その三


    *


 屋敷を出た三人は幼い患者が伏す一軒の民家に案内された。


「旅の医者様がお見えになったぞ。延蔵の容体を診てくださるそうじゃ」


 村長の後に続いて土間に踏み入ると、そこには虫の息をした一人の男児と、そんなわが子を懸命に看病する若い両親の姿があった。


「左様ですか⁉」


 父親は興奮気味に叫ぶ。


「ここから三里離れた町の医者様にはもう余命幾ばくと告げられてしまい……旅のお医者様! どうか息子を、延蔵の命を救ってやってください‼」


「無論、治してみせましょう」


 旅人は力強く言い切る。


「われわれはそのために旅をしているのですから」


 旅人は延蔵が伏す座敷に上がると、ルビーのうさぎを捕らえた鉄檻を開錠し、その扉をゆっくりと開く。


「さあ、撫でてごらん」


 旅人は、弱り切った延蔵の腕を優しく持ち上げると、その垂れた手をきらきらと光るうさぎの背中にそっと乗せた。


 次の瞬間、ルビーのうさぎは目が眩むほど強烈な輝きを放った。その宝石のような体からは無数の赤い光が走り、たちまち座敷は心地良い煌めきに包まれた。


「な、何事じゃ⁉」


 村長は狼狽しながら四方を見回した。


「心配せずとも、直に落ち着きます」


 延蔵を介抱する旅人は諭すように言った。


 旅人の言葉通り、ルビーのうさぎが発する赤い光は次第に弱まっていった。


 しばらくして、座敷は無言の静寂に染まった。


「いったい今の光は何だったのですか?」


 父親は不安げに口火を切った。


「あの赤い光は、例えば大切な誰かのことを思う気持ちのような……いわゆる人々の無辺の愛が、目に見える光として放射されたものです」


 旅人はルビーのうさぎを見つめる。


「諸行無常、苦しみの絶えないこの世界で、それでも、われわれは幸福を求めて今日を生きています。ではいったい、われわれ人間にとって、真の幸福とは何なのでしょうか。地位、名誉、富、権力……唯物的幸福は持たざる者を苦しめ、求める者を強欲にし、早晩溺没に至らしめることでしょう。本来、これら唯物的幸福の有無は、人生の中で蒔いた種が芽吹くか否か、その違いに過ぎないのですから。この宝石のうさぎは人々が願う真の幸福が投影された不可思議な存在です。殊ルビーのうさぎは、人々の中にある喜びの感情を呼び覚まし、あらゆる怪我と病を癒す力がございまして。ほら、ご覧の通り――」


 旅人はそう言うと、延蔵の寝顔に視線を移した。


「……さっきまであんなに苦しそうだったのに」


 母親は今にも泣きそうな声色で呟くと、寝静まる延蔵の顔をまじまじと覗き込んだ。


 延蔵の呼吸は落ち着きを取り戻し、額に浮かんでいた脂汗は跡も残さず乾き切っていた。彼はまるで幸福な夢でも見ているかのような最上の微笑ほほえみを湛えていた。


「これで治療は完了です。彼が目を覚ましたら、消化に良い食べ物から順に与えてください」


 旅人が微笑むと、両親は喜びの涙を流した。


 そして、三人の旅人に何度も感謝の言葉を伝えた。

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