27. 招かれざる使者
ローズ少将の降伏勧告に対する王妃の返書は、翌日にはリアムの手元にも届いた。
即ち『我々は独立のために戦う。クリシュナ神の言葉にはこうあります。我々が勝てば勝利の果実を味わい、戦場で破れ殺められるならば、朽ちぬ栄光と救いとが我々にもたらされるでしょう』――
王妃の、断固たる決意を示すかのような勇ましい返答に対し、ローズ少将は「やはりな」と淡々と頷くだけであった。
早速、翌朝の攻撃に備えて布陣を整えるよう命じるのを、「閣下」と呼びかけて遮ったリアムは、もう一通の書面を差し出した。
これはインドールのハミルトンから届いたもので、総督府からの命令書らしかった。
らしかった、というのは「総督は何を血迷うたか!」と、珍しくローズが激昂し、卓に拳を叩きつけたからだ。
卓上に置いたブランデーのグラスが大きく揺れ、琥珀色の液体が地図を汚した。
「ここへ来て軍を二つに分けろだと? いかに『忠実』であろうがその藩王の敵将とジャーンシー王妃の首とでは比べものにならん!」
「閣下、お気を鎮めください」
ローズの怒声を聞きつけて、軍医のロウと副官のリスターが何事かと顔を出した。
ローズは不機嫌な表情のまま、命令書を投げ出すように三者に示す。総督府の命――近隣藩王の手助けのために軍を二手に分けろ、という内容を確かめたリスターは微かに眉を顰めて苦笑し、ロウはため息を吐いた。
「今の勢力であの砦を相手にするのは困難です。更に兵を分けろとは、悪夢としか思えませんね。閣下がお怒りになるのも無理はない」
「全く。これ以上、閣下を刺激せんでいただきたいものです。寿命が縮まりますよ」
両者の心配の方向性は違うが、どちらも大いに同意したいところである。
「……ハミルトン卿の伝令はまだおるか」
「閣下の返答を必ずもらうよう仰せつかっているそうです」
ひとまず近くの天幕に留めおいているが、ローズの怒声は伝令の耳にも入っているだろう。
ローズは命令書を睨んだまま、複雑な表情を浮かべた。小規模の反乱軍に手こずる親英派の藩王の応援よりも、一万からの反乱軍を率いるジャーンシー王妃を叩くことが先決だ。総督府もそれを分かっているから軍を二手に分けろと命じているのだろうが、ジャーンシーを過小評価しすぎではないだろうか。
ローズのことだ、ジャーンシー攻略にのみ心血を注ぐべきだと理解しているだろう。だが、彼の良心が、総督府の、ひいては本国の意向を無視しても良いのかと囁いている。
ローズの表情の意味を、勝手に分析するとしたら、大凡こんな感じであろうか。
軍人ではないリアムには、命令違反がどれほどの罪であるかは分からないが、総督の命令が無謀であることは軍人でなくとも理解できる。
沈黙が、どれほど続いたのか。長い間逡巡していたローズが、おもむろにリアムを見た。
まるで、自軍が予想外の敵の伏兵の襲撃を受けた時のような、怒りとも悔しさともつかぬ表情だったが、ローズの両目には光が宿っていた。さあ、これから巻き返しだ、と言わんばかりの強い光が。
「――ハミルトン卿の伝令など来なかったし、見なかった」
「では、しばらくこちらに留まっていただきましょう。多少、手荒になっても構わないでしょう」
ローズの意図を受けてリアムが答えると、リスターが笑う。
「縛り上げてその辺の天幕に転がしておけばよろしいですか?」
「そうしてくれ」
「閣下! 本当に宜しいのですか? 総督府を裏切ることになるのでは……」
事もなげに言う指揮官とその副官の会話に、ロウが青ざめた顔で割り込んだ。
「ジャーンシー王妃さえいなくなれば、この近辺の反乱軍も散り散りになるであろうよ。それに、今ここで王妃を取り逃がしたりなどすれば、儂は悔しさのあまり憤死しかねん」
ローズの断固たる態度をしばし眺めたロウは、ふと顎に手を当てた。
「……その伝令に、クロロホルムでも嗅がせてやれば、リスター中尉の仕事もやりやすくなりましょうな」
淡々と物騒なことを提案した医師に、三者の視線が集まる。ロウは軽く咳払いをする。
「ヴィクトリア女王陛下をも助けた薬ですぞ。使い方を誤らぬ限り、危険はありますまい」
ロウがリスターの後に続いて出て行くのを見送ると、ローズは手にした葉巻にちら、と目線を向けた。彼は常日頃、ロウから吸いすぎは禁物だとうるさく言われている。
「親切心から申し上げますが、ロウ医師の忠告をお聞き入れになってはいかがでしょう?」
「……善処する」
ローズは神妙な顔で頷き、葉巻の火を消す。
「ジャーンシー攻撃は予定通り明朝に行う。総督府の命は他言無用だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます