていると雰囲気がある美青年だ。ただ、底知れぬ何か――それが何かはわからないが――を麻衣子は感じ取った。
麻衣子は少し口角を上げた。
「素敵なお名前ですね」
真壁はコーヒーを一口口につけると、音を立てずにカップを置いた。
「さっそくですが、このたびはどのようなご要件で」
「この男の素性を調べてほしいのです」
麻衣子は紙を取り出し、彼に見せた。例のメモではなく、彼女がその目で見た情報を元にして書いたオリジナルだ。真壁は似顔絵を取り上げて、しばし舐めるように見ていた。
「……よく描けていますね」
「そうでしょうか」
「似顔絵捜査官も、あなたを雇いたいと思うでしょう」
麻衣子は彼の顔を真っ正面から見据えた。
「あなたは彼と会ったことがないでしょう。そこまでおだてる必要はありません」
「依頼人のことは、全面的に信用するようにしているんですよ。この似顔絵が嘘っぱちだと仮定したら、僕の体がいくつあっても足りませんからね」
真壁はさも当然のように答えた。
「そうおっしゃるなら私もあなたのことを信用します」
「利口な判断です。では、遅くなりましたが、依頼はお受けします」
真壁はその後、麻衣子の住処や行動範囲などを尋ねたが、この男を探し出す結論に至るまでの、詳しい経緯はいっさい聞かなかった。
三日後、何でも屋から麻衣子のメールに連絡があった。京香からの飲みの誘いをやんわり断って、例のビルへ向かった。今回は平日の夕方だからか、柄の悪い連中が道をうろうろしていた。
二人は今度はハーブティーを飲み交わした。
「こちら、報告書です」
彼は書類の束をテーブルに差し出した。十枚ほどの紙をホッチキスでまとめたもので、表には『吉田麻衣子様 依頼報告書 ○月○日』とタイトルが打たれているところ、妙な律儀さを垣間見た。
「詳しいことはそこに書いてあるのをご覧になればよいですが、いちおう口頭でも……」
真壁は寝不足か充血した目をこすりこすり説明した。
「まずあなたのお探しの男の名前は
「編集作業、ですか」
「画像編集や動画編集ですよ。広告業界やテレビ業界に憧れていたようですが、箸にも棒にもかからなかった。とはいえ技術はわりかしあって、ホスト時代には裏にアイコラやディープフェイク動画を流して小銭を稼いでいたようですね。それらはいわゆる闇バイトというやつで、依頼者と会うことなく仕事を引き受けることができます。だからこんな気弱でもある程度稼げたんでしょうね。こんなもの依頼する輩なんてたいていイカれてますから……ちなみに、恋人の女のほうも調べがついています」
麻衣子はページをめくった。
「
「真壁さん」
麻衣子は中島瑞稀の写真を指差して、平然とこう言った。
「この女、私の高校時代の同級生です」
「へえ」
真壁は驚きを微塵も顔に出すことなく、口角を吊り上げた。
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