30. チェック

 翌三十一日、タートヤ・トーペー率いる二万の兵が、ベートワ川を背に布陣し、いつでもイギリス軍の後背を突ける体勢を整えた。

 この動きをローズ少将が見逃すはずもなく、軍の一部をタートヤ・トーペー軍にあてがったが、残りの兵と大砲は休むことなく街の外壁を攻撃し続けるよう命を下した。

 突然現れた敵の援軍に、一時混乱を来したものの、タートヤ・トーペー率いる二万の内、本当に統率が取れているのは中央に布陣した千名程度、残りは戦士としては並以下であった。

 兵士を統率して使うには、圧倒的に指揮官が足りない。それを見抜いたローズは、恐れるに足らず、と判断した。

「奇襲に複雑な命などいらぬが、白昼堂々の戦闘ではそうもいかんだろう」

 実際、タートヤ・トーペー軍は正面からの攻撃には耐えたが、左翼の動きの鈍さを突いてやると、敵兵は呆気なく戦場を放棄し始めた。

 慌ててタートヤ・トーペーが援護に走ったが、遅い。おまけに、イギリス軍を撒くために森に火を放ったことが、彼の敗北を決定づけた。

 恐怖が歩兵の戦意を挫き、武器を投げ捨てて四方八方へ逃げまどう始末で、こうなっては戦闘にならない。タートヤ・トーペー軍は、大砲も放り出して遁走する羽目になった。

 その一方で、ジャーンシー外壁の攻略にも糸口が見えた。煙幕に隠れて接近した梯子隊が東の城壁に飛び移り、街を制圧したという知らせが入ってきたのだった。


「お見事でした」

 街の制圧を終えたローズに、リアムはそう声をかけていた。

 鮮やかな指揮ぶりは病に冒された身とは思えず、戦況を聞くローズには何かが憑いているのか、目が生き生きと輝き出す。やはり、この男は社交界ではなく戦場に身を捧げている人物なのだ。

 ローズは戦が終わった途端、糸が切れたように椅子にぐったりともたれ、リスターが慌てて軍医を呼んだ。

「流石に骨が折れたな。ハーヴェイの助言がなければもっと時間がかかっていただろう。感謝する」

 シャツを捲り上げた腕を晒し、軍医の診察を受けながらそう告げるローズに、リアムは いえ、謝辞を固辞する。

「これであの王妃も堪えたろう。城を手放すのも時間の問題だ」

 紅のサリーに身を包んだ王妃の存在を、知らぬ者はいなかった。中に閉じこもっているだけのお飾りかと思いきや、外壁を駆け回っては男たちに檄を飛ばし、自ら銃を使って敵を討ち、時には大砲の指揮すら取った。

 ラクシュミーの周囲には親衛隊と思われる女性兵もつき添い、彼女たちもまた素晴らしい射撃の腕を誇った。彼女たちは弾薬運びなどにも積極的に参加し、色鮮やかなサリーの群れは、砂埃と血潮に塗れた戦場で異彩を放っていた。

 見た目が厳つい男であれば違和感のない采配も、一際美しい女が成すと異様に思えるのか、あれがジャーンシーの女神だ、守り神だ、と指揮を取る将から塹壕に潜んだ末端のイギリス兵までもが、双眼鏡をのぞき込んで騒ぐ始末である。

「若い娘があれだけ指揮を取れるとは立派なものだ。噂には聞いていたが、実際に見ると凄まじい。男であれば、我が軍の将に迎え入れたいくらいだな」

「ローズ閣下、今は戦のことはお忘れください。お体に障ります」

 ロウ医師の忠告もどこ吹く風で、ローズは上機嫌だった。常に優雅で端然たる彼が、勝利も間近と見て興奮している。そんなローズに向かって、リアムは背を伸ばした。

「閣下」

 なんだね、と振り仰ぐ上官を見据え、ぐっと腹に力を込めた。

「今一度、王妃に降伏を呼びかけてはいかがでしょうか」

 ローズは思案顔になった。ジャーンシー攻略直前に送った降伏の手紙には、けんもほろろな返答しか帰って来なかった。街を落とされてなお、城は沈黙したままで、兵が逃げ出す気配もない。

