名探偵がやって来た・前編

「いい景色ですね」

 私は向かいの席で将棋盤を前に頭をひねっている、年配の医師、山田やまだ善三ぜんぞうに声を掛けた。

「えっ?あ、ああ、その通りだな」

 山田も、顔を上げ窓の外に目をやると落ち着いたような顔になり、私の意見に頷いた。

 高い崖の上に立てられた、この山荘の窓から見える景色は、辺り一面海しかなく、時折現れる海鳥もアクセントとなって、まるで名画を眺めているような気分だった。

「ここには本当の意味での自由がある。そうは思いませんか?」

「本当に」


 都内でゲームの開発会社を経営している私が、数年ぶりに休暇を取ってこの山荘に来たのは三日前。

 最初こそ、ネットもつながらないこの山荘の環境に戸惑ったが、今ではこの場所を紹介してくれた秘書に感謝すらしていた。


 山荘で知り合った山田との何度目かの将棋の対局。

 時間だけは沢山ある、しかし娯楽と言えるものはテーブルゲームが少しあるだけで、それ以外何もない。

 だが逆にその選択肢の無さが、不思議と私に自由を与えてくれているような気がした。

 子供の頃、自分たちでルールを考えていつまでも遊んでいたあの日のように、私の中から新しいアイディアが湧いてくるような感覚だった。


悪津あくつくん、あの、待ったを、」

「ダメです。さっき三回目はないと言ったでしょう」

 私は微笑んで、山田の頼みを断る。

 まだ時間が掛かりそうだな。

 山田の様子を見て、そう感じた私が玄関を見ると、一人の場違いな格好をした男が入って来るのが見えた。

 その時、私の平穏が崩れる落ちる音がした。


 事件が起きた。

 いや、まだ事件は起きていないのだが、確実に事件の起こる前兆が現れた。

 鹿撃ち帽に、身体を隠すような長さのインパネスコート。

 あの名探偵然とした格好、間違いない。

 あいつは、アイツは名探偵の鬼堂きどうカムイ!!!

 何でこんな所に、名探偵がやってくる?


 一点を凝視したまま固まっている私を不審に思った山田が、その視線の先を追った。

 突然、山田は私の思いもよらぬ行動をした。

「オオーイ、鬼堂くん」

 手を上げて、探偵が気付くように大きく手を振ったのだ。


 何をやってるんだ、こいつは。

 私が着ている下着は、一瞬で冷や汗によって肌に張り付いた。


 探偵もそれに気付いて、近づいてくる。

「お久しぶりです、山田医師」

「鬼堂くん、久しぶりだねぇ」

 そう言うと山田は振り返り、私を探偵に紹介する。

「こちら、ゲーム会社の悪津社長。ギズモと言えば聞いた事があるんじゃないかな」

「ええ、居候のジョシュア君が毎日遊んでますよ。はじめまして、探偵業をしております鬼堂カムイです」

「お、お噂はかねがね、いつもニュースで拝見してますよ。あ、悪津不次郎あくつふじろうです」

 そういって、私は探偵と震える手で名刺を交換する。


「今日もまた事件かね」

 山田は、笑いながら探偵に問いかける。


 止めろ、バカ!!!事件に巻き込まれるような事を言うんじゃない。

 私は山田を怒鳴ってやりたかったが、ぐっ、と気持ちを堪える。


「いえいえ、今日はただの休暇ですよ。いつぞやのように、山田医師のお手を借りるようなご迷惑はお掛けしませんよ」

「なあに、鱶海島ふかかいじま連続殺人事件、『人食い鮫ジャーク』を捕まえる時のスリルは、後にも先にも味わった事のないものだった。また役に立てる事があったら声を掛けてくれたまえ」

「その時はぜひ」


 おまえ、事件関係者だった事があるの?

 わかってるのか?そんな事探偵の前で言えば、これから起こる(かもしれない)事件で殺されるかもしれないんだぞ。


 談笑していた探偵が、突然私の方に振り返ってきた。

「顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

 私は極力表情を変えていないつもりだったが、探偵には私の緊張がばれてしまっていた。

 

 マズいマズいマズい。

 こいつ眼にウソ発見器でも取り付けてるのか?

