その十八
「さて、これからどうするか」
風次郎は言った。
「どの道、歩き続けるしかないよ。力尽きるまでに下山できれば御の字だ」
延蔵はそう言うと、風次郎の肩を抱くために片膝を突いた。
その時、少し離れた茂みの中にきらりと光る何かを見つけた。
「どうした?」
風次郎は、すっかり黙り込んでしまった延蔵に聞いた。
「……宝石のうさぎだ。近くにいる」
それはきれいな青色の輝きをしたうさぎであった。
相手との距離は二間三尺。今朝見たルビーのうさぎとは違い、目前のうさぎは手の平に収まってしまうほど小さかった。
延蔵の額に一筋の汗が伝った。
相手との距離を詰め、一息に首根っこを掴む作戦は失敗したばかりである。
しかし、ここで逃げたうさぎを追うことになれば、延蔵の足では到底追いつけないどころか、負傷した風次郎とはぐれてしまう。
そうなれば、風次郎は間違いなくこの山中で野垂れ死ぬことになる。
延蔵は、地面に蹲る風次郎を一瞥した。
足の痛みに耐える風次郎は青白い顔色こそしているが、その鬼気迫る眼差しで延蔵の目を睨んでいた。
延蔵の中で流れる時が止まった。
そして、延蔵は今、ここで人生を賭ける覚悟を決めた。
延蔵は摺り足で一歩踏み出した。
一歩、また一歩、茂みに身を隠す青いうさぎに悟られないように、延蔵は音を立てずに相手との距離を詰めていく。
コツンッ。
延蔵は草履を履く足で何かを突いた。
足元を見ると、それは一つの小さな石ころであった。
その瞬間、延蔵の頭の中で革新的な閃きが起こった。
それは風次郎を見捨てることなく目前のうさぎを捕まえるという、自分にしかできない方策であった。
延蔵はその場にゆっくりと腰を下ろし、足元に転がる石ころを拾った。
それは丸みを帯びており、ずっしりと重量があった。
再び立ち上がり、青いうさぎとの距離を測る。
……残り一間五尺。この距離なら寸分の狂いもなく当てられる。
延蔵の心の奥底から根拠のない、しかし、確固たる自信が湧いてきた。
大きく振り被り、全力の一投。放った石ころはビュンと風を切り、風次郎の疾走を超える速さで茂みの中へと消えていった。
それと同時、鈍い衝突音がしたかと思うと、そこに隠れていた青いうさぎは目を回しながら姿を現し、延蔵の足元でぱたりと気絶してしまった。
延蔵は息を呑み、祈るような気持ちでうさぎに手を伸ばした。首根っこを優しく摘まみ上げ、そのうさぎには大きすぎる鉄檻に捕らえる。
「……やった……やったぞ。見てくれ、風次郎! 宝石のうさぎだ! 赤色じゃないけど、僕はとうとう宝石のうさぎを捕まえたんだ‼」
「当然だ」
風次郎は鼻を鳴らす。
「お前が捕まえないで、いったい誰が捕まえるってんだ」
そっぽを向く風次郎はその目にいっぱいの涙を溜めていた。
「そうだ! 治療‼」
延蔵は叫ぶ。
「ルビーのうさぎはどんな怪我や病も治してしまうだろ? だったら、この青色のうさぎも君の怪我を治してくれるんじゃないか?」
延蔵は自分の鉄檻の中を覗き込んだ。
捕まえた青いうさぎはいつの間にか意識を取り戻し、じっと延蔵のことをその宝石のような小さな目で見つめていた。
延蔵が鉄檻の隙間から指を入れると、うさぎは耳をぱたりと折り、自分の頭をそっと差し出した。
指の腹に触れる毛並みはさらさらとしていて、ほんのりと体温を帯びていた。
……きっと僕はこのうさぎと旅を続けるんだ。延蔵の心の中にそんな予感が浮かんだ時、鉄檻の中のうさぎは不可思議な青い光を発した。
その光は瞬く間に四方に広がり、延蔵と風次郎は心温まる煌めきに包まれた。
「それは『サファイアのうさぎ』だ」
風次郎の頬に一筋の涙が伝う。
「ルビーのうさぎが『喜びの象徴』だとすれば、サファイアのうさぎは『悲しみの象徴』。人の心の中にある悲しみに寄り添い、あらゆる怪我と病を癒す。七匹七色ある宝石のうさぎのうち、最も孤独で、そして、最も優しいうさぎだ」
青い光に包まれた空間で、風次郎の腫れ上がった足はみるみるうちに回復し、額に滲む脂汗はすっかりと引いてしまった。
「ありがとう、延蔵。お前とサファイアのうさぎのおかげですっかり元気になったよ。いいうさぎを捕まえたな」
元気を取り戻した風次郎はすっくと立ち上がると、片足立ちでぴょんぴょんと跳んでみせた。
「……礼を言うのは、こっちの方だ」
延蔵は言う。
「僕がこのうさぎと対峙した時、本当はここから逃げ出したくて仕方がなかった。君はそんな僕の目を真剣に見つめてくれた。だから、挑戦することができたんだ」
そうして、二人は友情を分かち合うように固い握手を交わした。
やがて周囲を包んでいた青い光は、二人の様子を見つめるサファイアのうさぎに収束した。
「さて、風次郎。これからどうする?」
延蔵は楽しげに聞いた。
「そんなの、聞くだけ野暮ってやつだろ? ルビーのうさぎは俺の足で捕まえてみせる! ……ところで、俺からも折り入って頼みがあるんだが」
「野暮なのは君も同じだな。付き合うよ。どうやら僕たちは同じ志を持っているみたいだからね」
鉄檻に捕らえた小さなサファイアのうさぎが
それと同時、試練の山のずっと奥の方から、聞き覚えのある流麗な歌声がかすかに木霊した。
「おい、今の歌……」
風次郎は聞いた。
「ああ、きっと彼女だ」
延蔵は持っていた鉄檻の取っ手を強く握り締める。
「きっとルビーのうさぎを見つけたんだ!」
二人は同じ志を持つ仲間の下を目指し、試練の山を駆け抜けていく。
空は青い。天頂の太陽は西に傾き始めようとしていた。
宝石のうさぎ 久保慧岸 @keigan_kubo
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