その七
*
あれから季節は巡り、延蔵はいつしか青年と呼ばれるまでに成長した。
逞しく成長した延蔵は村一番の体力を駆使し、呼ばれる所あれば颯爽と駆けつけ、常に期待以上の働きを見せた。
そのため、村人たちは彼のことを『働き者の延蔵』として大変重宝がり、その活躍はこれからも続いていくものであると期待していた。
延蔵も、生まれ育ったこの村で働くことに充実感と居心地の良さを感じており、このまま村で暮らしていくことに不満はなかった。
しかし、延蔵には一つの夢があった。それは幼き日に出会った三人の旅人と宝石のうさぎに関するものであった。
ルビーのうさぎを連れた風変わりな旅人たち。彼らがこの村に滞在した数日の間に、延蔵は今日の自分を形作るいくつかの忘れがたい経験をした。
床中でルビーのうさぎを撫でたことや、縁側で旅人から話を聴いた思い出は延蔵の中に思いやりの心を育んだ。
そして、村中の誰よりも優しい心を持つ延蔵はいつの日か試練の山に挑み、その手でルビーのうさぎを捕まえることを夢に見続けていた。
その夢が叶った時、かつての自分と同じような、病に伏す誰かを救うことができる。自分の思いは村の外へと飛び出し、山を越え、海を越え、この世界を生きる全ての人々を幸せにする。
そんな夢のような淡い妄想をただ独り、延蔵は自分の心の中で大切に育んでいたのである。
延蔵は体が快復したあの日から今日まで、ルビーのうさぎを捕まえるための特訓を欠かさなかった。多忙な彼は労働の合間を縫って、その研鑽に励んだのである。
大柄な旅人の疾走を体得するために、移動するときは常に全力で走った。可憐な旅人の流麗な歌声を体得するために、晴れた日の早朝は北の山に登り、村に伝わる民謡を大声で歌った。
村人たちはそんな延蔵の活動を初めこそ温かく見守っていたが、その関心は月日を重ねるごとに薄れていき、彼が青年になったころには、そもそもなぜ彼は村中を駆け回っているのか、なぜ山に登って歌を歌っているのか、その活動に苦言を呈する者はいても、賛同する者は誰一人いなくなっていた。
「なあ、与作はあの時のことを覚えているか? ずっと昔、この村に三人の旅人が来たことがあるだろう?」
夏の日の正午前、延蔵は共に畑を耕す与作に聞いた。彼は同じ村で暮らす幼馴染であった。
「旅人? こんな田舎の村に余所者が来ることは滅多にないからねえ……そういえば、大きな荷車を引く旅商人が来たことがあったよな。あれは確か、三年前の春だったか」
与作は答えた。
「違うよ。僕が言っているのは、もっと昔、ルビーのうさぎを連れた旅人たちのことさ」
「ルビーのうさぎ? ああ、あの撫でるとどんな怪我や病も立ちどころに治してしまうっていう……子供のころ、延蔵から耳にタコができるくらい聞かされた与太話だ。最近はてんで話柄にしていなかったが――」
「与太話なんかじゃない。与作はあの日のお祭り騒ぎを覚えてないのか?」
鍬を振る延蔵は言った。
しかし、与作は返事をしなかった。流行り病に罹患した延蔵と違い、ルビーのうさぎに触れなかった彼は当時の出来事を覚えていなかったのである。
「……もし僕がルビーのうさぎを捕まえに行くと言ったら、与作はついてくるか?」
沈黙を破ったのは、延蔵であった。彼は作業の手を休めることなく聞いた。
「まさか。万が一そのお伽じみたうさぎが本当にいたとして、俺にはそれを捕まえる理由がないからねえ」
与作は冗談めかして言った。
そして、延蔵に聞く。
「ところで、何で延蔵はそんな酔狂なことに首を突っ込もうとするんだ? 俺にはさっぱり理解できないんだが」
「……僕はかつて出会った旅人たちのように、怪我や病に伏している誰かを救いたいと思っている。だから、僕はルビーのうさぎを捕まえたい……絶対に捕まえなければならないんだ!」
延蔵は声を押し殺すように叫ぶと、力任せに鍬を振り下ろした。
延蔵の意思は本物であった。
しかし、与作は延蔵の言葉に感動するわけでも、賛同するわけでもなく、「ふうん」と素っ気ない返事をするだけであった。
これを機に、二人の会話はすっかりやんでしまった。黙々と畑を耕す延蔵はこの村に自分の意思を共有できる者がいないことを再認識した。
そして、延蔵は明朝、独り試練の山へ向かうことを決意した。
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