第6話

 施設に入ってからもうすぐ半年が過ぎ、半期に一度の最終観察セッションが控えている。

 これは、これまでの訓練の成果を見せる場でもあり、このセッションを踏まえて最終的にEAI非適性者かどうか判定されるというものだ。

 とはいえ、非適合となる人はほとんどいないため、実質的には特別観察プログラムの成果のお披露目会の位置付けとなっている。

 だからなのか、教育機関向けには見学が許可されており、プログラム終了後に学校へ戻っていく子たちがどうなのかを確認したい学校の教員が参加するのだ。


 僕は、というと相変わらずのスコアなので、半ば諦めてはいるもののこのセッションは参加必須のため教官からもハッパをかけられているのだった。


 僕のグラフは半年経ってもほとんど動いていない。0.1すらついていない、まっさらな直線だ。


 同期の訓練生たちは、もうすっかり笑顔を身につけている。スコア一覧を見た教官が、あとはお前だけだな。と呟いたのを聞いて、ちょっとだけ、心が痛んだ。



 そして、迎える最終観察セッション当日──


 最終観察セッションは5人1組で行われる。

 最初はクラスで待機して、呼ばれたらセッション室に向かうことになる。

 セッションでは感情を刺激する動画を見せられて、その状態の感情スコアが表示されるという寸法だ。

 基本的にはスコアの大きさは関係ないと言われているが、あまりにも小さいのは想定していないのか、僕みたいな0.0ではおそらくダメだろう。


 教室の外から、教官同士の会話が漏れ聞こえてきた。

「……今回はスコアゼロの子もいるからな。一応念には念をだ」

「それでか……専門機関の方まで来てるって話だ」

 誰のことかは言われなかった。でも、この教室でスコアが0.0のままなのは──僕だけだった。


 次々とセッション室に入っていく。

 終わったらクラスに戻るわけではなくて、寮に戻って今日は自由時間になるため、出来るだけ早い回で出来た方がお得というわけだ。


 僕と一緒に受けるメンバーはあまり交流がなくてよく知らないが、少なくとも落ちこぼれグループのメンバーではないようだ。


 柊はというと、自信があるのか少し笑みを浮かべている。

「柊、最終観察セッションはいけそうかい?」

「ああ、大丈夫だ。周りと比べるとスコアは低いがなんとかなるだろう。それよりお前はどうなんだ?」

「大丈夫……ではないね。相変わらずさ」

 柊の笑みを見て、少しだけ、羨ましいと思ってしまった。でも、僕は僕のままでいよう。そう決めたんだ。


 そして、僕たちの組が呼ばれた。

 セッション室の中に入ると、椅子が僕らの人数と同じ五脚置いてあり、左の壁には大きなディスプレイが埋め込まれていた。正面はガラス張りになっており、見学者が何人か椅子に座っていた。


 あれ? 遙!?

 遙がなんでここにいるんだ? ここは教育関係者しか入れないって筈だったのでは? 流石に人違いか、いや、でも、よく似ている……

 僕はびっくりして目を大きく見開いた。

 すると、向こうも僕に気づいたのか、にこっと微笑んだ、


 やっぱり遙だ。


 なんでいるのかはわからないけど、遙がいてくれることで、僕は勇気づけられるような気持ちになった。


 担当の人がセッションの説明をしてくれた。

【喜】、【怒】、【哀】、【恐】、【驚】、【嫌】の6つの感情を刺激する動画が順次モニターに映し出されるので、それを見ていく。僕らはただそれに従って感情を出していけばいいらしい。

