吉田麻衣子(5)

 アパートに帰った麻衣子は、まっすぐ提携駐車場へ向かって、車に乗り込んだ。エンジンをかけるとブワアンと排気ガスが舞い、車体がガタガタとマッサージチェアのように揺れはじめた。麻衣子はこの揺れが妙にお気に入りだった。一人暮らしを始めたときにわざわざ駅から遠いアパートを選んだのは、駐車場代が安い立地を選ぶためだった。

 背もたれにもたれかかって、もらった書類をめくる。

「ああ、もしもし、お母さん――? ちょっと今から家帰るね」

 電話を切ると、麻衣子は実家へ車を走らせる。

 なんの用かとわらわら出迎えに来る祖父母やアキを尻目に、二階へ上がる。奥の子ども部屋は麻衣子が帰省したときようにそのままになっている。勉強机に飛びついて、棚に立てかけてある高校の卒業アルバムを引き出した。

 埃っぽさに鼻をゆがめながら、一年時、二年時、三年時のページを調べていくと、一年生の欄に中島瑞稀の写真があった。

 大きな瞳もぷっくりとした唇も、現在の写真と変わっていないが、ただ団子鼻がしゅっと筋の通った鼻になっているのを見ると、整形でもしたのだろうか。当時は野暮ったいほどの真っ黒な髪だったのが派手な金髪に染め上げているのは、仕方のないことだといえよう。

 麻衣子はさらにページをめくり、部活動の集合写真にたどり着く。野球部、ソフト部、バレー部、続いてバスケ部。仲間と肩を抱き合い笑顔でピースを向ける、ユニフォーム姿の麻衣子の姿が見つかった。目を走らせると、右下には少し不器用な笑顔を作る、中島瑞稀もいた。

「お母さん、私帰るから」

「あらあら、今日はオムライスよぉ? 食べて行きなさいよ」

「じゃあ、食べるだけ食べて行くよ」

 麻衣子は微笑を浮かべると、アルバムを元にしまった。


 翌日は久々に一時間の残業がねじ込まれ、帰宅の途につくときには真円の月が空に浮かんでいた。自炊をする気分ではなかったので、駅で弁当を買って電車に乗り、最寄り駅で降りた。迎えの車に乗る高校生や、わいわい自転車置き場に走る若者の団体に背を向けて、駅提携駐車場へヒールを鳴らした。

 運転席のドアを開けた麻衣子は、異様なにおいと気配に一瞬、肩をこわばらせた。

 原因は車内だ。カーフレグランスも突破するほどの異臭。それは外へも漏れ出ているのか、通りすがる人が数人、不思議そうにこちらを見ていった。

 麻衣子は大きく後部座席のドアを開き、目に飛び込んできた光景に、戦慄した。

 運転席の真後ろの座席に、亀がいた。

 ただ、生きていない。死んでいるのは明白だった。なぜならば彼か彼女か知らないが、甲羅を潰されて、身もぐちゃぐちゃに成り果てているからだった。

 車に轢かれたでも鳥に突っつかれたでもなかろう。轢殺だともっと悲惨なはず、この亀は岩か何かを目がけて投げつけられ、逆らえずに潰れたような始末だった。

「どうしましたか……ひえっ!」

 硬直する彼女を心配したサラリーマンが、目の前の光景に声をあげた。

「動物病院は間に合いませんよね……」

 サラリーマンは二、三歩後ずさりし、そのまますたこらさっさと逃げていった。

 それは悲しき末路をたどった小さな生き物よりも、彼女――吉田麻衣子に恐怖を感じたからだった。

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