 何とか言い逃れなくては。


「日頃の疲れが溜まっているのかもしれません。お気遣いありがとうございます」

 私は何とか平静を装う。

「そうですか、それはお大事に。では私はこれで」

 そう言って山田と私に挨拶をすると、探偵は二階に上がっていった。


「少し長居をしてしまったようだね。私も部屋に戻るとするよ」

 山田は私の顔を見てから、立ち上がり自分の部屋に戻っていった。

 私も山田に軽く会釈をして立ち上がろうとしたが、気になるものを見た。


 様子を窺うようにこちらを見ていた、鋭い目付きの年配の男と目が合ったのだ。

 ペンギン柄の服を着たその男は、あわてて私から視線を逸らすと、そそくさと逃げるように立ち去っていく。

 何処かであったような、そんな気がした。



 名探偵が観光地にやって来た。


 なぜかみんな気付いていないが、事件が起きたから探偵が来るんじゃない。

 探偵が来たから、事件が起きるのだ。

 この世界は探偵と犯人でまわっている。

 その事を知ってしまっている私は、今の状況が恐ろしくて堪らなかった。


 私はもうすぐ、犯人か被害者になるかもしれない。

 実は以前、法を犯した事があるからだ。

 10年程前に会社の資金繰りで困った時、一度だけダークウェブでの誘いに乗り、複数人で強盗をした事がある。

 その時は強盗も成功し、相手に大きな怪我をさせる事もなかった。

 会社はその金で持ち直し、今や国内トップクラスのゲーム会社にまで成長した。

 だが、縛り上げた被害者やその家族がどうなったかまでは、私は知らない。

 もしまだ私を恨んでいるものが、探しているとすれば?


 いや、大丈夫だ。

 あの時は覆面で顔を隠していたからバレるわけが……

 私はハッと、息を呑む。


そうだ、やっと思いだした!

 さっきこっちを見ていた男、アイツはあの時の共犯者の一人だ。

 お互い素性もわからないように、最初から覆面をしていたが、あの眼。

嫌らしく相手を値踏みするようなあの目付きは、あの時の男だ。

 アイツが、私を脅迫しにくるのか?


 その夜は不安に苛まれて、なかなか寝付けなかった。



 朝と昼の間くらいの中途半端な時間に起きた私は、食堂で朝食はとらずにコーヒーだけをすすって考えていた。

 山荘の外を見に行くと、現在は少しおさまっているが深夜に相当量の雨が降ったらしく、そこかしこに大きな水溜まりが出来、繋がって川のようになっているものもあった。


 あと二時間。

 正午に出る、今日の送迎バスで帰ろう。

 予定はまだ二日あったが、私は一日でも早く探偵の元を離れたかった。

 なかなか来ないバスを待っていると、山荘のオーナーが外から戻ってきた。


 オーナーは宿泊客を集めると、

「申し訳ありません、皆さま。唯一の道路が崖崩れの影響で封鎖されており、しばらく使えないようです。その影響で通信基地にも被害があったらしく、電話の方も……」

「ちょっと、待ってくれ。帰れないってどういう事だよ」

「そうよ、そうよ」

 若いカップルの伊藤太郎と田中花子が、口々にオーナーに文句を言った。

「もちろん、宿泊の延滞費用は我々が負担いたします。ですから復旧まで、いましばらくご辛抱をお願いいたします」

 そう言って、オーナーが頭を下げる。

 他の客達も文句を言ってはいたが、自然相手では仕方がない事であり、次第に静かになっていった。


 逃げられない?外部と連絡も取れない?

 これじゃ、まるで名探偵の定番、クローズドサークル、陸の孤島じゃないか。

 私は思わず探偵の方を振り返る。

 すると探偵の方もこちらを見ていたらしく、目が合った。

「大変ですね、私はもう少し逗留するつもりでしたから、かまわないのですが」

 探偵は、私の旅行鞄を見た。

「今日お帰りの予定だったんですね」

「あっ」

 私の口から思わず息が漏れた。



 バレた、探偵に見つかった!



 混乱する頭で言い訳を考えていると、オーナーが近づいてきた。

「悪津様はあと二日ほど、こちらに御逗留の予定だったと思いましたが」


 バカっ、いらない疑いを持たれるような事を言うな!

 怪しまれたら、巻き込まれる可能性が出てくるだろ。

 私はオーナーを睨みつけるが、オーナーはどこ吹く風といった感じで、その爽やかな笑顔を絶やさない。 


「め、眼鏡を探していたんですよ。奥に入ってしまったらしく、あっ、あった、ありました」

 私は替えの眼鏡を旅行鞄から取り出し、わざとらしくおどけて言った。

 不自然だっただろうか、いや、大丈夫だ。

 大学の頃に、演劇サークルに入っていた自分の腕を信じろ。


 そう言えば、とキョロキョロ辺りを見回しながらオーナーが尋ねてくる。

「中川様を見ていませんか?皆様にお声がけをしていた時、御部屋にいらっしゃられないようで。昨日、ペンギンの柄がプリントされた服を着ていらしたお客様なのですが」

 あの男だ、あの男がいなくなった。

 嫌な予感が、私の背中をゾワゾワと走った。


 その時、外で掃除をしていた従業員が、あわてて駆け込んでくる。

「なかがわさまがっ、中川様が崖下に転落して亡くなってます」


 はじまった!

 連続殺人の幕が上がってしまった!!!


 探偵の顔をこっそりと盗み見ると、その顔は好物の鳥の卵を前にした蛇のような、陰険で残酷な眼付きをしている。

 まるで事件が起こるのを待ち構えていたような。

 探偵の表情は、私の目にはそうとしか映らなかった。

 

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