移動、依然として退屈
「次のニュースです。○○県のひかる動物園から、パンダが脱走しました。現在でも、動物園周辺では捜索が続いており…」
「おおっ、逃走仲間じゃないか。ひかる動物園って言ったら、例の旅館の近所だな」
「パンダって脱走するんですね」
「そりゃあパンダにだって逃げ出したくなる時はある。あんな檻の中にずっと入れられてたらな」
もしかすると、竹の味が気に入らなかったりしたのだろうか。あるいは動物園の担当が替わって、前の担当に会いに行こうとしているとか。だとしたら、中々感動的なストーリーだ。
「捕まったら檻に入れられてしまうところまで俺と一緒じゃないか」
「出た、誘拐犯ジョーク」
お互いに笑みを浮かべたまま、軽口を叩きあう。心地よい空気が、車内を包む。冷えピタがぬるい。これはもう外してもいいのだろうか。というか何で貼る必要があったのか。私に熱があるように見えたとでも言うのか。
「これ、外してもいい?」
「ん?ああ、冷えピタか」
「うん、大分ぬるくなってきて、正直気持ち悪い」
「駄目だ」
よし、ようやく外せる。これさえなければ、この人質トラベルはより楽しいものになるはずだ。
「え?」
「それはお前が人質であることを示す証。お前がそれを外していいのは、新しいシートに替える時と、お前が解放されるときだけだ」
「ええ…」
やはり意味が分からない。まるで学校にあるよく分からない校則のようだ。あの理由を聞いた瞬間は納得しかけるけどやっぱり意味が分からないあれである。しかし、誘拐犯モードの彼に逆らうわけにはいかない。なぜなら私は、新型アシスタント「人質」だからだ。
「じゃあせめて、窓開けていい?」
「好きにしろ」
こういう線引きが謎なところも学校の校則そっくりだ。私は窓の開閉スイッチに手をかける。窓が開いた瞬間、爽やかな風が私の頬を撫でる。これならぬるさも幾分かましになるだろう。当り前のことだが、窓の外ではたくさんの車が私たちとともに道を行き来している。
きっと、この中に誘拐犯が紛れていることに気づいている人は一人もいないのだろう。そう考えると、彼が捕まることは永遠にないのではないかと思われた。
「おい、もうすぐ着くぞ。あの山道を行ったところだ」
彼がそう言った。よく見ると、山の中腹辺りに、ネットで見た通りの建物が確認できた。とうとう来てしまった。いまだかつて、誘拐犯と温泉旅行をした人質がいただろうか。
「到着したぞ」
そんなことを考えていたら、あっという間に着いてしまった。シートベルトを外し、車から降りる。
「古い」それがこの旅館の第一印象であった。当然の如く木造であり、墨で書かれたと思われる看板は、所々、というか三~四割程文字が消えており、物々しい雰囲気を醸し出している。よって、「怖い」それがこの館の第二印象であった。
入口に向かおうとしたところで、なにやら叫びながら、誰かがこちらに向かってきているのが見えた。なんだか既視感がある。
「誰だ、あれは」
「また来やがったね!この土地は売らない、そういったじゃないか!いいかい、この旅館はね…」
そう言いながらこちらに向かって全速力で走ってきたのは、齢九十は優に超えているであろう、おばあちゃんだった。
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