真夏の夜に起きたこと

esquina

1話完結


 真夏の深夜、ロフトで休もうとしていた晶馬の携帯に、白いカプセルの画像が送られてきた。

 数秒後、着信音が鳴った。

「もしもし。晶馬?私…和美だけど、伝えなくちゃならない事があるの」

「あ、和美ちゃん!心配しててん…大丈夫やった?さっきは俺、ほんまにごめんな!でも俺は、和美ちゃんのこと…」

和美は低い声で、早口に晶馬を遮った。

「いいから聞いて、大事な話なの。私、最近彼氏と別れたばかりって言ったよね」

「うん」晶馬は半身を起こし、携帯を顎で押さえながらロフトの階段を降りた。

「私の彼、AIDSだったの」

「え?うそやろ?」

「伝えるべきか、すごく悩んだけど、やっぱり言わなくちゃと思って電話したの」

「いや、ちょっと待って。和美ちゃん、つうか…それほんま?まじなん?つうか…まじかよーーー」

晶馬は頭を抱えた。

「和美ちゃんは…大丈夫なん?」

永遠に感じる数秒の後、和美が答えた。

「さっきの画像見た?陰性だったけど、病院でPEPを処方してもらって、毎日飲んでる。でも正直、不安で仕方ない」

「PEP?なんなんそれ?」

「簡単に言うと予防薬よ。感染の恐れがあった時に、72時間以内に服用するの。あとは自分で調べて」

「話しはそれだけ。悪いけどもう二度と連絡しないで。顔も見たく無い」

通話は一方的に切られた。

晶馬はフローリングの床に崩れるようにあぐらをかくと、時刻を確認してつぶやいた。

「72時間…」顔から血の気が引いていくのが分かった。


 晶馬と和美は大学時代に三年ほど交際していたが、和美の嘘が原因で喧嘩別れになった。

「私に嘘をつかせてるのは、晶馬なんだよ。どうしてそんなに私を束縛するの?」

和美は交際中に何度もそう言った。

社会人になった晶馬は、当時のことを別の視点で見る余裕ができた。

「和美に何度も嘘をつかせたのは、俺だった」

和美と別れて一年ほど経つが、忘れられなかった。

そこで彼女に連絡を取り、やっと今夜、約束を取り付けたのだった。


ーーーあれが…PEP?

