その二




 遠い昔、大山の麓にある小さな村はこんこんと降り続ける雨に困り果てておりました。


 その雨は川を氾濫させ、田畑を流し、ついには病人まで出す始末……皆が村の存続を諦めかけたその時、一人の立派な青年が叫びます。


「私があの天まで届く大山の頂まで登り詰め、必ずや暗雲を蹴散らしてみせましょう!」


 村人たちは青年の危険な決断に反対しました。


 しかし、青年は続けて叫びます。


「今、私の中に一つの成すべき使命を見出しました! 故に、可能性の険峻へと踏み出すのは、今、この時なのです‼」


 青年の意思は鉄のように強固なものでした。彼は皆の反対を押し切ると、独り雨雲を貫く山頂を目指し、道なき道を歩み始めました。


 それから数日がたち、村中の誰もが青年の死を予感しました。


 しかし、青年はとうとう大山の頂まで登り詰め、暗雲を残らず蹴散らしてしまいました。


 久方ぶりに雲間から現れたのは、澄み渡るような青い空でした。


 水気を含んだ空気が日の光に照らされ、一つの大きな虹が架かると、村人たちは拝むようにその夢のような光景を仰ぎ見ました。


『この世界を生きる全ての人々に幸あれ!』


 どこからか青年の声が聞こえてくると、きらきらと輝く虹は七匹七色の宝石のうさぎに姿を変化させました。


 七匹のうさぎが空の上を跳び回り始めると、皆が暮らす地上に七色の光が降り注ぎました。


 山間の小さな村はその虹の光によって、かつての美しい景色を取り戻しました。


 そして、村人たちは再び幸福な日々を迎えたのでした。




「――宝石のうさぎはその色ごとに特別な力を備えております。この赤い『ルビーのうさぎ』は人々の中にある喜びの感情を呼び覚まし、あらゆる怪我と病を癒すことができるのです」


 旅人は宝石のうさぎの伝説を語り終えると、緊張を解くように息を吐いた。


「確かに、そのうさぎは精巧な宝飾品と遜色がない。しかし、どれだけ目を凝らしても、特別な力を秘めているとは……」


 村長は難しい顔で唸った。


「では、ご説明いたしましょう」


 旅人は事もなげに言ってのける。


「治療法は単純明快。患者にこのルビーのうさぎを一撫でさせればよいのです。いかに重篤な病状であっても、この治療を施した患者は、一日目には笑い、二日目には声を発し、三日目には上体を起こし、四日目には腹を空かせ、五日目には立ち上がり、ついには陽気に踊り出すことでしょう」


「何と! たったの五日で快復とは……」


 村長は旅人が語る夢のような治療法に喉を鳴らす。


「では、手始めにこの村の子供を一人治療してくだされ。名は延蔵のべぞうというのじゃが、あの子はまだ幼く体力が乏しい。実のところ持って後数日の命と遠方の医者様に告げられたばかりでのう……」


「承知いたしました。では早速、その患者の下に参りましょう」


 三人は村長の依頼を聞くや否や凛と背筋を伸ばし、座布団からすっくと立ち上がった。


「ま、待ちなされ! 道案内はわしが――」


 三人の性急ぶりに、村長は湯呑の茶を慌てて飲み干すと、曲がった腰をいたわりながら急いで身支度を始めた。


 よく晴れた夏の日、ルビーのうさぎは羽のような耳をぴんと真上に立たせ、まるで彼らのやり取りを見守っているかのようにその目を輝かせていた。

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