 動画は非常に多くの人に使われている実績のあるもののようだが、それでも人によって合う合わないはあるので、スコアの大小はそこまで気にしなくてもいいとのことだった。

 当然、スコアが0.0の場合についての説明はなかったし、僕も質問しなかった。


「では、まず【喜】の動画から流していく──」


 他の4人からは笑顔が溢れる。

 時折笑い声も聞こえる。

 結構面白い動画だから僕もニンマリしてしまう。


 ガラス越しの見学席では、少しざわついているようだった。

「スコアが0.0のままだぞ、故障じゃないのか──」

「いえ、そんなはずはなく──」

「スコア0.0の子は全くの無表情だぞ──」


 遙は小さく呟いた。

「……想は笑ってるよ」

 誰にもわかってもらえない悔しさを遙も抱いていた。

 信じてくれている遙の声が、僕の世界をつなぎとめていた。


【怒】、【哀】、【恐】、【驚】、【嫌】とセッションは続き、僕以外の4人は感情を表現できているようだったが、僕は全ての項目で0.0のままだった。


 見学席のどよめきは大きくなる。

 あの子は大丈夫なのか? もしかしてEAI非適性者か。

 そういった声も聞こえてくる。


「残念ですが、あの子はEAI非適性者になります」

 見学席にいた教官のひとりがそう言った。


 仕方がない──

 妥当だ──


 そう言った声が聞こえてくる。

 やはりそうか。僕はこの社会では受け入れられないのか。

 ──僕はこのまま、また“ゼロ”に戻っていくのかもしれない。

 みんなの目が冷たくなるのを、見なくてもわかった。


 セッション室に静寂が戻る。

 空調の音すら耳に届かないほどの、張り詰めた無音。

 誰も何も言わない。ただ、数字の0.0だけが表示されたまま。


 諦めかけていたその時、遙が叫んだ。

「彼にはちゃんと感情があります。スコアには現れていないけど、ちゃんと笑ってた。怒ってた。悲しんでた。みなさんには見えていないんですか? スコアだけじゃなくてちゃんと彼の顔を見て」


 ふたたびざわざわとする見学席。


「しかしね、スコアに現れない様では仕方ないんだよ」

 見学席の一人が諭す様に言った。


「私は彼の幼馴染です。彼のことはよく知っているし、感情があることだって知っています。今だって、ほら、見てください」

 そう言って遙は僕を指さした。


 僕は遙の言葉に嬉しくなってつい笑顔が溢れる。

 先ほどの【喜】の動画を見た時よりも本当に嬉しくなった。


 笑ってるでしょ。と遙は付け加えた。


「確かに笑っている様に見えるな。しかし、スコアは【喜:0.0】のままだぞ」

 スコアと表情の不一致に見学席の教育関係者も困惑する。


「こんなものどう判断すればいいんだ──」


「ちょっといいかね」

 と口を開いた人物に、周囲がざわっとする。

 座っていた誰かが小さく呟いた。

「……あれは、槙野まきの博士……?」

「感情研究の権威もいらっしゃってたのか……」


「私は感情研究を行なっている槙野というものです。この子は"感情共鳴タイプ"の可能性があります」


 耳慣れない言葉に教育関係者も沈黙する。

「感情共鳴タイプとは他者との感情的共鳴を通じて感情を発露するタイプでして、EAIスコアには現れて来ないタイプなのです。しかし、感情がないわけではないことははっきりしております。動画鑑賞時の彼の表情はスコア通り無表情のように思いました。ですが、今、彼女の叫びを聞いて彼が表情を露わにした。そしてEAIスコアには現れていない。これは感情共鳴タイプの特徴です。全国にあまり例がないので、みなさんご存知ではないかもしれませんが、このタイプは特例的にEAI非適性者としない旨が文科省より通達されております」


「ということは……」


「はい、もう少し詳細な検証は必要になりますが、現段階でEAI非適性者とするのは不適当と思います」


 その言葉を聞いて遙は涙を浮かべながら崩れ落ちた。

「よかった……よかったね、想……」


 遙の言葉に応えるように、僕はただ微笑んだ。

 心の奥から湧きあがる、言葉にならない気持ちがあった。

 ──ああ、僕にも、ちゃんと、感情があるんだ。

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