その十二

「……ところで、あれは君の知り合いか?」


 延蔵は、隣で落ち込む褌姿の青年に聞いた。


 二人から少し離れた木の陰から、見知らぬ誰かがこちらの様子を窺っていた。


「いや、知らんな……おーい! お前さん、何こそこそ見てんだあ⁉」


 青年は声を大にして叫んだ。


 木陰から出てきたのは、観世水柄の小袖を着たおかっぱ頭の少女であった。


「……お腹空いた」


 少女は一言だけ呟くと、覚束おぼつかない足取りで延蔵の下に寄ってきた。


「それ、一つちょうだい」


 そして、少女は、延蔵の膝に置かれた握り飯を指差した。


「あいにくだが、それはできない」


 延蔵は苦い顔で伝える。


「腐っているんだ。これ」


 少女は感情を面に出さないたちらしかった。


 少女はしばらくの間、延蔵の膝に置かれた握り飯を呆然と見つめていた。


 しかし、とうとう諦めが付いたのか、少女は延蔵の隣にちょこんと座り、「お腹空いた」と夜空を見上げて呟いた。


 お腹が空いているのは僕も同じだ、と延蔵は思った。


 横並びに座る三人の腹の虫が仲良く合唱を始めたのは、そのすぐ後のことであった。


「おいおい、何で俺たちはこんな夜更けに仲良く腹を空かせてんだ?」


 褌姿の青年は言った。


「それはこっちが聞きたいよ。そもそも何だって二人とも、僕の隣に座るんだ? 休む場所ならほかにもあるじゃないか。そこの木の陰や、石階段や、何なら小川の向こうにある宿屋に泊まればいい」


「嫌なこった。俺は、あそこにいる連中とは馬が合わないんだよ」


 青年は口を尖らせる。


「あいつら、宝石のうさぎを金儲けか見栄を張るための道具だと思ってやがる。どこでうさぎのことを聞いたのかは知らねえが、奴らには、その……熱い気持ち? 『やってやるぞ』っていう……何て言うのかなあ、俺は走ることしか取柄がないから言葉が出てこねえけど――」


「『志』、とか?」


「そう! それだよ‼ 宿屋で騒いでいる奴らにはそれがなかった」


 青年は目を見開き、的確に表現した延蔵を指差す。


「俺は難しいことを言っているわけじゃない。何かを一生懸命にやるんだったら、誰かに『ありがとう』って言われる方がいいじゃないかと言っているんだ」


 延蔵は、拙いながらも熱弁する青年の言葉に驚いた。彼は自分と同じ方向を向いている。


 少しして、延蔵の心の奥底から沸々と笑いが込み上げてきた。


「な、何がおかしい⁉」


 青年は狼狽した。


「おかしくなんかないよ」


 腹を抱える延蔵は涙を拭いながら訂正する。


「きっと僕は君と話すためにここまで来たんだ。それが今、やっと分かっただけさ」


「何だよ、気味の悪い奴だな。待ち合わせなんかしてないだろ」


 青年は怪訝な顔で言った。


 松明の灯に群がる羽虫の一匹が音を立てて地面に燃え落ちた。


「あれ食べたい」


 唐突に呟いたのは、延蔵の隣に座る少女であった。


 少女は、目前に生える高さ一丈の果樹を指差していた。その梢には緑葉が青々と茂り、橙色に艶やくミカンが実っていた。


「そうだな。本当は握り飯が食いたいところだが、四の五の言ってもいられねえか……おい、誰か採ってきてくれ」


 青年は言った。


「ここは一番体力がありそうな君が行くべきじゃないのか?」


「俺は高い所が苦手なんだよ。あんな高い所になっているんだから……仕方がないだろ?」


 青年は苦し紛れに言った。


 隣に座る少女は相変わらずミカンを見つめるばかりである。


 延蔵は小さく溜息をついて立ち上がった。


「き、気を付けろよ。高い所は危ないんだからな」


「忠告してくれてありがとう。でも、僕は木に登るつもりなんてないよ」


 延蔵は、近くに落ちている小さな石ころをいくつか拾い上げた。


 振り被り、果実の根元に向かって一投。石ころは的確に命中し、ミカンは果樹の根元にぽとりと落ちた。続けて二投。石ころはどちらも狙い通りの軌道を描き、なっている果実を地面に落とした。

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