「あの王妃は相当な頑固者のようだが、それでも説得しようと言うのかね?」

「はい」

 即答したリアムに、ローズは探るような眼差しを向けた。やがて、ふむと頷くと机の上に置かれた手紙をリアムに指し示す。

「総督府は君に、話を穏便に済ませるよう命じたのだったな。だが、儂にはそうは思えん」

 読んでみよ、と促されて、リアムは従う。手紙は総督府からローズに宛てられたもので、日付は三月の初めになっていた。ざっと目を通したリアムは、眉を跳ね上げた。

「総督府は王妃を生け捕りにして、絞首台送りにすると息巻いておる」

 ローズの口調は淡々としていた。

「初めからその心積もりであったらしいな。ハーヴェイに説得を命じたのは、無血で王妃の首が取れるならそれに越したことはない、と考えてるに過ぎんよ――貴君も身に染みているだろうが、総督府の決定は覆らん」

「……」

「ハーヴェイ、貴君は有能な人材だ。本国にとっても、失うにはあまりに惜しい。総督府に楯突こうなどとは二度と考えぬことだ」

「私を評価して頂けることは嬉しく思います。ですが……」

「私情に走るな」

 峻厳とした声を発するローズの目は、冷徹だった。

「貴君はそも戦場には向いておらん。逃げることは悪ではないぞ」

 虚を突かれたリアムは、気勢を殺がれてただローズを見つめるしかなかった。

「あの王妃も似たようなものだ。逃げることを知らん。退路を断つことで自らを追い詰める。それは一時的に力を発するが、長くはもたない」

 分かっているのだろう、とローズに念を押され、リアムは渋々頷く。

「だがどういう訳か、かの者の発する凄まじい熱に、否応なく惹かれる。理屈では無謀と分かっていても、ああいう風に生きてみたいと切望する瞬間がある」

 ローズはにやりと笑って、指を立てた。

「あの王妃と相対しているとな、こちらまで感化されてしまうようだ」

「だからと言って、一緒に無謀できる状態ではないことは、閣下もご承知でしょうに。ジャーンシー攻略を終えたら即本国で療養ですよ」

 診察を終えたロウが不機嫌に口を挟むと、ではこれで、とわざとらしく足音を立ててテントを出て行った。

「儂もハーヴェイのことを馬鹿にできん」

「まさか、閣下に馬鹿にされているとは考えておりませんでした」

 憮然とリアムが返すと、呵々とローズは笑った。こんな風に声を上げて笑うのは初めてのことだった。

「命が惜しくないというのであれば、降伏でも何でも呼びかけて来たまえ。儂とて、無用な争いが減るならそれに越したことはない。リスター、将軍たちを集めてくれ」

 ローズが側に控えていた副官の青年に命じると、彼ははい、と明朗な返事と共に敬礼した。

「ジャーンシー城攻撃の前に降伏の使者を送る。儂からの要求は変わらぬ。剣を納めて城を明け渡すこと、それが叶わぬ場合は殲滅する」

「……承りました」

 リアムもまた敬礼をしてローズの天幕を辞し、馬を引いた。

 ジャーンシーの街中には戦の名残が色濃い。イギリス兵が数人で組んで、道端に転がっている遺体を集めて回っていた。まだ残存兵が潜んでいる可能性も高く、下手をすれば城に向かう最中に襲われかねない。

 だが、リアムには供を連れる気はなかった。もしラクシュミーに会えず死ぬことになるのだとしたら、それもまた神の思し召しだろう。

 鞍に跨がり、城に向かおうと馬首を返したところで「お供します」と涼やかな声が耳朶を打った。

「リスター中尉」

「閣下の許可は戴いております。ハーヴェイ殿を軽んじるつもりはありませんが、私がついているほうが向こうも信用しやすいかと」

「危険です。ローズ少将の副官がやるような任務ではありません」

「私は伯爵家の次男です」

 突然始まった身の上話に、リアムは面食らった。

「家を継ぐ資格はありません。ですから、身を立てる証として、軍に逃げ込んだのですよ。あなたと似ていませんか?」

 リスターは悪戯っぽく笑うと、すぐさま表情を引き締めた。

「今更惜しむ命ではありません。これでも悪運は強いほうであると自負しております」

 感心と呆れ半々のため息が、リアムの口から漏れた。結局この青年も、ローズと同類なのだ。

「あなたの悪運を頼ることにします」

「お任せください」

 二人は伝令の旗を立て、馬を並べてジャーンシー城へと向かう。いつ、そこの角から義民兵が現れてこちらに発砲してくるか分からない。自然と顔は険しくなり、手綱を握る手に汗が吹き出た。

 城壁に近づくにつれ、銃を持った兵士が警戒しているのが見えた。夕闇押し迫る時刻、街中に響く馬蹄の音を捉えてか、すぐに数名が集まってくる。

「イギリス兵だ!」「近づけるな!」「待て、二人だけだ」「使者だ」

 壁上でのやり取りを聞きながら、リアムは内心息を吐いた。今ならまだ間に合いそうだ。

「彼らは何と?」

 リスターの問いかけに、リアムは数度瞬いて、ああ、と思い至った。インド駐在のイギリス人でヒンドゥスターニーが通じぬ者はいないので忘れていた。

「こちらが使者だと理解しているようです」

 城壁の前まで来ると、インド人兵士がリアムたちに一斉に銃口を向けた。慌てて馬の足を止め、抵抗の意志がないことを示すために両手を上げた。リスターもリアムに倣い、腰に佩いた剣も手放して見せた。

「我々はイギリス将軍ヒュー・ローズ卿の使者である! 閣下の言葉をジャーンシー王妃ラクシュミー殿下にお伝えしたい! 面会をお許し願いたい!」

 城壁に向かってリアムがヒンドゥスターニーで繰り返すと、壁上で相談し始めた。

「使者はお前たちだけか?」

「そうだ! 私はリアム・ハーヴェイ、隣はローズ卿の副官を勤めるリスター中尉だ。王妃とも面識がある。名を言えば伝わるはずだ」

「嘘を言うな! 王妃殿下の名を借りるなど無礼だ!」

「疑うのなら直接当人に確かめて頂きたい! 嘘だと判明すれば撃つなり何なり好きにしろ!」

 強い調子で言い返すと、彼らは寄り集まって相談し、やがて一人が壁上を離れて行くのが分かった。

「ひとまず王妃殿下に伝えてやる。嘘だと分かればすぐさま殺す」

「感謝する」

 それきり会話が絶え、じりじりとした緊張が横たわる。本当にリアムの言がラクシュミーの元に届くのか、届かずにここで射殺されるのか、様々な不安が脳裏を駆け巡る。

 表面上は平静を保ったが、背中の汗が止まらなかった。これは決して暑さのせいだけではない。

「……彼らは怒っているのですか?」

 やり取りも把握できない状態ながら、しれっと両手を掲げるリスターが問う。かなりの強心臓だな、と呆れつつリアムは口を開いた。

「怒っているような話し方ですが、一応こちらの言い分を聞き入れてくれています」

「やはり、話す言葉には違いがありますか?」

「さっきの男はブンデーリ方言……だと思います」

 インド中央部では比較的良く聞く言葉だ。サンスクリットを祖語とするヒンディー語と、アラビア・ペルシャ語の語彙を加えたウルドゥー語、更にそれらの混成語をひっくるめてヒンドゥスターニーと呼称している。

 ヒンディーにしろウルドゥーにしろ、文字表記以外に大きな違いはないため、彼らは己がどの方言を離しているかなど、意識していないだろう。南インドでは別の言語が主流で、細かい方言を含めると夥しい数の言語が犇めいている。

「……私なら、すぐさま本国に送り返されますね」

 現地語の修得は社員の義務である。リスターが難しい顔をするのに、リアムは苦笑した。

「流石に、全てに通じている者は一握りでしょうが。代わりと言っては難ですが、ドイツ語とフランス語は不自由ですよ」

「使わない言葉を覚える必要もないでしょう」

 待つ時間が恐ろしく長い。リスターとの軽口は緊張を緩和させるのに一役買ったが、壁上の兵士には気に入らなかったようだ。

 銃を構えながらの「貴様ら、何を話してる! 撃つぞ!」という警告は、翻訳しなくてもリスターにも分かったようで、ぴたりと口を閉ざした。

 日がすっかり落ち、暗闇に閉ざされ始めた頃になって、ようやく動きがあった。リアムたちの目の前の城門がゆっくりと開いたのである。

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