22. 軛

 スィパーヒーたちはジャーンシーを出ると、真っ直ぐデリーへ向かっていったという報告がラクシュミーの元に届いた。

 他の基地のスィパーヒーと同様に、訪れる街々で住民を煽ってイギリス人を殺害し、略奪を繰り返す。弾薬や食糧、貴金属や宝石類を調達しながらの行軍だ。

 ナーナーが言う通りにスィパーヒーを従えなかったことへの後悔はない。彼らと意志を共にするなど、到底考えられなかった。

 安堵するのも束の間、ラクシュミーは改めてサーガルのアースキン大佐宛に、ジャーンシー弁務官含む白人居住区のイギリス人が亡くなった状況を書き記し、ジャーンシー維持のための援軍を請うた。

 スケーンたちを救えなかったことを悔いているのは本心だが、その文面をアースキンに送ったところで、信用してくれるのかは心許ない。

 ひとまず、脅威は遠のいたと判断したラクシュミーは、すぐさま街の復旧に努めた。不本意な手段ではあるが、ラクシュミーが実質的にジャーンシーの主として返り咲いたのは明らかだった。

 彼女は傷ついた者のため、宮殿を病院代わりに開放し、ラクシュミーもできる限り手伝った。持参金はもとより、宰相を説き伏せて王家伝来の宝物を吐き出し、人々に薬や食事を提供することに余念はなかった。そこには宗教やカーストの違いは関係ない。

 更にラクシュミーは、ラクシュミー大寺院へ参詣するのに、飾りたてた象に乗り街中を巡った。象だけでなく宮殿の女や兵も同様に正装をさせて引き連れた煌びやかな行進だ。道中の喜捨パクシーシも惜しまず、笑顔を振りまく王妃に住民は夢中で手を振った。

 宮殿で行われた労いの宴も立派なもので、訪れた人はみな感激し、しきたりを良く守り、信仰厚い王妃だと深く印象づけたのだった。

 自然とジャーンシーの民の間にはラクシュミー王妃への尊敬が集まり、不思議な連帯感が生まれていた。

 ――ジャーンシーのためにできることを。

 王妃の願いが、そのまま住民たちの願いとなるまで、そう時間はかからなかった。

 七月の初めになって、アースキンからの返事があった。次の弁務官が来るまでジャーンシーの維持を任せるといった内容で、ひとまずイギリスとの衝突は避けられそうだ、とラクシュミーは深い安堵の息をついた。

 ようやく落ち着きを見せた十月になって、ラクシュミーの前に立ち塞がる敵が現れた。

 同じマラーター同盟の一員でもあったはずの、オルチャやダチアといった近隣領主の軍隊であった。


* * *


 ジャーンシーで、スィパーヒーがひとしきり略奪を行い、デリーに向かったのと同じ頃。カーンプルの戦況は相変わらず膠着していた。

 イギリス軍の夜襲を受けて本陣を後退させた翌日、ナーナーは早速軍勢を引き連れ、カーンプルに取って返した。

 あちこちの建物に火を放つよう命じ、その結果イギリス軍が拠点としていた病院を焼き尽くした。決定的な打撃とは言えないが、塹壕内の環境の悪さは容易に伝染病の温床となる。医療物資の不足は巡り巡って敵を苦しめるだろう。

 勝利の果実はなかなか手にすることができず、歯噛みする思いだったが、幸いなことに、アズィームッラーが六月半ばには姿を見せるだろうと予言した敵方の援軍が、二十日を過ぎても現れなかった。

 ナーナーの預かり知らぬところで、反乱の火の手が新たに上がっているのか、他の理由なのかは判然としないが、敵の援軍が来る前に決着をつけるつもりだった。

 カーンプル攻略開始から、二週間あまりが過ぎた六月二十三日の早朝。まだ夜の残り香漂う空気の中を、ナーナーと軍勢がしずしずと移動し、イギリス軍の塹壕前に陣を張った。

 ナーナーは草臥れたとは言え、色褪せぬ絹の衣装を身につけていた。金の刺繍も華やかな姿は、主はここだとしろしめた。腰の剣の房飾りは戦闘の最中に焦げつき、解れていたが、ウード鋼の刀身は美しい波紋を描き、一片の曇りもない。

 横に控えたタートヤ・トーペーの泰然とした横顔と、ナーナーを取り囲む精鋭の騎馬兵たちの顔を眺める。その後ろの砲兵、歩兵がそれぞれ武器を手にして神妙な面持ちをしている。象に引かせた四門の大砲の配置を終えると、旗が翻る。堂々たる布陣を見渡すと、否応なしに胸が躍る。

「――百年だ」

 唐突にナーナーが口を開いた。独白のような切り出しだが、戦を前に静まる兵たちの間に不思議と浸透していった。

「百年前のこの日に、インドはイギリスに屈した」

 プラッシーの戦いは、会社がムガル皇帝から徴税権ディーワーニを与えられ、このヒンドスタンの土地を支配する契機となった。

「この百年、インダスとガンガー、数多の神々に守られた聖地は、異教徒によって汚されたのだ。それを赦せる者はいるか?」

 ナーナーの問いかけに、誰かがいない、と応えた。ヒンドスタンは我らの物だ!

「そうだ。ヒンドスタンは我らの土地。地を奪われるは、血を絶つに等しく、我ら古より続く秩序を乱す」

 ナーナーがゆっくりと曲刀タルワールを掲げる。彼の一挙一動に、兵の視線が集まるのが分かる。

「我々は、百年良く絶えた。今この時こそ、イギリス滅亡の予言は成就する! 連中を駆逐し、正義を成せ! このカーンプルに、信仰の勝利を見せつけよ!」

 ナーナーの鼓舞に、兵らが拳を振り上げ、熱狂的に叫ぶ。

 ――正義を! 正義を!

 ――イギリスを滅ぼせ!

 渦巻く私怨や不安に、正義と名をつければ、それは一個の巨大な獣になる。カーンプルを取り巻く兵たちの頭上、にわか生まれた獣は咆哮を上げ、獲物を求めて牙を剥く。

「突撃!」

 美名に酔った獣たちは、ナーナーの号令の下、塹壕に向かって攻撃を開始した。

 果敢に攻め込んだナーナー軍を迎えたのは、イギリス軍の放ったキャニスター弾だ。十分に引きつけた上で放たれた散弾は、突撃した兵を容易に薙ぎ払う。だが、予言を自らの手で達成せんとした兵の志気は、この程度で折れることはなかった。

 ナーナー自身も馬に乗り、戦場を巡って兵を鼓舞することに余念はなかた。だが、いかに激しく攻め立てても、敵の守りは異様なほど堅牢だった。

「……降伏を呼びかけましょう」

 タートヤがそう口にしたのはその日の夕方だ。

 ナーナーが引き上げを命じて、戦闘を終えた。連日の銃撃戦にすっかり慣れて、まだ耳の奥で砲撃が続いているようだった。

「敵に援軍のあてもないと知らせてやれば、応じるのでは?」

 タートヤはアズィームッラーに目線を向けると、戦陣に立つナーナーに代わり、後方で戦況を分析している青年は頷いた。

「イギリス軍は、反乱軍の残党排除に手を焼いております。カーンプル到着にはまだ時間がありましょう。我が軍の一部を差し向け、足止めするのも宜しいかと」

 二人の提案に、ナーナーは頷いた。アズィームッラーに反乱軍の一部をアラハバードに向かわせるよう命じ、翌日にはアラハバードまでの護送を約すから降伏せよ、という文面をウィーラー少将宛に送った。

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