晶馬は、ついさっき見た白いカプセルを思い出していた。


 それは、バーで飲んだ時に和美が持っていたものだった。

「なんやそれ!?薬?」

「これ?二日酔いのサプリだよ」

「不気味やねんなぁ」ピルケースの中に、巨大な白いカプセルが見えた。

「それはそうと、和美ちゃん、俺たちもう一回やり直さん?」

「はい?…私は大嘘つきだから、信用できないんじゃなかった?」

和美はまんざらでもなさそうに見えた。

 二人は酒を飲みながら思い出を振り返り、現状を語った。和美は、最近彼氏と別れたばかりだと言った。やがて和美が席を立った。

「やばい。終電だ。私、そろそろ帰らないと」

「ええ?まだええやん」和美は帰りたがったが、晶馬が両手でそれを制した。

「まだ返事聞いてへんねんで!ええやん、久々やのに!そういう冷たいとこ、昔とかわらへんなぁ!」

「分かった。それじゃ、あと一杯だけね」

結局、終電には間に合わず、二人は二駅分ほど歩くことになった。


街灯がポツポツ続く深夜の住宅街で、ふと晶馬が彼女の袖を引っ張った。

「拝んでいかへんか?」

暗闇の中に赤い鳥居が現れた。

「真っ暗じゃん…時間無いし、また今度にしようよ」

深夜の境内は神聖な闇をたたえて、来るものを拒んでいるように見えた。

しかし晶馬は、和美の腕を取り、強引に境内に入って行った。

「ええやん!すぐに済むから、な?」和美はしぶしぶ承諾した。


 住宅街にあるその神社の境内には、灯りがひとつも無かった。深い闇の中で、時折木々をざわつかせる風の音がするものの、再び静寂が続く。

二人が祈願のために鳴らした鈴の音が、静けさをさらに引き立てた。


 晶馬の横で、和美は目を閉じ両手を合わせていた。

その横顔を見ているうちに、晶馬は抱きしめたい衝動を抑えられなくなった。

「なぁ、もう一回付き合うてよ。頼むし!」

「やだなに?やめて!」驚いて叫ぶ和美の唇を、晶馬の唇が塞いだ。

「やめて、ほんとにふざけないで、この酔っぱらい!」

和美は全身の力を込めて、ドンと押した。

すると運悪く、晶馬が祠の裏手にある、小さな土手の茂みに転がり落ちてしまった。

和美は慌てて助けの手を差し伸べた。

「…晶馬、大丈夫?」

次の瞬間、和美は腕をグイと引っぱられ、あっという間に晶馬に組み伏せられてしまった。

「へへへぇ!和美ちゃん捕まえた」

覆い被さる晶馬の息づかいで、和美は危険を察知した。

「やだ、晶馬、酔ってる!やめ…って!」晶馬の手が、スカートの中を這う。和美は再度叫ぼうとしたが、もう一方の手で口を塞がれた。


 ———何?何をするつもり!?あまりの恐怖に瞳孔が開く。そして太ももの間を、不躾な手が無情に這い上がってきた。

「やめて!」声はかき消され、下着に汗でベトついた指先が触れた。

晶馬は一気に引き剥がすと、和美の中に深く侵入した。温かく吸い付くような感触が晶馬を包む。

「…やめて!…誰か助けて、お願い!このクソ野郎、必ず…ぶっ殺してやるから!」

和美は下腹で蠢く物体を追い出そうと、必死でもがき続けた。しかし、和美が抵抗するほどに深く侵入し、晶馬の興奮が高まっていく。

和美は、汗と枯草、土の匂いに覆われて、このまま殺されるのかもしれないと感じた。そう思った途端に、絶望と恐怖が彼女を捉えた。和美は、見開いた目に闇を映して、全てが終わるのを待った。


「なぁ。和美ちゃん。ごめんて!」

震える手で、無言のまま衣服の乱れを整える和美に、晶馬が手を合わせた。しかし、和美は返事をしない。彼女は一刻も早くこの場を去りたかった。神社も、晶馬も恐ろしくてたまらなかった。更に、その恐れを感じ取られることも怖かった。和美は、一言も話さないまま立ち去った。


 実家暮らしの和美は、家に帰る気にはなれなかった。そこでタクシーでカラオケボックスに向かった。


 店員の若い男性は、和美を不審そうに見ていたが、何も聞かずに部屋に案内した。

和美が案内されたのは、四方が鏡張りの部屋だった。

扉を開けると、そこに事件の被害者が立っていた。

枯れ草だらけの乱れた髪、赤く腫れた口元、顔のあちこちには泥がついていた。お気に入りだった水色のシフォンのブラウスは、胸元がかぎ裂きになっていた。

和美はバッグからポーチを出した。髪を梳き、メイクを直し、ブラウスを安全ピンで止めようとした。しかし、両手が小刻みに震えていて、うまくいかなかった。

「ひどい…。許せない、こんなこと!」

パニックになるほどの怒りを、生まれて初めて感じていた…到底許せなかった。

和美はソファに突っ伏し、大声を上げて泣いていたが、ふとある考えが浮かんだ。

パッと泣き顔を上げると、バッグを引っ掴み、ピルケースから、カプセルを取り出した。

鏡に向い、ゆっくり首を横に振って、問いかけるようにつぶやいた。

ーーー晶馬、あなたが私に嘘をつかせるの。

注意深くカプセルの画像を撮り、晶馬に送信した。


暗い部屋で、携帯の明かりが晶馬の顔を青白く照らしていた。

「AIDS 感染率」「PEP 72時間」汗ばんだ指で、検索を繰り返す。

ーーー嘘かもしれない。いや、嘘であってほしい。晶馬は、初めて和美の言葉が嘘であることを願っていた。





 

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真夏の夜に起きたこと esquina @esquina

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