その十七
*
朝を呼ぶ太陽は少しずつ天頂へと昇っていき、試練の時は刻一刻と失われていく。
延蔵は目の端で捕らえたルビーのうさぎを追い求め、山の中を当てもなく駆けずり回っていた。
時折、引き返していく挑戦者と擦れ違うことがあったが、時間がたつに連れ、そんな機会もなくなっていき、頼りにしていた獣道が途絶えてしまったころには、引き返す方策も思いつかないほど深い場所まで踏み込んでしまっていた。
そこにあるのは、冷酷な現実であった。
延蔵は樫の木の根元に転がる白骨死体と、錆びついた大きな鉄檻に自分の未来の姿を投影し、独り焦燥と不安を募らせた。
この額に滲む汗は暑さによるものか、自らの破滅を予見したものか。
この心臓の激しい鼓動は運動によるものか、自らの破滅を予見したものか。
どれだけ探し回っても、ルビーのうさぎはその姿を見せてくれない。
いつしか延蔵の思考は不毛な二択に占領されていた。
「……ウウ」
それは男の呻き声であった。
延蔵は立ち止まり、誰もいないはずの山の奥深くで四方を見回した。
「おい、誰かいるのか⁉」
延蔵は口に手を当てて叫んだ。
呼応するように「……こっちだ」と苦しそうな声が聞こえてくる。
「蔦が絡まっている木の根元……」
延蔵は声が聞こえる方を確認した。
そこには一本の立派な樫の木が屹立していた。
緑の蔦は木の幹から梢にかけて複雑に絡まり、まるで枝垂れのように木蔭の色を濃くしている。
そんな自然の暗がりの中に、呻き声の主はいた。
「……風次郎か⁉」
延蔵は叫んだ。
褌姿の風次郎は木の根元で苦しそうに蹲っていた。
「どじを踏んじまった。もう走れねえ」
風次郎の右足首は痛々しく腫れ上がり、青黒く変色していた。
「捻ったのか?」
延蔵は聞いた。
「ああ、この蔦に足を取られた」
風次郎は、地面を這う蔦を掴む。
「試練の山に入ってすぐ、俺はルビーのうさぎを見つけたんだ。この鉄檻でも収まるか分からねえくらい大きなうさぎだった。だけどよ、そいつ信じられねえくらい足が速くてさ。離されないように後を追うのが精一杯だった。一番乗りで飛び込んだっていうのに……このざまだ」
風次郎の容体は歩くのも困難なほど悪化していた。これでは宝石のうさぎを追うことはおろか、こんな山の奥深くでは下山することすら叶わないであろう。
「どうやら俺はここまでのようだ」
風次郎は言う。
「いい夢が見れたよ……ほら、試練は日没までなんだ。早く行けよ」
「……君はどうするんだ?」
延蔵は野暮なことを聞いてしまったと内省した。
風次郎は少し黙った後、内心を悟られないように飄々と言ってのける。
「お前も見ただろ? 挑戦者の屍はそこら中に転がっている。俺もその一つになるだけだ……ほら、早く行けって。お前はまだ諦めちゃいないんだろ?」
風次郎が言っていることは一人の挑戦者として正しかった。
しかし、延蔵はどうしてもその場を離れることができなかった。
「おい、聞こえなかったのか?」
「……僕は君を見殺しにしてまで夢を叶えようとは思えないんだ」
延蔵は自分が放った言葉に安堵し、目を細めた。
「何だよ、それ」
風次郎は口を尖らせる。
「……後悔しても知らねえぞ」
「いいんだ。これでいい。もし立場が逆だったら、君だって同じ決断をしたはずだ」
「さあて、それはどうかな。俺の足がぴんぴんしていたら、ルビーのうさぎなんてあっという間に捕まえて……お前のことは下山のついでに拾ってやる」
「へえ、冗談が言えるくらいには元気らしい」
二人は顔を見合わせると、この絶望的な状況の中で馬鹿みたいに笑い合った。
今さら引き返そうにも、ここが出口の見当も付かないほど深い場所であることを二人は承知していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます